パリで『男はつらいよ』全50本の上映を実現:邦画の「生き字引」、パリ日本文化会館のシネマ担当者に聞く
パリのセーヌ川のほとり、エッフェル塔の近くにある「パリ日本文化会館」。
世界で最も大きい日本文化の発信地として、1997年の開館以来、大きな役割を果たしている施設である。国際交流基金が民間と一体となっての運営だ。
寅年である2022年。地下の大ホールで、「寅さんと一緒の1年」と題して、山田洋次監督の『男はつらいよ』の全作品50本を順番に上映という、野心的なプログラムを実現している。
大変好評で、筆者が観に行った土曜日には、15時の回(13作目)の上映を観終わり、次の17時半の回(14作目)もようと、ホールで時間を潰している人達もいたくらいだ。
この企画は、同館のシネマ部門長であるファブリス・アルデュイニさんが、数十年越しの望みを叶えて実現したものだ。
ファブリスさんに、寅さんへの思いと、フランスにおける日本映画の受け入れられ方などを伺った。日本語を大変上手にお話しになり、インタビューはフランス語と日本語が混ぜこぜで行われた。
ーー寅さんを1年間上映で、今まで約3ヶ月が過ぎています。評判はいかがですか。
評判は、上々です。笑いがあってユーモアもある。毎回200人くらいのお客さんが入っています。ファンになって、通う人もいます。本当に嬉しいことです。
とても大きいのは、口コミです。50本もありますからね。タイトルにあるように「1年間寅さんと一緒」です。
ーーこういう「人情もの」というのは、フランス映画ではあまりみかけません。フランス映画は、もっと乾いていて、セリフが多い感じがします。
それなのに13作目(寅次郎恋やつれ)では、吉永小百合さんが演じるマドンナ役が、確執のあった父親と言葉少なに再会するシーンでは、会場から鼻をすする音があちこちから聞こえて、本当にびっくりしました。
確かにフランス映画では、メロドラマをやや下に見る傾向がありますね。でも、寅さんをいつも心配する妹のさくらさんの表情などに、共感するのですよ。
不思議なことに、日本で人気があり評価の高かった映画は、フランスでも評判がいいのです。今まで上映した範囲ですと、4作目の「新 男はつらいよ」と、11作目の「寅次郎忘れな草」です。分かち合うものがあるのだと思います。
ーーなぜ寅さんを上映しようと思ったのですか。
寅さんは、私が学生時代から好きだったのです。
当時フランスでは、最初の1本目だけ上映されたことがありました。でも、それ以降の上映はありませんでした。
以前Aliveという配給会社があり、1960年代くらいまでの日本映画をよく上映していたのです。
この会社は、日本とアメリカの映画を配給しました。規模も大きく、パリで1,2件のミニシアターへの配給ではなく、大きな劇場でパリだけでもあちこちで配給する力がありました。
寅さん1本目を配給したのもAliveです。私はそれを観たのです。そのほか、三隅研次、鈴木清順、ゴジラも上映されましたね。邦画は100本以上は上映されたと思います。
残念ながら、Aliveは90年代には無くなってしまいました。
ーーファブリスさんは、学生時代に日本に留学したと聞いています。
ええ、90年前後のことです。政府給付の奨学生として2年間、仙台の東北大学にいました。何を勉強したかですか? テーマは文学の比較研究ですが・・・そのことはあまり聞かないでください(笑)。
ーーなぜ東北を選んだのですか。
静かなところが良かったからです。休みの時に自然のなかを散歩して、ひなびた温泉に行って。東京は週末に時々行くので十分です。
日本に来たら、自分が知らなかった映画がたくさんあるのに気づきました。
ーーどんな映画を発見しましたか。
当時は、フランスにはまだあまりたくさんの日本映画は紹介されていませんでした。今村昌平とか大島渚などのヌーヴェル・ヴァーグと呼ばれる映画は比較的多かったのですが。
日本にやってきて、大衆向けのたくさんの豊かな映画があったのに驚きました。
家の前にレンタルビデオ店があって、たくさんの映画を見ました。日本語の勉強もかねて。
三隅研次の座頭市シリーズも『釈迦』も見ました。鈴木清順、深作欣二、川島雄三、内田吐夢、島津保次郎・・・寅さんの続きも日本で見たんです。その頃からずっと、寅さんをフランスに紹介したいなと思っていたのです。
ーー30年近く経って、やっと上映の夢が叶ったのですね。なぜそれほど時間がかかったのでしょう。
技術的な問題です。フランスで上映するには、以前はフィルムを日本から送ってもらわなければなりませんでした。1本の映画は10数リールもあり、映画の長さによって100キロを超えます。コストもかかります。
今はデジタル化したおかげで、1本につき届くのは幅50センチ、縦10センチくらいの筒状のもので、一つ2キロくらいです。
