戦争ゲームと国際人道法の精神
戦争下における中立的な人道支援活動を行っている国際機関である、赤十字国際委員会(ICRC)が、戦争ゲームの中でも国際人道法に基づいた行動を取るように声明を発表しました。
このICRCの声明に対し、ニコニコニュース等でネット上の意見を確認したところ、「ゲームと現実の区別もつかないのか」「ゲーム脳」といった否定的なコメントが多く見られました。確かに、ゲームの中の行為を現実に行う人はまずいません。ICRCの声明に疑問を持たれる方も多いと思います。しかし、ICRCの成り立ちと、国際人道法の精神と戦時下の現実を考えると、今回の声明は現実離れしたものではないのです。
イタリア統一戦争の最中の1859年、ソルフェリーノの戦いに偶然居合わせたスイス人実業家のアンリ・デュナンは、戦場で負傷した若者が敵味方関係なく苦しんで死んでいく様に衝撃を受け、その体験を「ソルフェリーノの思い出」として出版し、敵味方に関係なく負傷者を救護する国際機関の創設と、救護にあたっての国際的条約の締結を提言しました。このデュナンの提言は大きな反響を呼び、1863年には赤十字国際委員会の前身である「5人委員会」が成立し、翌1864年には初の国際人道法であるジュネーブ条約が締結され、これ以降も捕虜や負傷者、民間人等の保護規定を定めた追加議定書・条約が締結され、これらが戦争におけるルールを定めたジュネーブ諸条約として現在に至ります。
戦争による被害拡大を防ぐために生まれたICRCですが、戦争そのものを否定してはいません。戦争が発生した場合、ICRCは当事国に対して国際人道法の順守を徹底するように求め、戦争の是非に言及はしません。これは、戦時下においても中立的に人道活動を行うためで、この姿勢を守る事によって、ICRCは多くの紛争地で人道活動を行えるのです。今回の戦争ゲームに対する声明も同じで、戦争ゲームそのものは否定せず、「リアルな戦争ゲーム」に限定した上で、ゲーム内においても国際人道法の精神が尊重される事を求めているのです。
では、ICRCはどうしてゲームの中まで国際人道法の順守を求めるのでしょうか。それは、国際人道法の特殊な位置づけにあります。
記事の冒頭でも触れましたが、ゲーム内での犯罪行為を現実に行う人はまずいません。それは、個人のモラルや常識の他に、国内法による強制力が働いているためです。ゲームと同じように破壊や殺人を現実に行えば、治安機関による摘発を受け、刑罰が科せられる事が、犯罪の抑止力となっています。ところが戦時下にあっては、敵国の占領下におかれた地域では国内法と治安機関は効力を失っており、占領地の住民の生命を保証できるのは国際人道法だけになります。しかし、国際人道法は強制力という点で極めて脆弱であり、戦時下では未だに捕虜虐待や虐殺といった戦争犯罪が絶えません。国際人道法は”弱い”法であり、戦時下で順守される為には、軍隊・一般市民が国際人道法への深い理解とモラルを持つ事が重要になってくるのです。
ICRCは軍隊や一般市民に対し、国際人道法を広く普及させることも使命としていますので、プレイヤーの自発的な意思によって国際人道法を破ってもペナルティが無い「リアリティある戦争ゲーム」が、一般市民に広く受容される事態は避けたいものと思います。前述のとおり、ICRCの声明では戦争ゲームを否定しておらず、またファンタジーやSFゲームにおける犯罪行為は対象外で、リアリティある戦争ゲームのみに国際人道法の順守を求めています。ICRCが上手いのは、戦争ゲームがリアリティを追求するのだったら、プレイヤーがゲーム中で起こした戦争犯罪でペナルティを受ければ、より”リアル”な戦争ゲームになると提言している点です。単純に、ゲーム中の破壊や殺害によるゲーム性・エンターテイメント性を無くせと言っている訳ではないんですね。
国際人道法は、国内法が効力を持たない戦争においても、最低限守られるべきルールを示したもので、戦争が無制限にエスカレートする事に歯止めをかける数少ない仕組みです。日本が戦争に巻き込まれなくても、海外旅行中に戦争に巻き込まれる事態は十分に考えられ、その場合は国際人道法が貴方を守る事になるかもしれません。
多くの人が国際人道法を知ることで、国際人道法はその効力をより増すことが出来ます。リアルな戦争ゲームでも国際人道法を順守する事のメリットを伝え、戦争犯罪へのペナルティが科せられるのであれば、より広く国際人道法の精神を伝える事に繋がると思うのですが、いかがでしょうか。
※この記事は、dragoner.ねっと:「戦争ゲームと国際人道法の精神」のYahoo!ニュース向け編集版です。