”中村憲剛の後継者”が備える「変化させる力」。日本代表は田中碧の時代へ
背水の陣で挑んだ大一番で結果を出した23歳のボランチ
2022年カタールワールドカップ(W杯)アジア最終予選序盤3戦で2敗と、早くも本大会出場に黄信号が灯った日本代表。土俵際に追い込まれた森保一監督が12日のオーストラリア戦(埼玉)で、辿り着いた秘策は、中盤をアンカー+2インサイドハーフの形にした4-3-3の採用。その重要な前目の位置に、田中碧(デュッセルドルフ)と守田英正(サンタクララ)という2020年・川崎フロンターレ2冠主軸コンビを抜擢し、勝負を託したのだ。
彼らと遠藤航(シュツットガルト)の3枚の距離感と連動性は素晴らしく、日本のサッカーはここまでと見違えるほどの躍動感と積極性を取り戻した。オーストラリアのアーノルド監督も日本が何らかの策を講じてくることを予想していたのか、直前のオマーン戦の4-2-3-1ではなく、変則2トップのような布陣で来ていたが、思うようなサッカーができず、困惑していた。
そこで電光石火の一撃をお見舞いしたのが、23歳の若きボランチ・田中碧だった。伊東純也(ゲンク)のハイプレスから、守田が奪ったボールを南野拓実(リバプール)→遠藤→守田と回し、南野が左サイドを突破。敵を引き付け、逆サイドに折り返した瞬間を背番号17は見逃さなかった。左SBベヒッチ(ギレスンスポル)と入れ替わり、右足を一閃。名手・ライアン(レアル・ソシエダ)が守るゴール左隅に先制点を蹴り込んだ。
「最終予選初招集で、選んでもらったからには勝たないといけなかった。本当に点を取ることだけを考えてプレーしていたので、点が取れてよかったです」と語る新戦力の活躍で日本に大きな活力が生まれた。
「試合のリズムを柔軟に変化させる力」の重要性
その後の展開はご存じの通りで、日本は押し気味に試合を進めながらも追加点を奪えず、後半に1つの守備の乱れを突かれてフルスティッチ(フランクフルト)に豪快な左足FKを決められた。1-1のドローでは、グループ2位以内どころか、プレーオフ圏内の3位さえも危うくなる。まさに絶体絶命のピンチの中、森保監督は秘蔵っ子・浅野拓磨(ボーフム)を投入。その快足アタッカーが吉田麻也(サンプドリア)のロングボールに抜け出し、積極果敢に打った左足シュートが相手に当たってオウンゴールになり、辛くも2-1で最終予選2勝目を飾ったのである。
同日のゲームでサウジアラビア、オマーンも勝ったことで、日本は依然としてグループ4位という苦境に追い込まれたまま、11月がベトナム(ハノイ)・オマーン(マスカット)という長距離移動のアウェー2連戦で予断を許さない。それでも、新たな布陣が機能し、田中碧という東京五輪世代の若きスター候補が一気に頭角を現したことは朗報だ。彼には最近の日本代表に欠けていた「試合のリズムを柔軟に変化させる力」が備わっているからだ。
歴代日本代表の”司令塔”に肩を並べられる人材
中田英寿、中村俊輔(横浜FC)、小野伸二(札幌)、遠藤保仁(磐田)、そして中村憲剛(JFAロールモデルコーチ)…。98年フランスW杯初出場した当時から、日本には必ずと言っていいほど高度なテクニックと戦術眼を備えた”司令塔的人材”がいた。劣勢に陥っても彼らが確実にボールを収め、落ち着きを与えてくれることで、周りはどれだけ安心感を持って戦えたか分からない。
2018年ロシアW杯ベスト16を達成した時も柴崎岳(レガネス)が長谷部誠(フランクフルト)とお互いをサポートしながら、そういった大役を務めてくれた。が、今回の最終予選に入ってからの柴崎はサウジアラビア戦のバックパスに象徴されるように、本調子とは言い切れないところがある。対戦国が彼を徹底的に狙い撃ちしてきていることも苦戦の要因になっていた。だからこそ、新たな人材の登場は必要不可欠。田中碧は今、まさに必要なピースだったのである。
