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「筆算に定規を使わないと×」に潜む、小学校教育への違和感

妹尾昌俊教育研究家、一般社団法人ライフ&ワーク代表理事
写真素材:photo AC

 1週間ほど前だが、小学生の算数の宿題で、筆算を定規を使わずに提出したところ、160問やり直しを指示された、というニュースが話題になった。また、別の学校でも、筆算で定規を使わなかったところ、テストで減点されたという話もあるそうだ。

「なぜ筆算の横線を、全て定規で引く必要があるのでしょう」。福岡県内の小学校に通う小学5年男児の親族の女性(34)から、特命取材班に相談が寄せられた。夏休みの宿題を提出したところ、横線が手書きだったとして、担任に「書き直し」を命じられたという。指導の背景を探った。

 女性によると、担任は日ごろから定規を使うように指導。男児は疑問を抱きつつも注意されるのが嫌で基本的に従ってきた。今回、筆算の一部は「別にいいだろう」と自分で判断し、手書きで線を引いたという。

 すると、担任から保護者に書き直しを求める電話があった。対象は160問分。理由を尋ねると「計算ミスが減るし、みんなにやらせている」。女性は「計算のリズムが崩れるし、自分なりのノートの取り方を見つけるのも勉強ではないか」と不思議がる。

出典:西日本新聞2019年9月24日

 やりなおし「指導」には違和感があったが、「正確な計算をするためには有効」、「小学生では慣れないうちは、桁をグチャグチャにして筆算ミスをするケースも多いから、定規できれいに線を引いて、桁をそろえるようにすることは、ひとつの方法」といった声も、現場の小学校教員からたくさんあった。

 そうかもしれない。だが、ここのところ、ずっと考えていたのだが、違和感は別のところにもある

 なお、ぼくは算数教育については、専門家ではないので、理解不足な部分も多いと思う。その点はお断りしたうえでになるが、今回の問題を分析、分類してみる。少々理屈っぽくなるが、論点をごちゃ混ぜにすると、議論がかみ合わなくなる。

◎主な論点

1)筆算のミスを減らす(あるいは、確実な筆算の計算方法を習得する)ためには、定規を使うことは有効ではないか。

2)ちゃんとした線を引けるようになるために、定規を使う練習は、必要ではないか。

3)誰かだけOKと例外を認めると、学級がうまくいかなくなるのではないか。

4)夏休みの宿題として、160問も練習させることは、有効なのか。

5)定規を使っていないという理由で、やり直させるのは、妥当なのか。

6)そもそも、筆算をそこまで練習させる意味はあるのか。

写真素材:photo AC
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1)筆算のミスを減らす(あるいは、確実な筆算の計算方法を習得する)ためには、定規を使うことは有効ではないか。

 前述のとおり、有効だとおっしゃる小学校教員等はけっこういる。

 一方で、

「中学生や高校生になると、テストで定規を使うと不正行為とみなされることもあるので、フリーハンドでも正確な筆算をできるようにしておくべき。」

「桁をそろえて計算させるなら、方眼付きのノート、プリントを使うなど、定規にこだわる必要はない。」

 との意見もあった。

 児童生徒の発達段階や、起きやすいミスなどの状況に応じて、考えていく話だろう。定規の使用で、たしかに計算ミスは減るのかもしれないが、そこは検証してみないと、確実なことは言えない。論点1)については、こういう意見もあるという紹介にとどめておく。仮にこの1)がクリアーしても、以下の論点も考えておく必要がある。

2)ちゃんとした線を引けるようになるために、定規を使う練習は、必要ではないか。

 この指摘も、特に小学校の先生からはあった。小学生のうちは筆圧が弱いなどの理由で、ちゃんと線を引けない子もいる。練習しておく必要がある、という声である。

 そうかもしれないのだが、だからといって、筆算でひたすら定規の練習を繰り返すことがいいことなのか、ギモンが残る。また、その話をするなら、フリーハンドでもある程度まっすぐな線を引ける練習も必要であろう。

