切ないことだらけの人生をしなやかに生き抜く秘訣【実家が全焼したサノ×倉重公太朗】第1回
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今回のゲストは、実家が全焼したことのある新橋のサラリーマン、サノさんです。Twitterでは「実家が全焼したサノ」というアカウントで切ない出来事を呟いており、フォロワーは6万人を超えています。5月には書籍『実家が全焼したらインフルエンサーになりました』(KADOKAWA)を上梓しました。母親は蒸発、父親は自殺、実家は全焼……。貧しすぎてドックフードを食べたり、父親がアダルトビデオのショップを始めたりと、切ないことだらけの人生をポジティブに乗り越えてきたサノさんの半生から、「しなやかに生きる」コツを学びましょう。
<ポイント>
・子どものころに母が失踪。父は酒浸りに……
・実家が燃えたとき父は「全焼しろ」と祈った
・どうしてグレずに大学進学できたのか?
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■ドックフードを食べるほどの貧困生活を送る
倉重:今日お越しいただいているのは、『実家が全焼したらインフルエンサーになりました』という本を出されているサノさんです。Twitterのフォロワー数が6万人を超えていらっしゃる有名な方で、人生でいろいろな切ない出来事があったようです。簡単にというのは難しいかもしれませんが、自己紹介をお願いしてよろしいですか?
サノ:先ほどご紹介をしていただいたとおり、Twitterでは「実家が全焼したサノ」というアカウント名で活動をしています。僕自身は今、新橋でサラリーマンをしています。前職はホストクラブで働いていたり、バーの経営をしたりしていました。去年から、Twitterで毎日自分の身に起きた「切ない」ことをつぶやいていたら、1年間でフォロワーが約6万人に増えました。そして、それがきっかけで『実家が全焼したらインフルエンサーになりました』という本も出版しました。
倉重:1年で6万とはすごいですね。
サノ:狙っていたわけではありませんが(笑)本日はよろしくお願いします。
倉重:私から紹介をするのもなんですけれども、お父さまが自殺をされたり、お母さまが蒸発をされたり、実家が全焼するという、「切ない」とサラッと言っていいレベルではない話が連続しているのです。「よくこの人は今まっとうに生きているな」と思います。
サノ:「切ない」にもいろいろありますが、幼少期のエピソードには、貧乏に関する切ない体験談が多かったです。実家が全焼して全財産を失ったり、父が貧乏から脱却するためにアダルトビデオ屋を開業したりしました。しかしアダルトビデオ屋の経営に失敗して、結果的にもっと貧乏になり、ドッグフードを食べたこともありますね。
倉重:お年玉をお父様にだまし取られた話もありましたね。
サノ:そうですね。大事に貯めたお金を親にだまし取られるという、なかなか貴重な経験もしました。幼少期は、自分自身が招くというよりは、外部的な要因で引き起こされる切ない体験が多かったですね。
倉重:お母さまは何歳の頃に蒸発されたのですか?
サノ:小2くらいだったと思います。
倉重:そこでまず大ショックですね。
サノ:朝起きたら母がいなくなっていました。父親も最初は「そのうち帰ってくるだろう」と思っていたのではないでしょうか。でも、それっきり帰ってきませんでした。
倉重:今、お母さまと連絡は取れないのですか?
サノ:もう20年以上取っていません。本を出すタイミングで会ってみても面白いかなと思ったのですけれども。すでに別の家庭があるという話も聞いていたので。
倉重:そういううわさは聞いているのですか。
サノ:僕の友達がたまに「自転車でおまえのお母さんが通ったのを見かけたで」みたいなことを言うので、比較的近くに住んでいたのではないでしょうか。
倉重:そのあとお父さんがアダルトビデオ屋を経営したり、お酒におぼれたりして大変な思いをされたそうです。それは中学生くらいでしょうか。
サノ:いや、お酒におぼれていたのは母が蒸発してからなので小学生の時ですね。父はよく酒に酔っては、道行くヤンキーにけんかを売って、ボコボコに殴られていました。弱いのになぜかケンカを売ってしまうのです。
倉重:ご兄弟はいらっしゃるのですか。
サノ:1人っ子です。ただ、母が蒸発した後に妹や弟が生まれているかもしれません。そういえば、母は初婚ではないようで、親戚から「お前にはお兄ちゃんかお姉ちゃんがいる」という話を聞いた覚えがあります。
倉重:なんと!兄か姉がいる可能性もあるのですね。
サノ:それがもし事実だとすると、母は離婚をするたびに、自分の子どもを毎回相手方に置いていくという、当時の女性としては珍しいスタイルを取っているということですね。離婚した時に、必ずしも母親が子を育てなければならないわけではないと僕も思うので、先進的な取り組みだと思います。
■自分の家庭が普通だと思って過ごす
倉重:そういう幼少期を過ごすと、自暴自棄になることを想像してしまうのですが、サノさんはすごくまっとうな感じがします。
サノ:まっとうかどうかは分かりませんが、グレてはいなかったですね、学生時代は。
倉重:小、中学校の時に家庭がつらい中で、どういうふうに過ごしてきたのですか。
サノ:そもそも「家庭がつらい」という認識がなかったです。あまりよその家庭と比較しなかったので、小学生くらいの時は「みんなこんな感じで育っている」と思っていました。
倉重:むしろ普通だと。
サノ:そうです。この環境が特別なものだと思っていなかったのです。
倉重:ドッグフードを食べている時はおかしいと感じませんでしたか?
