コロナ禍でIPCから国内へ転職した28歳。篠原果歩、東京パラ後の未来へ夢を描く(4)最終話
ムーブメントの継続
佐々木:大会が終わると、従事していた関係者が辞めてしまう、関わる人が少なくなってしまって、これからどうしたらいいの? っていうのがあると思うんです。ていうか、逆にそうじゃなかったことがないです。どう考えたらいいでしょうか?
篠原:日本だけじゃなく、IPCもIOCもだけど、大会ごとに退職する人って多いと思うんです。でもその人たちをどうにか、トランスファーっていうか、ほんとに違う世界へいくんじゃなくて、違う角度からパラリンピックムーブメントをサポートしてくれる立ち位置に残して、各方向から固めて、ムーブメントが起きるようなサポートしていただけるようなネットワーク構築って大事だなと思います。そうして、たしかに入れ替わりはあるけど、どこかで、関わっていてくれたら心強いですよね。
佐々木:取材活動もパラリンピックごとに盛り上がって、大会が終わると終了ってなるのはダメで、いつだってこれからが大事なんです。パラ種目だけが障害のある人のスポーツじゃないし、スポーツ、バリアフリー、国際的な交流と広がった視野を持ってどうするかが大事。取材活動で大会に参加して得た知識や経験を使っていかに社会を良くしていけるかだと思います。
パラを取り巻く世界
佐々木:パラリンピックが終わりましたけど、世界と日本人の課題感て共有できたんでしょうか? IPCはパーソンズ会長になって初の夏でしたが、パラリンピックは今後はどうなっていくでしょうか?
篠原:クレーブン(前)会長の時はご自身がパラリンピアンということもあって「アスリートファースト」ってイメージが強かったですよね。私もIPCの面接受けてた時がちょうど交代の時期(2018年頃)だったので「どう変わるの?」って聞いてみたんですけど、突然変わることはなく、クレーブン会長の大事にしてきたことを生かしながらやるようなことを言っていましたね。
篠原:パーソンズ会長になって初のパラリンピックは2018年冬の平昌でしたが、その後パラのロゴって2019年に少し変わったんです。オリンピックのロゴと並べた時に2つのムーブメントのつながりを強くみせるために、色も五輪マークに合わせたりしています。ブランディングチェンジから見える部分ってあると思います。
篠原:また、2021年からIOCのトップパートナーがパラリンピックも全部面倒みるという形になって、IPC単独では資金集めの必要がなくなって、マーケティングなどもかわってきていますよね。
こういうことも含めて、英語で話されていることがほとんどだと思うんですよ。IPCのホームページにはたくさんのプロポーザルが載っています。
佐々木:言葉の壁で日常的に話し合われ徐々に変わっていることに対応できているかどうか、これから細かくチェックしていく必要がありますね。まだまだ言葉の壁は大きいかもしれません。
未来へ、社会へ。伝えたいこと(雑談)
佐々木:最後に月並みですけど、良かったことは。
篠原:選手村や会場から移動するT-3やタクシーの運転手さんと、パラリンピック競技やアスリートの話、障害の話をしたりしました。会場で料理作っている人も、裏方の人も、国枝選手、勝ってるよ! とか、自然に話していましたね。いつもは関心のある人だけが話すパラリンピックが、日常の話題の中心にあって、そういうのがとても嬉しかったです。
篠原:選手村にいる日本人のスタッフと話していて、やっぱり、オリンピックとパラリンピックを通じて、選手とか関係者の動き、スピードが、車椅子とか、義足の人とか、見えない人とのスペーシングとかがいろいろあって、交通整理にめっちゃ苦労したみたいなんです。それって、やっぱり経験しないとわからないことですよね。本人たちも、ほんとやばかった(=学んだ)って言っていましたけど、実際に経験してみて、「自分たちが思っていたのが当たり前じゃなかったんだ!」って、気づいてもらうっていうのがありました。ちょっと無理矢理な体験の仕方だったのかもしれないけど、すごく良かったんじゃないかと思った。通常のオリパラ開催が実現していたら、多くの観客の中にもそういう気づきが起きて、よりインクルージョンにつながったんじゃないかと思いました。
佐々木:開催することで、ショックなくらい、いっぱいいろんな問題に気づくことが大切だった。日本人て「無事終わった」ってことについホッとしちゃうけど、それだとパラリンピック開催の意味は半減しちゃうから、ボランティアさんがそういう気持ちを経験できたことは良いと思います。
篠原:私の中では外の人、いままでパラリンピックについて興味なかった人がそれを会話のトピックにしていたことがいちばん良かったと思います。
ボランティアで実際にかかわって、メダルセレモニーでも企業の方もいっぱい入っていたというのをみて、「パラリンピックってすごいな」とか感じたと思うんです。今回は限られた人で、自分の国でやってるからって部分で感動できたりしたのは、まだまだ薄い部分だけど、良さを感じてもらえたらよかったと思います。もっと社会にこれが循環すればいいなと思います。
佐々木:果歩さん的には、日本の社会とか、スポーツに、今回を通じて考えたことってありますか?
篠原:やはりスポーツが社会から離れすぎたらダメだと思います。「オリパラだからなんでもOK」って見えていたじゃないですか。オリパラが、スポーツがどうしてOKなのか? が、ぜんぜん発信できてなかったんじゃないでしょうか。なんでスポーツが必要なのかっていうのが見えにくかったから、そういうところを何とかしたい。他のものに変えられない、スポーツを楽しむ環境をつくっていくのが大事だと思いました。
篠原:あとやっぱり、子どもたちをみていて、外国人でも恐れず言語の壁も突破していかないとっていうのを感じました。リバース・エデュケーションて、障害のある人との交流にまず子どもがきづいて、大人も影響うけるってありますけど、そこだけじゃなくて、異文化交流とか、国際的な文化の交流とか。子どもたちって本当に、恐れずにやっていたことにはびっくりしました。
篠原:I’mPOSSIBLEアワードのステージとか、世界中の人が見てるとなると緊張するじゃないですか。大人から楽しんでねって言われても楽しめるわけじゃない。でも、子どもたちの書いた日記を見たら「ちょっと緊張したけど、楽しもうとおもって頑張って、楽しめた!」って書いてあって、子どもたちってすごいなと思いました。
篠原:14歳のフスナのお母さんも、普通なら子どもにスポーツやらせるのは障害あるから嫌っていうけど、「やってみたらいい」って背中押したことで、彼女は2〜3年で国の代表になれた。やっぱり怪我を避け、外に出すのを止めてリスクマネージメントするだけじゃなくて、機会を通じて成長を助けるのが大人の役割であるべきなんじゃないかと。
今回の例でいったら、学校で観戦に行かせるか行かせないか。どっちも正解はないと思うんですけど、前向きに考えてどうするか。何か失敗あったときも、これどうやって生かすかって全部前向きに考えられたら、次どうすればよくなるか?みたいに考えられたらいいですよね。
佐々木:どうもありがとうございました!
(この記事は、2021年9月29日にPARAPHOTO に掲載されたものです。 取材協力・写真:内田和稔 校正・望月芳子 本稿は、IPCの許可を得て、2021年9月12日に個人として行ったインタビューです)