「助けてください」と訴えた安田純平さんの自己責任論と、報道という仕事
「私の名前はウマル」
[ロンドン発]内戦下のシリアで3年前に行方不明になった日本人ジャーナリスト、安田純平さん(44)が日本語で「私の名前はウマル、韓国人です。とてもひどい環境にいます。今すぐ助けてください。今日の日付は7月25日」と訴える映像がインターネット上に公開されました。
菅義偉官房長官は8月1日の記者会見で「そのように(安田さんと)思っている」と述べました。オレンジ色の「囚人服」を着せられた安田さんは屋外で白い壁の前に座らされ、背後には黒装束の男2人に銃で脅されているように見えます。
ご家族、友人の方々のご心労はいかばかりかとお察します。安田さんの無事を祈らずにはいられません。
7月上旬には英語で「私は純平です。元気です。家族の無事を願っています。ただ会いたい。すぐ会えることを願っています」と語る17年10月17日に撮影された映像が公開され、中旬にも今年6月12日に撮影された映像が相次いで公開されました。
安田さんは15年6月、トルコ南部からシリアに入った後、連絡が取れなくなりました。イスラム過激派に拘束されているとみられ、1カ月間に映像が3度も公開されたのは、日本政府を揺さぶって交渉を動かそうとしているのかもしれません。
日本では政府の制止にもかかわらずシリアに入った安田さんへの自己責任論が非常に強いようですが、安田さんはアラビア語も話し、現地の事情にも詳しいベテラン・ジャーナリスト。細心の注意を払っても紛争地での取材には危険を伴います。
懐に飛び込んでいくジャーナリストは誘拐されやすい
ジャーナリストの仕事は現場に足を運んで、相手の懐に飛び込んで話を聞くことです。相手がイスラム過激派なら、ジャーナリストは文字通り「飛んで火に入る夏の虫」です。それでも、なぜジャーナリストは危険地帯に向かうのでしょうか。
「しばしば紛争地で活動し、敵対するグループへの接触を試み、そして怪しげな連絡先と情報源に頼らなければならないジャーナリストやメディアワーカーは非常に誘拐されやすい」(ロバート・ピカード、ハンナ・ストーム著『ジャーナリストの誘拐 ハイリスクな紛争地からの報道』)のが現実です。
「報道の自由」を守ることを目的にしたジャーナリストによる非政府組織(NGO)「国境なき記者団」(本部パリ)によると、現時点で投獄されているジャーナリストは167人、市民ジャーナリストは139人、スタッフは19人にのぼっています。昨年、命を落としたジャーナリストは55人、市民ジャーナリストは7人、スタッフは12人です。
「国際ニュース報道記者の安全のための調査研究所(INSI)」によると、最も危険な国はアフガニスタン(殺されたジャーナリスト・市民ジャーナリスト・スタッフの合計は12人)、メキシコ(同11人)、イラク(同10人)、シリア(同9人)、フィリピン(同4人)です。
テロリストは資金稼ぎのためジャーナリストを誘拐することが少なくありません。身代金の支払いに応じないと、見せしめや脅しのため公開処刑されることもあります。
英国では身代金の支払いは違法
今年 4 月、先進7カ国(G7)外相は「テロリストが自身の活動のための資金調達や国内外で我々の国民に危害を加える手段として誘拐の身代金を活用することを防ぐ」決意を改めて表明。パリで開かれた国際会議でも70カ国以上が過激派組織IS(「イスラム国」)や国際テロ組織アルカイダへのテロ資金供給を遮断する努力を強めることで合意しました。
筆者が暮らす英国にははっきりした基準があります。テロリストの身代金要求には絶対に応じません。身代金の支払いは違法です。
その理由は「テロリストに身代金を支払うことはテロリストの組織やテロ攻撃を実行する能力を強めるだけでなく、テロ組織を維持し、メンバーをリクルートしたり、つなぎとめたりすることを可能にする。誘拐をさらに誘発させる」からです。