 ある小学校の先生から「定規の練習ならば、次の例のような別の課題のほうが楽しくできる」というアドバイスをもらった。

画像

出所)Edupediaより

3)誰かだけOKと例外を認めると、学級がうまくいかなくなるのではないか。

 こういう悩みも小学校の先生等には多いし、ある程度、理解、共感できる。

 しかも、論点1)とも関わるが、「正確な筆算ができる子は定規を使わなくていいよ」と言うと、できない子も定規を使わなくなって、結局、筆算の習得が遅れる、という意見もある。

参考)https://teachers-job.com/n-jougi/

 一方で、そこは先生の伝え方や指導次第なのでは、という気もする。全員に同じことをさせなくても、うまく学級運営している教員もたくさんいることだろう。

 それに、「なるべく例外を認めたくない」という頑な姿勢では、発達障がいなどで教員の指示のとおりに進めるのが難しい子は、どうなるだろうか。

4)夏休みの宿題として、160問も練習させることは、有効なのか。

 冒頭の記事によると、夏休みの宿題として160問やり直しをさせた。そもそも、この宿題についてギモンが残る。

●筆算が得意で、できる子にとっては、160問もやる意味は薄い。厳しい言い方をすれば、時間のムダと捉える見方もあろう。

●筆算が苦手で、ミスが多い子にとっては、宿題で訓練することで、できるようになる子もいるだろうが、自学が主体の宿題では上達しない子もいるだろう。どこでミスをしやすいかなどが自分では分からない子もいる。保護者も細かく見られる家庭ばかりではない。授業中に身につかなかった子が、夏休みの宿題で身につくようになるという楽観論は、何を根拠にそう言えるのだろうか。

●夏休みなので、1日5問でもあれば、1ヶ月ちょっと、1日10問やれば16日で終わる量ではあるが、苦手な子にとっては、かなりつらいだろう。算数や筆算を嫌いにならないだろうか。

 論点1)と似ているが、宿題がどういう子にとって有効なのか、量が適切なのかどうかは、確認、検証していきたいことだ。こういう検証は、文科省の研究や大学の附属小学校などの研究校では、やらないのだろうか?

5)定規を使っていないという理由で、やり直させるのは、妥当なのか。

 冒頭の記事で気になるのは、この先生が、定規を使うことに固執している感じがすることだ。「定規を使ったほうがミスが起きにくいので、定規を使った筆算で練習してみよう」などと声をかけて、数問やり直させてみるくらいなら、理解できるが、160問すべてやり直せ、というのは、まさに「杓子定規」ではないか?

 論点4)とも関連するが、この子が算数嫌いにならないか、心配だ。仮にそうなってしまっては、なんのための宿題や算数指導なのか、分かったものではない。

6)そもそも、筆算をそこまで練習させる意味はあるのか。

 定規を使うか使わないか、というテーマからは離れるが、そもそも、筆算にそれほどの練習量は、必要なのだろうか。社会人になって、筆算をするシーンは、おそらくほとんどの人にとって、ない。

 電卓、スマホ、パソコンの表計算ソフトなどを使うほうが一般的だろう。もし経理部の人が筆算で仕事をしていたら、「おいおい、大丈夫か」という話になる。

 だが、日本の学校でのテストでは、スマホ、PCなどは持ち込み不可の場合がほとんどである。不正行為とみなされてしまう。現実社会と学校教育とのあいだにギャップが大きいままでいいのだろうか、考えていくべき話だと思う。

 もちろん、四則計算のルールや構造を理解するために、筆算が有効な部分などもあるのだろう。社会人になって使わないからといって、学校教育でやらなくていい、とは限らない。

 小学校の学習指導要領を読むと、「筆算による計算の技能を確実に身に付けることを重視するとともに,目的に応じて計算の結果の見積りをして,計算の仕方や結果について適切に判断できるようにすること。」とあるように、筆算の習得は重要視されている。これを受けて、小学校の先生の多くは、確実に筆算ができるようにするために、定規を使うかどうかも含めて、さまざまな指導上の配慮や工夫をされていることだと思う。

