「新型コロナは変異しにくいのか、しやすいのか」素人なりに考えてみました
校正機能を持つコロナウイルス
[ロンドン発]「感染力も毒性も突然変異する新型コロナ『強毒種は270倍のウイルス量』中国の研究」という記事をエントリーしたところ、近畿大学医学部の宮澤正顯教授から「この記事を書いた方は、コロナウイルスの複製機構をご存じないらしい」という厳しいご指摘を受けました。
コロナウイルスには「ウイルスRNAの複製時に生じる誤りを修正するエキソヌクレアーゼ(「校正」機能を持つ酵素)も含まれている」ので「『新型コロナウイルスはRNAウイルスです。 RNA ウイルスは突然変異により絶え間なくゲノム情報を変化させます。』というのは、誤りだ。コロナウイルスは、RNAウイルスの中では例外的に変異が起こりにくい」(宮澤教授)そうです。
宮澤教授のご指摘は筆者の根本的な疑問に答えるものでは全くありません。コロナウイルスには遺伝情報のミスプリントを直す校正機能が備わっているので「RNAウイルスの中では例外的に変異が起こりにくい」と言われても、知りたいのは感染力や病原性の変化が新型コロナウイルスではどの程度のタイムスケールで起きるかです。
ご指摘通り、筆者は新型コロナウイルスについては一般読者と何ら変わらないズブの素人です。日本メディアでは新型コロナウイルスの変異に関するニュースがほとんど報じられていないため、自分の理解を深める意味もあり、海外メディアが取り上げたニュースや研究論文をフォローしています。
機能変化を伴う変異には数年かかる
人口100万人当たりの死者が4人に過ぎない日本と異なり、ロンドンで暮らす筆者の同じ町内ではすでに5人も死者が出ています。しかもイギリスでは3月23日から都市封鎖(ロックダウン)に突入し、経済的な損失は今年第2四半期で国内総生産(GDP)が35%減、失業者は200万人を超えると予想されています。
米紙ニューヨーク・タイムズや英紙ファイナンシャル・タイムズによると、ワクチンが開発できても役に立たなくなるような機能変化を伴う変異には数年かかるそうです。
もし仮に5年、10年のスパンでそのような変異が起きたとしても(それが「例外的に変異が起こりにくい」という意味であったとしても)自由民主義国家に壊滅的な打撃を与えるのに十分過ぎるほどのインパクトを持ちます。
これまでに発表されている研究論文を読む限り、素人の筆者には新型コロナウイルスは2週間に1度のペースで塩基変異を繰り返し、人種による免疫力や気候、公衆衛生的介入など環境によって淘汰されて、すでに適者生存をしているように見えてしまうのです。
これまでに発表されている主な研究論文をおさらいしておきましょう。
2月21日「新型コロナウイルスに5つのグループ」
中国科学院西双版納(シーサンパンナ)熱帯植物園の研究者、郁文彬(Wen-Bin Yu)氏らの 研究班がグローバルイニシアチブ(GISAID)に登録された93のゲノム情報を分析し「ゲノム情報に基づく新型コロナウイルスの進化と感染の解析」という論文を発表。
ChinaXivに査読前論文として掲載され、正式受理は4月27日。それによると58のハプロタイプ(半数体の遺伝子型、塩基の組み合わせ)が確認され、5つのグループに分類できたそうです。
上のウイルスの家系図(系統樹)にあるH13やH38が新型コロナウイルスの先祖ハプロタイプとみられ、後に中継ぎハプロタイプのH3からH1が枝分かれしたとみられています。
塩基の数も2万9782個から2万9903個とばらつきがありました。塩基の一つ一つは「文字」のようなもので、この組み合わせがタンパク質を構成するアミノ酸という「単語」を作り出します。こうした単語が集まって新型コロナウイルスという短編小説を織りなします。
日本の国立感染症研究所(感染研)によると、新型コロナウイルスは一本鎖プラス鎖RNAウイルスで全長29.9 キロベース(kb)。塩基1個を1b(ベース)と表すので29.9kbとは29.9×1000(k)=2万9900個の塩基がつながっていることを意味しています。
ウイルスが増殖する時、遺伝情報をコピーしますが、この時、文字(塩基)を写し間違えてしまうことがあります。これが変異です。新型コロナウイルスには、こうしたミスプリを見つけて文字を切り取って正しい文字に置き換える校正機能(Viral Proofreader・NSP14)が備わっています。
しかしミスプリは完全には防げないようです。文字(塩基)が1つだけ入れ替わっても作られる単語(アミノ酸)が同じ場合、構成されるタンパク質は変わらず、短編小説のストーリーは全く変わりません。自動車のボディーがいくら傷ついても、そのモデル自体、エンジンやハンドルの機能が変わらないのと同じです。
ウイルスにとってミスプリはサバイバルのために欠かせない現象です。生存していくためには環境に適応できるようアミノ酸の配列を変える必要があるからです。たとえば58のハプロタイプや5つのグループがあったとしても宿主の免疫力や環境によって淘汰され、消滅を免れるのはその一部です。
3月3日「新型コロナウイルスにL型とS型」
北京大学のXiaolu Tang氏らの研究班が「新型コロナウイルスの起源と継続する進化」という論文をオックスフォード・アカデミックのナショナル・サイエンス・レビューに発表しています。
新型コロナウイルスのゲノム情報はコウモリや、ウロコで覆われた希少な哺乳類センザンコウを宿主とするウイルスに近いことを指摘。新型コロナウイルスの2つの主要なタイプであるL型とS型に進化しており、L型が7割以下、先祖に近いS型は3割以下で、L型の方が普及していると分析しました。
