家族が集まるお盆は人生会議とACPのベストタイミング 「もしも」が起こる前に行っておきたい人生会議
このような時、皆さんはどうしますか?
皆さんはこのお盆の時期に必要な人生会議あるいはACPをご存知でしょうか?
まず、ある例を挙げましょう。
山田さん(仮名)は70代の男性です。
一度、息子さんの明さん(同)に「俺は延命は勘弁だな」と言ったことがあるそうです。明さんが「そうなの?」と返すと、「重い病気になったら、延命なんて一切しないで俺はすぐに死ぬので良い。自分で食べられないとかだったら俺を生かす必要はない」と。
明さんは山田さんと同居ではありませんから、会うのは盆と正月だけ。それも家族を連れての帰省なので慌ただしく日々が過ぎてしまいます。
元々山田さんは饒舌ではありませんし、父と息子という関係も相まって、いつもそれほど会話量も多くはありません。
そんなある日―
明さんに、山田さんが脳梗塞で倒れたとの報告が入りました。
山田さんは一命を取り留めましたが、左大脳の広範囲の脳梗塞で、失語や右半身麻痺、嚥下障害が残りました。そのような状況なので、その後は意思疎通も十分ではありません。
そんなある日、明さんは母と妹とともに医師に呼ばれました。医師が説明します。
「現状なのですが、嚥下機能が低下しており、頻繁に誤嚥(ごえん。唾液や食物が気管に入ってしまうこと)を起こしており、山田さんは食事を口から摂るのが困難です。今後のことを考えると、胃ろうを作るのが良いと考えます」
胃ろうとは、胃に穴を開けて、そこから栄養を入れる手段です。
「それでお願いします」すぐに答えた母と妹でしたが、明さんは悩みました。
(待てよ、親父は“食べられなければ生かす必要はない”と言っていた。しかも、今のような状況で生きることはそもそも望んでいなかったのではないか?)
「いいのかよそれで?」明さんが言うと、皆が驚きました。
「だってそうだろ? 親父はこんな時にどうするかって言っていなかったじゃないか。それどころか、重い病気になったら一切延命するな、すぐに死ぬ、食べられないのに生きている意味がないって確か言ってたよな? するとこれは親父の意思に反するのじゃないか?」
皆が黙りました。
明さんの言う通りに、ご本人のかつての希望だからと胃ろうをしなければ、医学的には不利益なことが考えられます。けれども、ご本人に尋ねても、しっかりとした意思が表示できる状況ではありません。
皆さんが明さんだったらどうしますか?
ACPや人生会議が必要な理由
このような事例は確かに誰にも起きるわけではありません。
けれども認知症等で、次第に自分の意思が正当に表示できなくなる疾患も少なくありません。
あるいは山田さんのように、不意に脳梗塞等を起こして、以後ご自分の意思がほぼ表示できなくなるケースもあるのです。
山田さんのケースでは、確かにある程度事前に意思が表示されていたものの、今置かれている状況において家族がどうすべきなのかを判断するには材料が不足しています。
結果、明さんやご家族は大変悩むこととなったのです。そもそも本当に山田さんの望む通りなのかもわかりません。
私たちは誰でもこのような問題を抱える可能性があります。
あるいは、皆さんのご家族の誰もが、特に年長者の方のほうが可能性としては高く、このような状況に突然陥るかもしれません。
そのため、もしこのようなことが起こったとしても、できるだけ本人の意思を継続的に反映する手段として発展してきたのが、これから述べるACPであり、人生会議なのです。
皆さんは人生会議をご存知でしょうか?