身代金支払いは新たな誘拐を誘発すると考える英国と米国だけでなく、イスラム過激派による身代金目的誘拐事件とテロ多発に苦しむアフリカ、アラブ諸国も身代金の支払いには応じません。これに対して、フランスなど欧州諸国では人質の安全を優先して多額の身代金を支払うケースが後を絶ちません。
1977年のダッカ日航機ハイジャック事件で福田赳夫首相(当時)が「一人の生命は地球より重い」と述べ、身代金支払いと超法規的措置として過激派メンバーを釈放し、国際的な批判を浴びた日本は今では、英国や米国と同じスタンスを取っており、テロリストとの交渉に応じて譲歩することはありません。
国連安全保障理事会テロ対策委員会に対する専門家の報告(2014年)では「アラビア半島のアルカイダ(AQAP)」は11~13年に2000万ドル、「イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ(AQIM)」は4年間で7500万ドル、ISは1年間に3500万~4500万ドルの身代金を獲得したそうです。04~12年に1億2000万ドルの身代金がテロ組織の手に渡ったと推定されています。
日本政府がイスラム過激派に譲歩して安田さんの解放を求めることはありません。イスラム過激派が根負けして安田さんを解放するのを待つしかないのが現実です。
見慣れた街が戦場に変わる
英紙インディペンデントのロバート・フィスク記者(72)から話をおうかがいしたことがあります。
数々の紛争を取材してきたフィスク記者に「あなたは戦争特派員ですか」と尋ねると、「私は中東特派員だ。いま戦場になっているところも、それまでは平和に人々が暮らしていた。何度も訪れたことがある見慣れた街が戦場に変わるのだ」と答えました。
主要メディアの記者が民間警備員に守られ、ホテルで現地通信員からの情報をまとめている状況を嘆いて、「伝えたい人たちの話があるから、そこに行くのだ。どうして警備が必要なのか」と首を傾げました。フィスク記者はインターネットに頼らず、長年の取材で培った人脈から現場の情報を得ています。
米中枢同時テロの後、米国が中心になってアフガニスタンを空爆。01年12月、取材のためパキスタンからアフガニスタン入りを目指したフィスク記者はアフガン難民と出くわします。話を聞こうとしたフィスク記者はアフガン難民に襲われ、別の難民に救い出されます。
米国は、アルカイダの指導者ウサマ・ビンラディンをかくまうイスラム原理主義勢力タリバンからアフガンを解放する戦争だと大義名分を掲げていましたが、実際は空爆の巻き添えになって家族を失ったアフガン住民の怒りを増幅させていたのです。
フィスク記者は負傷した自分の写真をインディペンデント紙に掲載、「私の負傷こそが、この不快な戦争の嫌悪と怒りを物語っている」と伝えました。「反米的だ」と批判を招きましたが、その後、フィスク記者の視点の確かさが裏付けられました。
「撤収? そんなことを真に受けているのか」
話をうかがった当時、バラク・オバマ米大統領がアフガンからの撤収を発表しましたが、「撤収? そんなことを真に受けているのか。米国はこの戦争に負けたのだ。先日、タリバンの兵士に会って来たが、彼らは自分たちで戦功や信仰についてまとめた雑誌を作って戦場で読んでいる。兵士の一人は『米国や英国の兵士にはこんな余裕はないだろうね』と話していた」というエピソードを教えてくれました。
「戦場での取材で生命の危険を感じたことはありますか」と尋ねると、フィスク記者は「生きていなければ記事は書けない。死ぬかもしれないリスクを冒すのは、自分しか伝える人がいないときだ」と強調しました。
筆者はインターネット全盛の時代、自らの危険を顧みず紛争地に潜り込んで見たり聞いたりしたことを伝えてきた安田さんはかけがえのないジャーナリストだと思います。実際に現場に行ってみないと本当のことはなかなか見えてこないからです。
(おわり)