当初、論文の中で、L型が普及していることから 「L型の方が、感染力が強い可能性がある」と指摘していましたが、誤解を招くという批判を受け「(S型より出現の)頻度が高い」と修正しました。
4月8日「新型コロナウイルスにA、B、Cの3タイプ。誕生は昨年9月13日~12月7日」
英ケンブリッジ大学のピーター・フォスター博士らの研究チームは米科学アカデミー紀要に掲載された論文などで「ウイルスは3つに大別でき、コウモリから人間に感染したのは9月13日から12月7日の間」との見方を示しました。
GISAIDで共有されている160人分の新型コロナウイルスのゲノムを遺伝的ネットワーク手法で分析したところ3つの型に大別できたそうです。
(A型)アウトブレイクの根源。中国雲南省のコウモリやセンザンコウから検出されたウイルスに最も近い。今回のパンデミックのエピセンター(発生源)とされる中国湖北省武漢市でも見つかったが、武漢市で流行したのはB型。アメリカやオーストラリアの患者からも派生したA型が見つかる。
(B型)A型から変異。武漢市を中心に中国や近隣諸国に蔓延。「B型は免疫学的または環境的に東アジアの人口の大部分に適応する可能性がある」(フォスター博士)。
(C型)B型から変異。イタリア、フランス、スウェーデン、イギリスの初期の患者にみられる主要な欧州型。初期の中国本土のサンプルからは見つからなかったが、シンガポール、香港、韓国では検出されている。
フォスター博士らは解析する新型コロナウイルスのゲノムを1001人分に広げたところ、変異する速度などから「95%の確率でコウモリから人間に感染したのは9月13日から12月7日の間とみられる」と話しています。
4月14日「アイスランドで流行する7つのハプロタイプ」
アイスランドで陽性と確認された1221人のウイルスのゲノム情報を解析した結果、大まかに分けて7つのハプロタイプが流行していることが判明。
4月14日「感染力も毒性も突然変異する新型コロナ『強毒種は270倍のウイルス量』中国の研究」
中国・浙江大学の研究班が査読前の論文で、浙江省杭州市で1月22日~2月24日に無作為に選ばれた患者11人から取り出した新型コロナウイルスをサル由来のベロ細胞に感染させ、分析した結果を報告。
それによると、33を超える変異を確認。そのうち19は全く新しいものでした。感染時の宿主細胞への結合に不可欠なスパイク糖タンパク質で6つの異なる変異が起きていました。
ベロ細胞内のウイルス量は最大で270倍も異なり、ウイルス量の多い細胞はすぐに死にました。変異により病原性が大きく変化し、強毒性の種が生まれることが実験で初めて確認できたそうです。
英王立化学会の「化学の世界」のコラムニスト、デレック・ロー氏は「新型コロナウイルスの遺伝情報の中のORF7bが変異していた患者は45日間も陽性だった。こうした変異が患者の回復の遅れとどんな相関関係があるのか調べてみる価値はある」と述べています。
これに対して前出の宮澤教授は「それぞれの点突然変異が対応する構造タンパク質や非構造タンパク質にどのような機能変化をもたらしているかも全く明らかでなく、本当にその変異でウイルスタンパク質の機能が変わるのか、何の証拠もない」と指摘されています。
4月27日「新型コロナは14日ごとに変異 感染研が分析 武漢株より怖い欧州株を食い止められるか」
新型コロナウイルスの患者5073人から採取されたウイルスのゲノム情報を解析した結果、1年間で25.9カ所に塩基変異が起きると推定されることが感染研の調査で分かりました。単純計算で平均14日に1度のペースで変異していることになります。
1月初旬に武漢市で発生したウイルス株(武漢株)を基点に日本各地に初期のクラスターが複数発生したものの、すでに消失へと転じていることを確認。中国経由の第一波を封じ込めたものの3月中旬以降、欧米経由の第二波(欧州株)の輸入症例が国内で広がっている恐れが強いと指摘しました。
新型コロナの起源を巡る米中の情報戦
新型コロナウイルスのゲノム情報の解析結果について中国の研究者は日本より随分早く査読前論文を発表しています。中国が全てのゲノム情報を出しているかどうかについては大きな疑念が残るものの、中国の研究レベルは数年前に比べて飛躍的に向上しているのは確かです。
新型コロナウイルスの起源を巡って米中は激しい情報戦を繰り広げています。「新型コロナウイルスは中国の人造ウイルス」「武漢のウイルス研究所から漏れた」という情報がアメリカ側から発信される一方で、中国側も「アメリカの軍人が中国に持ち込んだ」と主張しています。
変異に関して世界のメディアが取り上げた研究報告の中で中国が関係していないとみられるのはアイスランドと感染研の報告です。ケンブリッジ大のフォスター博士は中国メディアに頻繁に登場しているので、ひょっとすると何かつながりがあるのかもしれませんが、確かなことは分かりません。
筆者は「例外的に変異が起こりにくい」という宮澤教授のご指摘が正しいことを願ってやみません。新型コロナウイルスがあまり変異をせず、環境にも適応できないようになって早期に死滅してしまえばそれに越したことはないからです。
しかしロックダウン下のロンドンで感染の恐怖に慄きながら暮らしている一市民でありジャーナリストとしては、新型コロナウイルスは将来、機能変化を伴う変異を起こす可能性があると考えて、最悪シナリオに備えた方が良いような気がしてならないのです。
(おわり)