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杉田水脈議員「異形の差別的世界観」の理由とは-『同和利権の真相』から始まった虚妄

古谷経衡作家/評論家/一般社団法人 令和政治社会問題研究所所長
杉田水脈議員の辞職を求めるデモ隊のプラカード(写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)

 札幌、大阪の両法務局から人権侵犯にあたると認定された杉田水脈議員の2016年のブログ投稿。当の杉田議員は謝罪をすることなく、後日動画で「私は差別をしていません」と自ら語ったことが、いまなお波紋を広げている。動画等による発言の詳細は既報の通りだが、杉田議員のこのような世界観の背景にはどのようなものがあるのだろうか。分析する。

・被害者が加害者になる世界観

「チマ・チョゴリやアイヌの民族衣装のコスプレおばさん」などとブログに書きながら、先の動画内では「私はアイヌや在日の方々に対する差別はあってはならない…」とする。更に「逆差別、エセ、そしてそれに伴う利権、差別を利用して日本を貶める人たちがいます。差別がなくなっては困る人たちと闘ってきました」と発言する杉田議員。通常の読解力では、なにやら矛盾にも取れる。

 在日コリアンやアイヌ民族の人々は、確かに日本社会にあっていわれなき差別を受けてきた経緯があり、よって彼らの人権擁護運動は当然是認されるべきである。通常、このようなマイノリティは、しばしば(人権配慮という観点からの)被害者、弱者として語られるきらいがある。しかし杉田議員や彼女を支持する岩盤保守層の多くはそうは考えていないようだ。彼らにとって被差別者や被差別のマイノリティは「加害者」であり「強者」である。

 被差別の側であることを利用して、不相応な特権が国や地方自治体から与えられている―。確かに戦前・戦後の一時期、彼らは弱者であり被害者だったかもしれないが、現在彼らは「差別の補償」として十分な金子を受け取っており、なまじ差別解消運動には反対しづらい世論があるのを利用して、増長し、肥大し、特権階級となっている―。もはや彼らは被害者ではなく、むしろ加害者である―。

 平たく言えばこのような発想が杉田議員の発言から読み取れる。

「もともと被害者・弱者だった人々が、現在では加害者・強者に変貌した」

 このような考え方は杉田議員だけでなく、岩盤保守界隈に根強く存在する。その源流とは何か。

『同和利権の真相』宝島社、第1シリーズは2000年刊行。
『同和利権の真相』宝島社、第1シリーズは2000年刊行。

・「被害者(弱者)→加害者(強者)」の世界観を決定的にした書籍『同和利権の真相』

 すべての発端は、2000年に宝島社から発売されたムック・シリーズ『同和利権の真相』であると私は推察している。同書はシリーズ累計50万部以上ともされるベストセラーになったが、主に西日本(関西など)を中心とした地方自治体で、同和対策予算等の不正な利用、濫用があったのではないかと告発する内容である。

 このムック・シリーズは、かつて被害者、弱者であった被差別部落運動が、やがて「特権・利権」を貪る加害者、強者になり、その「特権・利権」の座に安住して様々な分野で「腐敗」を生んでいると「される」具体例を列挙したものである。この中で指摘された具体例の中で、のちにとりわけ関西地方で立件された事件があることは事実であり、その部分はある意味、先駆的ともいえる調査報道的な側面があるだろう。が、ある集団の中で一部のものがその正義の熱情のあまり違法行為に走ることは、なにも被差別部落運動に限ったことではなく、さまざまな社会運動団体の中でもあることであり、これを以て運動全体が駄目だと決めつけることはできないのは当然である。

 まず断っておくが、被差別部落の人々に関する人権向上に際して、多くの先人たちが血と汗を以て努力してきた。運動にかかわってきた人の多くは、地道にまじめに不断の努力をしてきた人たちばかりである。このムック・シリーズがヒットしたことを以て、被差別部落の人々の人権運動が毀損されることになるとは繰り返すように全く思わない。

 また私事であるが、私は大学時代、1923年に京都・岡崎公会堂で全国水平社宣言を高らかに謳いあげた全国水平社の戦後組織であるところの部落解放同盟を批判する、旧全国部落解放運動連合会全解連。現在は全国地域人権運動総連合)に親和的な指導教官に教えを乞うたこともあって、該ムック刊行当時はおおむねその内容は得心のいくものとしたが、現在振り返るとその記述内容の一部に恣意的なものがあったことは否定できないところである。

・「同和利権」から「在日特権」へ

 さておき、「被害者(弱者)が加害者(強者)になる」という、この『同和利権の真相』の構造は、2002年の日韓ワールドカップ共催大会から勃興し始めたネット保守(ネット右翼とも)や、総じて現在用いられる「岩盤保守」という人々の世界観の根幹を形成した。被差別部落の人々が元来弱者だったものが、のち強者になった、という構図は、そのまま在日コリアンの人々が「持つとされた」、「在日特権」という虚妄・デマに援用された。

 戦後の日本社会の中で様々な差別や不遇の憂き目にあってきた在日コリアンの人々が、元来弱者として出発し、やがて「人権擁護」「被差別」を理由に様々な恩典を受けることにより、強者に変貌する―。このような世界観の根底の「発信源」は、ほぼ間違いなく『同和利権の真相』の世界観をトレースするものだ。在日コリアンへの数々のヘイトクライムやスピーチを繰り返した民間の市民団体の創設者らは、そのCS放送(当時)デビュー時において「在日特権」を説明する際、本来関係性の極めて薄い、歴史的には無関係といってよい「同和利権」を引き合いに出していた事実がある。