厚生労働省のリーフレットが簡にして要を得ているので、引用します。
「誰でも、いつでも、命に関わる大きな病気やケガをする可能性があります。
命の危険が迫った状態になると、約70%の方が、医療やケアなどを自分で決めたり、望みを人に伝えたりすることが、できなくなると言われています。
自らが希望する医療やケアを受けるために大切にしていることや望んでいること、どこでどのような医療やケアを望むかを自分自身で前もって考え、周囲の信頼する人たちと話し合い、共有することが重要です」
とあります。また「心身の状態に応じて意思は変化することがあるため何度でも繰り返し考え話し合いましょう」とも書かれています。
この人生会議は元々の名前をACP(エーシーピーと呼ぶ。アドバンス・ケア・プランニング)と言いました。
ACPとは前もってこれからの治療やケアを話し合ってプランニングすることを指し示しています。
しかし、英語をそのまま訳しただけなのでなじみ深くありません。
厚生労働省は「ACP:アドバンス・ケア・プランニング」の名前のまま普及を進めてきたのですが、後述するように世間の認知度が高くなく、よりなじみやすい言葉となるよう「人生会議」という愛称を作ったとのことです。
さらにACPや人生会議には医療者を含めることが一般的ですが、それが必須とは限らず、このような事柄を普段からよく話し合うことが大切です。
実際「医療従事者とだけでなく、家族会議や食卓の場など、身近な場面でも話し合えるくらい浸透して欲しいという強い思いから『人生会議』という愛称をつけ」られたのです。
ではどれくらい浸透しているのでしょうか?
データが示すACPの周知の不十分さ
一般の方に、どれくらいACPが知られているのか。
それを知ることができるのが、「人生の最終段階における医療に関する意識調査報告書」(平成30年)です。
それによると、ACPを知らない一般国民は75.5%に及びました。
知らないため、賛否も表明しようがないというところで、ACPには賛成も64.9%と多いのですが、次の「わからない」も30.7%もあったのです。
ちなみに最近は「終末期」という言葉も「人生の最終段階」と呼ばれていますが、そのような状況を迎えた場合における医療に関して、家族等と詳しく話し合っている人の割合も、一般国民の僅か2.7%にしか及んでいないことがわかっています。これは大変低い数字です。
誰もが山田さんや明さんの立場になりうるのに、心もとないデータと言えるでしょう。
ACPや人生会議で話し合われること
ACPや人生会議ではどのようなことが話し合われるのでしょうか?
先ほどもリーフレットの文言で紹介しましたが、まとめると
・本人の気がかりや意向
・本人の価値観や目標
・(病気等に既にかかっている場合は)病状や予後の理解
・医療や療養に関する意向や選好、その提供体制
等になります。
参考になり誰もがダウンロードできるものとして、厚生労働省の委託事業で神戸大学が作成した良いリーフレット「これからの治療・ケアに関する話し合い-アドバンス・ケア・プランニング -」があります。
これは、書かれている質問に答える形で、自分の希望を記載できるリーフレットになっており、話し合う土台として作成しておく意味があるものに仕上がっていると考えます。
自分の思いが明確化したら、それを家族等とよく話し合って共有しておくことが重要なのは忘れてはならない点です。いざという時に成り代わって判断するのは、それらの存在なのです。
ACPと緩和ケアの関係
緩和ケアは末期だけではなく、がんと診断された時から患者さんやご家族の生活の質を改善するアプローチのことを呼びます。
生活の質を改善する上で、ご本人の価値観をよく皆と共有して頂き、最適な解を一緒に探してゆくことは大変重要な意味を持ちます。
そのため、緩和ケアの担い手の医療者は、このような対話の機会を持てるように動いて仕事をしています。
実際、早期からの緩和ケアの要素としてACPは含まれているのです。そして病気が進行するほど、それが必要となっているというデータもあります。
ACP及び人生会議のまとめ
ACPや人生会議には様々な意見があります。
けれどもそれは本来第一に本人のため、第二に家族等の大切な人のためのものです。
終末期に限らず、これらの話し合いは大切です。なぜならば、冒頭の事例のように、健康から一転意思表示ができない病気になってしまったり、自らの認識が乏しいうちに認知症となって進行し、いつの間にか意思表示ができなくなってしまったりするかもしれないためです。
人の意思は変わりますから、人生会議やACPは繰り返し行われることが勧められていますし、実際それが大切だと思います。
幾度もの話し合いを通して、見えてくることもあるためです。
盆や正月は、ACP及び人生会議のベストタイミングです。とりわけお盆は時節柄、家族ですでに旅立った方たちとの距離が近く感じる時期であり、我が身を振り返って行く末を集まった家族と語り合う絶好の機会です。
もし冒頭の山田さんのようなことがあった場合は、あるいは治らないがんとわかったら、あるいは認知症になって自身がそれとの認識がなかったら、それぞれどうするのか?
今年は、ぜひよく話し合って頂くと良いでしょう。