 だが、日々の授業に加えて、本件では、夏休み中も使ってのトレーニングである。筆算に限ったことではないが、日本の小学校は、漢字の書き取りや計算問題などに多大な時間を使っているが、本当に望ましいことなのだろうか。機械やGoogleにお願いすればできることを反復練習させ、アウトプットさせることに躍起になっているとすれば、それで本当にいいのだろうか。

 この論点6)を現場の教員に問いかけるのは、少々酷かもしれない。前述のとおり、指導要領のあり方として、筆算などの基本をどこまで重視していくかは、検討していくべき話だろう。とはいえ、個々の学校で年間指導計画をつくるように、どのようなことを、どのくらい重視していくかは、個々の学校、教員の裁量が働く領域でもある。

 ちなみに・・・、もし今回の記事が、筆算の定規の話題ではなく、「そろばんを使って計算しよう」という宿題であった場合、どういう反応が、保護者や世間、あるいは現場の先生たちからあっただろうか、と思う。

 そろばんこそ、ほとんど実社会では使わない。160問もトレーニングする必要性は高いと言えるのかなど、ギモンの声が出そうだ。

 だが、そろばんについても、小学校の学習指導要領ではちゃんと記載があり、3年生などで習うことになっている。

 学習指導要領は、いわゆる「ゆとり教育」の見直し以降、どんどん内容が厚くなっている。スクラップ&ビルドとはなっておらず、プログラミング的な思考を入れてみたり、ビルド&ビルドである。

 ぼくは算数教育は専門外なので、素人目線に過ぎないが、そろばんの習得がどれほど重要なのかは、ギモンだ。筆算も全くやらなくていいとは思わないが、もう少し分量やウェイトは考えてもいいのではないか、と思う。

 しかし、指導要領や教科書の内容で、何かを削る、減らすとなると、反対する人や団体が出てくる。だから、指導要領等の削減はすごく難しい。

 「そろばんをやることで、集中力や忍耐力が身につく」といった意見もあるが、集中力や忍耐力は、別にそろばんでなくったって、伸ばしていける。

 筆算にせよ、そろばんにせよ、世の中は大きく変化しているのに、小学校現場、あるいは指導要領を考える文科省は、古いままなのではないか、と言うと、言い過ぎだろうか。

 たかが、筆算の宿題で話を大きくし過ぎだ、というご意見もあろう。

 だが、いまも、毎日のように、小学生の子どもたちは、漢字や計算の反復練習等に励んでいる。プリントや宿題の丸付け、添削で、教員はさらに忙しくなっている。では、機械に置き換わりにくい、思考力や創造力を育てる学習に、子どもも教員もたっぷり時間を取れているだろうか、と問われて、「うちの学校はバッチリです」というところは、おそらく少ない。

 ぜひ、学校の先生方、文科省、算数・数学などの専門家には、改めて、小学校教育での優先順位の置き方を見つめなおしてほしい。

◎妹尾の記事一覧

https://news.yahoo.co.jp/byline/senoomasatoshi/

教育研究家、一般社団法人ライフ&ワーク代表理事

徳島県出身。野村総合研究所を経て2016年から独立し、全国各地で学校、教育委員会向けの研修・講演、コンサルティングなどを手がけている。5人の子育て中。学校業務改善アドバイザー(文科省等より委嘱)、中央教育審議会「学校における働き方改革特別部会」委員、スポーツ庁、文化庁の部活動ガイドライン作成検討会議委員、文科省・校務の情報化の在り方に関する専門家会議委員等を歴任。主な著書に『変わる学校、変わらない学校』、『教師崩壊』、『教師と学校の失敗学:なぜ変化に対応できないのか』、『こうすれば、学校は変わる!「忙しいのは当たり前」への挑戦』、『学校をおもしろくする思考法』等。コンタクト、お気軽にどうぞ。

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