武豊と蛯名正義、タッグで初勝利をあげた2人の、初顔合わせや凱旋門賞の逸話
同期の2人
5月15日、午後1時38分。曇り空の下、東京競馬場のウィナーズサークルは温かい拍手で包まれた。
その中心にいたのは調教師の蛯名正義、そしてジョッキーの武豊だ。
共に現在53歳のこの2人が競馬学校の同級生である事は広く知られている。以前、第一印象を伺った際、武豊は「当時のエビちゃんは地方から出て来たばかりで方言がキツくて何を言っているのか分からなかった」と笑いながら話し、蛯名は「『あぁ、彼が武邦彦さんの息子かぁ……』と思った」と言っていた。
デビュー後の両者の活躍は皆さんご存知の通り。そんな活躍ぶりについて、互いに「刺激になった」と語っていた。
印象的だったのは2001年の有馬記念(GⅠ)だ。
武豊はその前年まで9年連続でリーディングジョッキーの座に君臨していた。この前年の2000年には夏以降、アメリカの西海岸にベースを置きながらもリーディングの座は死守した。
しかし、翌01年はフランスに長期滞在。そのため日本での勝ち鞍は半減し、トップの座を明け渡す事になった。
ここで意地を見せたのが蛯名だった。前年には武豊同様、アメリカへ飛んでいた。こちらは東海岸で汗を流した。そんな経験と確かな技術に裏付けされていたのは勿論だが、まるで「ユタカのためにも同期でやって来た自分が獲らねば!!」と感じさせる気概を見せ、見事にその座を奪取。武豊が通年、日本にいたとしても負けていなかったのでは?と思わせる好騎乗を繰り返した。
そして、そんな1年を象徴したのが有馬記念だった。
逃げたのは武豊騎乗のトゥザヴィクトリー。6番人気の伏兵だったが、天才の絶妙なペースで持ったまま直線に向くと、そこからまた秀抜なタイミングで追い出した。
逃げ切るかと思えた同馬を、ゴール寸前で捉えたのが蛯名に操られたマンハッタンカフェだった。
レース後、この年を華麗に〆た新たなるリーディングジョッキーに、手を差し伸べた武豊は冗談を交えながら言った。
「エビちゃんが勝つお膳立てをしてあげたよ」
これに対し、手を握り返した蛯名は答えた。
「いやいや、逃げ切る寸前だったじゃないか?!」
好敵手であり、尊敬し合う2人の仲が垣間見えた瞬間だった。
凱旋門賞での2人
それから9年後にも、面白い出来事があった。
忘れもしない10年10月2日の夜。2人はフランスのパリ市内にある日本の小料理屋にいた。乾杯をして、翌日に迫った凱旋門賞(GⅠ)での健闘を誓いあったのだ。
「ユタカがいたから自分もここまで来られた」
蛯名がそう言えば、武豊は次のように答えた。
「競馬学校の同期2人が凱旋門賞で戦えるなんて夢のようだね」
大一番に備え、早目のお開きとなったが、正に夢のようなひと時だった。
そして、レースでは武豊のヴィクトワールピサは7着に沈んだものの、蛯名のナカヤマフェスタは勝ったワークフォースに頭差まで迫る2着。後に武豊は言った。
「エビちゃんが勝ち負けの叩き合いを演じているのは後ろから見て分かりました。自分は勝負圏外になっていたので、エビちゃんを応援しました。滅多にあるチャンスでない事はよく分かっているので、本当に勝ってほしいと願いながら応援していました」
武豊にとって凱旋門賞はデビュー前からの憧れのレース。勝ちたいと願ってやまないレースであり、出来る事なら日本人騎手として最初に先頭でゴールを駆け抜けたいと思っている事だろう。しかし、この時は「本気で応援した」と語る。この言葉にも2人の関係性が表れていた。
それから干支が丁度ひと回り。調教師となった蛯名が、武豊を乗せて勝利したのは冒頭で記した15日の競馬。ダイナストーンでの勝利は条件戦とは思えないほどの盛り上がりを見せた。2人の多くのファンがこの時を待っていたと思わせる勝利で、口取りの際も沢山のファンがウィナーズサークルを取り囲んだ。
12年前「凱旋門賞で戦える」喜びを語った2人だが、今度は「凱旋門賞で“タッグを組んで”戦える」といえる日が来る事を願い、2人のますますの活躍を応援したい。
(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)