寅さん50本のシリーズを一挙上映できるのは、デジタル化のおかげです。
それに、以前は届いてみたらフィルムの状態が良くないということがありました。今は4K修復という技術のおかげで、その心配をする必要がなくなったのです。字幕を入れるのも、飛躍的に簡単になりました。
デジタル技術のおかげで、このように50作品を1本1回上映するということが可能になったのです。
ーー修復技術というのは、国によって異なるのですか。
国によるというよりは、フィルムによりますね。
寅さんは、四季が楽しめる映画です。色彩がとても大事なのです。
それに、日常生活の場面。お酒、お味噌、醤油・・・昔の人にとっての、自分の生活です。この色がいいんですね。まるで食べ物の香りが伝わってくるかのようです。
寅さんを修復した人は、とても愛情をもって仕事をしたのだと感じました。相当大変な仕事だったと思います。
ーー寅さんの映画を観終わって会場から出てくるフランス人の顔が、まるで日本人みたいな顔つきをしていて、とても驚きましたし、微笑ましかったです。あまりにも日本的すぎて、大丈夫なのかなと思ったのですが。
寅さんは、ユーモアもあって、昔の日本の人情もある。人情というのは、任侠映画にも通じます。任侠映画というのは、ヤクザ映画のことです。歌舞伎の要素もありますね。「まぶたの母」といった文学性もある。まさに、日本文化の集大成だと感じさせます。
組み合わせもうまい。お笑いだけではなく、泣かせる部分がある。と思うと、人間とは何かというシリアスな場面もある。映画というのは商売でもあるので、笑わせるシーンなどは大事ですが、そういう上手さも感じます。そして作家性がとても強い。大変バランスが取れていますね。
それに、時代を反映していて、当時の社会問題などもわかります。社会派まではいかないが、メッセージ性がある。あと寅さんは日本各地を旅するので、観光の要素もあります。
ーー日本では映画からテレビドラマまで、観光も楽しめるジャンルが確立されています。フランスにも豊かな地方色があるので、こういうジャンルがあってもいいと思うのですけどね。
そうですね、寅さんは外での撮影が多いです。日本映画は最初から外。外での撮影から始まったという印象がありますね。
映画スタジオの制約に耐えられなくて外に飛び出した大島渚のような人もいるし、スタジオで撮り続けた人もいる。
確かにスタジオでは、新しいものをつくりたがらないという傾向はあります。でも、予算もついているしスタッフも揃っている。スタジオ撮影は大切なものと僕は思っているんですが。
それに対してフランスのほうは、劇場の伝統が強いのです。映画の中でも、家のセットなどの場面が多い。結局それは、劇場の延長ですね。それから、映画でも話すことが重要です。とにかくよく話します。ルイ・ド・フュネスもそうです。
それからフランス映画は、資本主義的に観客に寄り添うのを「迎合だ!」と嫌う傾向があります。ネガティブな要素と捉えられるのです。
寅さんや日本映画は、観客に受けそうなことを取り入れていますが、そういうのとは違う。そこも魅力の一つなのでしょう。
ーーところで、パリ日本文化会館では最古参の一人と聞いていますが。
この会館は1997年に開館しました。開館当時からスタッフとしては働いています。もうすぐ最も古い人になりそうです。
ーー日本映画にも精通していらっしゃるし、もはやフランスでの邦画の「生き字引」ですね。
「生き字引」ですか? その表現は知りませんでした。フランス語では古くからいる人のことを「家具の一部」という表現をします。(前にある机をさして)この机も、開館当初からあります。僕もこの机と同じ、という意味なんですよ(笑)。
ーーパリのエッフェル塔とセーヌ川のすぐ近くのこの会館で、葛飾柴又の寅さんが上映されるなんて、まだ信じられない気持ちです。あと三分のニほどある上映、これからの評判も楽しみです。
まだ発見されていない外国映画の紹介とビジネスは、両立するのが難しいものです。私はまだフランスに知られていない日本の映画をたくさんフランスに紹介したかった。私の希望は、パリ日本文化会館の方向性とうまくマッチしたのです。
ここパリ日本文化会館は、フランスで知られていない日本映画の発信拠点として、重要な役割を果たしています。今後も多くの方に優れた日本映画を紹介していきたいです。
ーー最後にお聞きしますね。男はつらいですか。
いやいや、女性のほうが大変じゃないかな(にっこり)。女はつらいよ、かもしれませんね。
◎寅さん上映プログラム(4月はお休みで、5月から再開します)。
https://www.mcjp.fr/ja/agenda/une-annee-avec-tora-san-jp
◎日本文化会館ホームページ(日本語)
※写真は、下に表記のないものはすべて筆者撮影。