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なぜEU離脱の国民投票を実施したのか キャメロン元英首相の回顧録から、背景を辿る

小林恭子ジャーナリスト
回顧録の販促のため、英テレビに出演したキャメロン氏(左)と妻のサマンサさん(写真:REX/アフロ)

 「メディア展望」(新聞通信調査会発行)2月号掲載の筆者記事に補足しました。

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 今年1月、英国は欧州連合(EU)から完全離脱した。離脱の是非を問う国民投票で離脱支持票が残留票を僅差で制してから、約4年半。加盟国のEU離脱は英国が初だ。

 1973年にEUの前身欧州共同体(EC)に加盟して以来、英国はその経済上及び政治上の恩恵を享受してきた。離脱を政治議題として取り上げ、国民投票で決着を図ったキャメロン元英首相(在職2010年ー16年)の判断を疑問視する声は消えていない。

 キャメロン氏の回顧録『フォー・ザ・レコード』(2019年9月出版)から、同氏がなぜ国民投票を実施せざるを得なくなったのかを紹介してみたい。

元々、欧州懐疑派だった

 キャメロン氏は1966年、ロンドン生まれ。裕福な家庭で育ち、私立の名門イートン校からオックスフォード大学に進学した。

 卒業後は保守党調査部に所属し、政策資料の作成や政治家の演説原稿の執筆に従事。この頃、「人のために奉仕したい」という強い気持ちに駆られたという。「公のために尽くす職業」として政治家の道を志向した。

 一旦民間企業に勤務後、2001年、下院議員として初当選。05年には39歳で当時野党だった保守党の党首に選出され、弱冠43歳で首相となった。

 党首就任後、キャメロン氏は右傾気味だった保守党を中道化させ、社会的リベラル政策を導入していく。

 しかし、彼自身が「本当の欧州懐疑派」だった。05年の保守党党首選の時点で、離脱こそ主張しなかったものの、「(欧州)統合は進み過ぎた」、「(欧州委員会がある)ブリュッセルは過度に官僚主義的だ」、「国民には将来の方向性について意見を言う機会が与えられるべき」と思っていたという。

 保守党内で、国民投票が現実的な選択肢の1つとして浮上していく過程をさかのぼってみる。

 2005年の党首選の前年となる04年、欧州統合を深化させる欧州憲法条約がローマで調印されたが、フランスとオランダが国民投票で批准を拒否してしまう。

 時の労働党ブレア政権(1997-2007年)は英国でも国民投票を行うと表明していたが、結局は実施されなかった。その後、憲法条約とほぼ同一内容のリスボン条約への調印交渉が進んでいく(調印は07年12月、発効は09年12月)。

 キャメロン氏は「将来、保守党政権が成立すれば、このようなEUの条約批准の際には国民投票を行う」と述べるまでになった。

 英国がリスボン条約を批准したのは08年7月、ブレア氏の後のブラウン政権下(2007ー10年)で、この時も国民投票は行われなかった。

 2010年5月の総選挙では、単独勝利した政党はなかった。最多の議席を獲得した保守党は、親欧州派の自由民主党と連立政権を発足させた。

国民投票実施の決断とその遺産

 首相になったキャメロン氏がEU加盟継続か離脱かの国民投票を行うと明確に述べたのが、2013年1月23日、ブルームバーグ社ロンドン本部での演説だった。「次の総選挙で保守党が単独勝利すれば、国民投票を行う」と宣言した。

 本当は「実現しないと思っていた」という説があるが、キャメロン氏は回顧録の中で「嘘だ」と否定している。「EUは変化している」、「ユーロ圏の統合推進派がEUを牛耳っている」、「(ユーロを導入していない)英国が取り残される危険性がある」と危機感を持っていたという。

 キャメロン氏としては、EUに「留まりながら」(この部分をイタリック体で表記し、2度繰り返している)英国の国益を守るために改革をするつもりだった。そのための戦術として国民投票を実施し、まず英国内をEU加盟継続の線でまとめようとした。

 なぜ英国はEUの欧州統合の動きに疑念を抱くのか?

 キャメロン氏によれば、それは第2次世界大戦後に結成され、後にEUとして発展する欧州石炭鉄鋼共同体だが、「英国は創設メンバーではなかった」、そして「国民の大部分も『より深い統合』を望んでいない」、という。

 キャメロン氏は、有権者を残留の方向で納得させられなかったことは「失敗だった」と認めている。

 ブルームバーグ本社での演説の際、国民にとってEUからの移民問題が大きな懸念になっていたことや深い幻滅感を生じさせていたことを実感できておらず、経済への負の影響についての理解が不十分だった。なぜ加盟が必要なのかを国民に納得がいくように説明できず、この点を後悔しているという。

 ブルームバーグ演説と前後して、キャメロン氏は統合深化に向かうEUの中で英国の国益を維持するため様々な譲歩をEU側から引き出していくが、国民の不満は収まらなかった。

 2014年5月の欧州議会選挙では英国のEUからの脱退を求める英国独立党(UKIP)が英国に割り当てられた議席の中で最大数を獲得。強硬懐疑派の保守党議員らがUKIPに移籍する事態まで発生した。

 翌15年の総選挙で保守党は過半数の議席を取得して単独政権が成立した。これで前言撤回ができなくなり、国民投票を実施せざるを得なくなった。

 2016年6月の国民投票を「離脱か残留か」の二者択一とし、有権者の何パーセントが投票したかなどの条件を付ける形にしなかったのは、そうすることで「支配者層が偽善を働いた」と国民が受け取ることを避けたかったからだという。

 離脱の選択によって、「愛する英国が今後何年にもわたって不確実性と分断に苦しむ様子を目にするのは心から残念だ」が、キャメロン氏は「EUとの関係を交渉し直し、国民に意見を述べる機会を与えたことは正しかった」という思いは今でも変わっていないという。

 700ページにわたる回顧録を読むと、キャメロン氏が正直に事情を語った印象がある。

 ただ、離脱による国民生活への多大な影響よりも「保守党を一つにする」という党内事情を優先させたようでもある。

 残留支持の左派系新聞「ガーディアン」のコラムニスト、ジョナサン・フリードランド氏はキャメロン氏の説明は「真実を伝えている」ものの、問題は「間違った決断をしたことだ」、と書いている(2019年9月19日付)。キャメロン氏の政治家としての評価ばかりか国民一人ひとりにその結果が「一生ついて回るのだ」。

ジャーナリスト

英国を中心に欧州各国の社会・経済・政治事情を執筆。最新刊は中公新書ラクレ「英国公文書の世界史 -一次資料の宝石箱」。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 連載「英国メディアを読み解く」(「英国ニュースダイジェスト」)、「欧州事情」(「メディア展望」)、「最新メディア事情」(「GALAC])ほか多数。著書『フィナンシャル・タイムズの実力』(洋泉社)、『英国メディア史』(中央公論新社)、『日本人が知らないウィキリークス』(洋泉社)、共訳書『チャーチル・ファクター』(プレジデント社)。

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