サノ:確かに「ドッグフードはないだろう」と僕も思いました。ただ、ドッグフードを食べた翌日に、僕が祖母に、ドッグフードを食べさせられたことを告げ口したら、父がめちゃくちゃ怒られていました。きちんと異常なことを叱る祖母がいたので、普通だと思っていたのかもしれません。
倉重:おばあちゃんは近くにいたのですね。
サノ:はい。それもあって、父が怠けていたのだろうと思います。
倉重:お金の心配は、生きていく分にはなんとかなったのですか。
サノ:そうです。「最悪、祖母を頼ればどうにかなる」と父も思っていたのではないでしょうか。
倉重:なるほど。いつごろから、「うちは少しおかしい」と思ったのですか。
サノ:父が亡くなったあとかもしれません。中学・高校くらいから、小学校の時の話をすると、「おまえの家、珍しいよ」と言われるわけです。僕もうすうすと感じていた疑念が確信に変わりました。
倉重:ドッグフード以外だと何がヤバいなと思いましたか。
サノ:例えば実家が全焼した話も、僕が生まれて10年の間に1回経験をしたのだから、僕からすると誰しもが1、2回は経験をするものだと思っていました。それを話すと、「普通1回もないよ」と言われましたね。
倉重:その火事はお隣さんの寝たばこが原因だったのですよね。
サノ:そうです、こちらの過失は一切ありませんでした。
倉重:この時はサノさん、どこにいたのですか。
サノ:その時、僕はたまたま親戚の家で泊まっていました。本当に運が良かったです。父は、「目を覚ましたら周りが火に包まれていた」と言っていました。
倉重:お父さまは保険金をもらいたいから「全焼しろ」と唱えていたそうですね。
サノ:そうです。半焼だと保険金が半分くらいしか出ないらしくて。
倉重:家が燃えているのにすごくリアルですね。
サノ:消防士の方にも「まあまあ、そんなに無理はしなくていいです」みたいな感じで。若干、炎側の味方をしていたそうです。
倉重:「炎、がんばれ!」みたいな。
サノ:そうです。結果は、無事にと言っていいかわかりませんが、全焼しています。
倉重:保険金はきちんともらえたのでしょうか。
サノ:そうみたいです。でも保険金をいくらもらったとか、父は誰にも話しませんでした。父は家族からも借金をしていたので、返済に回されるのが嫌だったから黙っていたのだと思います。僕は5,000円を握らされて、「今これだけ保険金が入ったけれども絶対に言うなよ」と口止めされました。たぶん400万円くらいだったと思います。
倉重:それを5,000円で黙らされたのですね。
サノ:はい。僕も当時、律義に黙っていましたね。
倉重:お父さんのナンパに利用されたこともあるそうですね。
サノ:はい。小さい子がナンパをするなんて、『クレヨンしんちゃん』の世界でしか見たことないですよね? 珍しいし、ネタになると相手方も思うみたいで、ナンパを失敗したことは一度もありませんでした。
倉重:サノさんは幼少時代から女性と話すのは得意だったのですか?
サノ:小学生だったので、そんなに、女性を意識することが少なかったのだと思います。
倉重:高校くらいの時に気付いたわけですか、ヤバいというのは。
サノ:そうです。高校くらいに少し変わっている家なのかなと思いました。
倉重:だからといって、荒れたこともないのですね。
サノ:高校くらいに、「うちは変だったのか」と気づいたとしても、「よし、今から荒れるぞ」となりませんよね(笑)少なくとも僕はそういうふうには振れなかったのです。
■大学に進学することを決意
倉重:金銭的には、文房具が買えないというレベルではなかったのですか。
サノ:本は高価だったので、あまり買えませんでした。そこは祖母にお願いをして買ってもらったり、学校の図書室で本を借りたりしていました。
倉重:高校の時は部活をしましたか?
サノ:ハンドボール部に入って、僕は正サイドというポジションでした。
倉重:私もハンドボールをしていたのです。スポーツもして、きちんと勉強もして、大学に進学されたのですよね。
サノ:はい。大阪経済大学という大学に進学しました。僕の書いた本の巻末企画で、いろいろな人に切なかった話を書いてもらっているのですが、大阪経済大学の学長にも切ない話を書いてもらっています。
倉重:大学進学は特に支障がなかったのですか?
サノ:僕の父も母も中卒です。だから、父と母の下で育っていたら、中学校卒業と同時に就職していたと思います。途中で叔父、叔母、祖父、祖母に育てられる過程で、高卒の叔母に「高校までは出ておいたほうがいいのではないか」と言われ、高校に進学しました。その後、叔父と叔母も離婚し、叔母には新しい恋人ができたのですが、その恋人が僕に大学進学を勧めてくれました。叔母の恋人が、大阪経済大学出身だったので、僕もそこへ行きました。大学進学に特に支障はありませんでしたが、しいて言うと、環境に大学進学は大きく影響するのだろうなと思います。
倉重:費用はどうされたのですか。
サノ:大阪経済大学は、大阪の私立の中だと一番安いのです。それもあって行きました。一応、学費は叔母と恋人が出してくれるという話ではありましたが、進学した途端に、叔母と恋人が別れてしまって。結果的に学費は自分で全部支払うことになりました。
(つづく)
対談協力:実家が全焼したサノ
新橋で働くサラリーマン。幼少期に実家が全焼したことを機に、切ない人生を送る。学生時代はホストクラブで働き、卒業後はバーを経営。その後事業拡大を目指し、京大大学院でMBAを取得するもバーはつぶれてしまう。
Twitterでは「実家が全焼したサノ」というアカウントで毎日切なかった出来事を投稿している。
Twitter:@sano_sano_sano_