ノルウェーの若者はヘイトスピーチをどう学ぶか
ノルウェーの首都オスロにある小さな会場で、約40人の15~25歳の若者が集まり、ヘイトスピーチについて学んでいた。
この国で対策を求める声が強まったのは、いつからだったろうか。
2011年のテロ事件はノルウェーを大きく変えた。極右思想を持つアンネシュ・ベーリング・ブレイビクにより、77人が殺害された。労働党の青年部の夏合宿中に、政治活動に熱心な若者を標的とした事件は、市民に衝撃を与えた。
労働党の移民政策に否定的だったブレイビクの思想は、彼個人だけの問題ではない。放置しておけば「第二のブレイビク」が生まれてしまう。市民が差別や過激思想を育てないための予防や議論が必要だと言われ続けてきた。
「ヘイトスピーチを止めよう」(Stopp Hatprat)団体による若者会議のテーマは、「発言の自由と発言の責任」だ。出席者の多くは高校生。参加した理由を聞くと、
- 「私はあまり体験していませんが、周りの人が差別されることもあるだろうから、考える機会が欲しかった」
- 「これほど深く発言内容について考える機会は、学校ではないから」
- 「自分とは違う他の人の考えに触れたかったから」
- 「ネットにはヘイトスピーチがあふれているから」
いつでも誰にでも起こりえるから、今から対策を学びたいと思い参加している人が多かった。
団体スタッフの多くは、若い世代のボランティアだ。本業は軍隊だという人もいた。ヘイトスピーチを学んだボランティアの彼らは、団体の「大使」と呼ばれ、メディアで取材されることもあれば、各地の学校で講演も行う。
ノルウェーでは高校の社会科の授業で差別を学ぶが、深く教える場合はこのように専門団体を派遣してもらい、教師の負担を減らしている。
若者を専門家として要請し派遣することでも、同世代でコミュニケーションも円滑に進み、携わる人たちにも責任感や考えようとする意識が生まれるだろう。
- 「教室で『ホモ』という言葉が聞こえてきた。特に男子はこの言葉を問題だと認識していないことも多い。『だめだ』という境界線はどこなのだろう?」
- 「発言の自由とは?」
- 「差別的な団体があったとする。団体活動は禁止されるべきか?」
- 「上司がフェイスブックに差別投稿をしていた。既読数は少ない。投稿は消されるべきか?」
様々な問いが出て、5人ほどのグループで考えを出し合い、発表する。
印象的なのは、「正しい答え」を探そうとしているわけではなかったことだ。それぞれの答えに正しいか・間違っているかなどの評価はしない。
「45分という限られた時間で社会を変えることはできませんが、参加者に方向性を見せることは可能です。対話スキルの育成は時間がかかりますが、ここで何かを体験し帰ることはできます」
「正しい答えはなくて、『安心して、自分の考えをここでは発言していいんだよ』ということを体験・練習してもらえれば。ここでは誰かに発言内容を審査されることはありません」とスタッフは答えた。
個人と意見は違うということも学ぶ。「あなたの今言ったことは残念だった」けれど、それは「あなた自身が残念な存在」だという意味ではない。
このような「発言内容と個人を分ける」という議論テクニックは、ノルウェーでは生涯をかけて至るところで教育が行われている。
会場にはオスロ副市長、平等大臣、インフルエンサー、政党の青年部代表など、ニュースでもよく見る有名な政治家たちも来ていた。
ヒジャブを被ってのノルウェー生活を安全だと思えない葛藤、差別団体が国会前でデモ活動をできることに対しての憤り、若者のささいな言葉遣いが差別へとつながりかねない懸念、過激発言が放置状態のフェイスブックなど、それぞれの思いを参加者が大臣や警察官にぶつけていた。
なぜ差別団体も国会前でデモをすることが許されるのか、できる対応などを警察は説明。高校生が警察からここまで回答してもらえる機会はめったにないだろう。
トークショーに参加していたインフルエンサーのマリオ・アレクサンデルさんは、「発言の責任にフォロワー数は関係ない。閲覧数は急に上がることもある。ネットに誰もが掲載できる時代、全ての人に発言の責任はある。政治家や公の人を批判することは誰にでもできるけれど、個人攻撃はしないで」と、批判と個人攻撃を分けることの重要さを訴えた。
この勉強会は週末に2日間かけて開催。参加者の交通費・食費・宿泊費は団体がカバーし、団体の活動資金は国からの補助金だ。
ノルウェーでは毎年の国家予算が発表される度に、このような団体にどれほどのお金がまわるかは大きく注目される。国民の税金が差別対策に使われていることが目に見える現場だった。