「自分が中央に立っている中で、最近は上から見ている感覚じゃないですけど、どうすればハマるのかがある程度、頭の中でイメージできるようにはなってきたんです。それをいろんな選手に伝えられれば、自分自身もやりやすいし、チーム全体もいい方向に行く。自分がプレーに関与しつつ、声で味方を動かしてゲームを作ることも大事。それも少しはできたのかなと思います」
憧れの人・中村憲剛の背中を追いかけて
これは田中碧が今年3月のU-24アルゼンチン戦(北九州)後に残したコメントだが、俯瞰的な目線でピッチ全体を見渡し、ゲームをコントロールするのはそう簡単にできることではない。それを川崎の偉大な先輩・中村憲剛から学び、身に着けてきたのが、彼の大きな強みだ。
「憲剛さんは(川崎ジュニアで過ごしていた)小さい頃からの憧れで、プロ入り後もすごさを感じる日々でした。彼にボールを渡しておけばゲームを作れるし、守備の時もついていけばボールを取れることを実感した。僕は憲剛さんにはなれないけど、自分の長所と憲剛さんの特徴をプラスして、越えていきたい」とも話していたが、今回のオーストラリア戦でその領域に手をかけた。日本代表は田中碧の時代に突入したと言っても過言ではないのだ。
試合後、尊敬する中村憲剛から直々にインタビューを受けるというハプニングが起き、本人は嬉しくも、どこか恥ずかしそうに、マイクに向かった。
「素晴らしいゴールシーンだったと思います」と声をかけられた田中碧は「ありがとうございます」と爽やかな笑顔をのぞかせた。
自身を奮い立たせた決戦前のある光景
その中で印象的な発言があった。
「ホントに小さい子供たちがW杯を見れるように、日本が出ている姿を見せれるように必ず勝って次につなげたいと思ったんで。ゴールという形で結果を残すことができ、勝利に貢献できてよかったなと。
ホントにここに来る時に5歳くらいの子供が僕らのバスの写真を撮っていた姿を見て、ホントにこういう子供たちに夢を与えなきゃいけないなってすごく感じましたし、今日来てくれているサポーターのみなさんもすごく後押ししてくれたんで、ここまで納得いく結果じゃないですけど、しっかり全部勝てば行けると思ってますし、僕らも精一杯やっていくので、日本のみなさんに応援してもらえたら嬉しいなと思います」
中村憲剛がイビチャ・オシム監督体制の2006年にA代表デビューし、2009年6月のウズベキスタン戦(タシケント)で岡崎慎司(カルタヘナ)の決勝弾をアシストして、2010年南アフリカW杯行きの切符を勝ち取っていた頃、まさに田中碧自身がその小さい子供だったのだろう。それから10年以上の時が経ち、彼は日の丸を背負って日本をけん引する存在になった。その田中碧の姿を見て、また10年後には川崎のアカデミーなどでボールを蹴っている少年が彼らの後を担う。そういうサイクルの重要性を理解しているからこそ、子供たちの話が口をついて出たのだろう。
最終予選初出場の23歳の若武者がそこまでの広い視野で物事を捉えられるのは本当に頼もしい。賢さや人格を含め、中村憲剛の後継者にふさわしい男と言っていい。
W杯で輝けなかった先輩を越えていけ!
とはいえ、まだ彼は大きな一歩を踏み出したばかり。最終予選への道のりはまだ長く険しい。場合によってはプレーオフを戦わざるを得なくなるかもしれない。数々の修羅場を潜り抜けられるだけのタフさや逞しさをもっと身に着け、自身がチームを引っ張るくらいの役割を果たせるようになるべきだ。
中村憲剛は南アの時にサブに甘んじ、ラウンド16のパラグアイ戦(プレトリア)の後半36分からしかピッチに立てなかった。
「俺の場合は時間が短すぎて(世界に通用したかどうかは)何とも言えない。もう少し早く出たかった」と南アの直後、不完全燃焼感を吐露し、4年後の2014年ブラジルW杯にもあと一歩、手が届かなかった。憧れの人を越えるためにも、田中碧は成長曲線の角度をさらに上げ、世界トップに上り詰める気概が必要だ。
新世代の司令塔候補の出現で、日本サッカーが変わりそうな予感がする。