 私の調査が示す通り、岩盤保守は総計200万人~250万人存在し、そのうちの5割~6割という主要な部分が東京・神奈川など首都圏1都3県に「過度に」集積している。歴史的経緯から生まれた大阪の在日コリアン集住地や、被差別部落の人々に対する人権問題が深刻な西日本、とりわけ関西地域には、彼らはおおむね少ない実態がある。ようするに激しい差別や偏見にさらされてきた人々との身体的接触(実体験、経験)が少ないので、これらの「都市伝説的」ともされる言説をいとも簡単に信じやすい傾向にある。

 このように『同和利権の真相』で披瀝された「被害者(弱者)が加害者(強者)になる」という世界観は、ゼロ年代中盤以降、差別・人権問題に対する感性が身体的に疎いと思われる首都圏にあって、そこを地盤とする岩盤保守界隈に一挙に伝播した。ひるがえって杉田議員の世界観は、ほぼこの価値観を「輸入」したものである。人権や被差別を理由に社会運動を行っている人々の背後には、必ず「何かしらの利権」がある―。つまりそれは金目当てであり、その金は公金なのだから、それを貪っているのは「反日」なのだ―、とストレートに結びつけていく。

 杉田議員曰く「利権、差別を利用して日本を貶める人たち」。まさにこの世界観の根幹は、杉田議員が意識してかしないか(或いは該ムックを読んでいるか、読んでいないか―わたくし的には後者だと思われるが)は不明だが、驚くほど『同和利権の真相』のイメージと重なっている。

 現在、被差別部落出身の人々に対して、比較的若い世代ほど何の偏見も持っていない場合が少なくない。西日本等の民間興信所等における「結婚相手の身元調査」は、かつて被差別部落出身者であるか否かを選別する目的で行われた場合もあったと聞くが、現在のおおむね40代以下にあっては、自由恋愛の価値観が確立された中、結婚相手の出身地がどこであっても気にしない人のほうが主流かもしれない。一方でかつての「部落地名総監事件」を彷彿とされる「地名の名指し」がネット上で行われている重大問題もある。

 にしても、総じて被差別部落の解放運動が時の内閣の重大イシューには必ずしもならなくなった現在である。それを令和風に援用すると、「差別を理由に特権や利権を貪っている、日本を貶める人々」とは、被差別部落の運動団体ではなく、在日コリアンやアイヌの人々、という「目立つ人権擁護の声」にフォーカスされていく。すなわち現在の岩盤保守においては、口撃の対象が被差別部落の人々から在日コリアン、アイヌの人々にスライドしているのは偽りざる事実の一部ともいえる。杉田議員の思想の背景にはこのような構造が大きく横たわっていると推察できるのである。

・陰謀論的世界観の跋扈の末に…

陰謀論のイメージ
陰謀論のイメージ写真:イメージマート

 さて、問題は『同和利権の真相』が描いた世界観を曲解した結果、在日コリアンやアイヌの人々の人権擁護運動が、杉田議員の言うように「差別を逆手に取った利権」に本当につながっているかどうかである。これは言わずもがな、「在日特権」というものがまったく存在せず、たんなる妄想・デマであったのと同じように、アイヌの人々にもそんな利権は存在していない。岩盤保守の多くは、2020年に開業した北海道白老町のアイヌ民族の民族総合資料館である「ウポポイ(民族共生象徴空間)」を、「アイヌ利権の前衛」と認識して攻撃の対象としたが、「アイヌ利権」などというものは存在しない。

 ちなみに私は北海道札幌市の生まれであり、父方も母方も明治殖産期(日露戦争以前)に北海道に入植した「生粋の道産子」である。当然、アイヌの人々が多く集住する道東(北海道東部)にも多くの親族を有するし、小・中・高とアイヌ民族であることを顕名した同級生と交流してきた。彼らが「アイヌ民族である、アイヌの出自である」ことを理由に何かを優遇されていたことは一切ない。たとえば高校時代、アイヌ民族の出自であることを公表していたAは、無慈悲にも当時の大学入試センター試験でその得点不良だったため、第一志望、第二志望の大学にも行けず、やむなく滑り止めに進学した。「アイヌ利権」なるものが存在するのなら彼は何らかの救済を受けていたかもしれないが、現実は無慈悲な点数主義がすべてであった。

 まだしも、である。まだしも杉田議員が、仮に『同和利権の真相』を精確に引用して「被差別部落の運動関係者にはエセや利権が含まれているから、これは批判すべきである」というのならば、理解はしがたいが、一方まったく理解ができなくはないであろう。前述したように『同和利権の真相』の中の事例の一部は、のちに各府県警察によって本当に立件される犯罪行為だったものが含まれているからだ。

 かつて「エセ同和」という言葉があった。同和運動関係者であると詐称して、主に民間企業に対し会報誌や月刊誌を不当に売りつける、などの行為がこれにあたる。これは不当な押し売り等であるとして「エセ同和行為」などとされて様々な行政機関等が注意・警戒を促していた事実があるからだ。「同和利権」なるものは、大変遺憾ながら「まったく全部、存在しなかった」と断言することはできない。もちろん、現在はその反省もあって全然皆無である。が、過去の一時期に、一部の人々において、そのような「エセ行為」があったことは、残念ながら事実といえよう。

 しかし杉田議員はこの部分には一切言及せず、まったく架空の、まったく妄想の、まったく嘘でたらめの「在日特権」や「アイヌ利権」をやり玉に挙げて誹謗中傷を繰り返し、それを「これは差別ではない」などと主張している。

「盗人にも三分の理」という言葉がある。しかし杉田議員の世界観は、わずか「三分の理」すらない。それは、まったく架空の作り話、架空の漠然例、架空の観念によって構成されている。つまり完全に嘘でありデマである。存在しない利権を創り、存在しない利権享受者をひたすら呪詛している。理はゼロである。それはフェイクと呼んでよいし、極言すれば陰謀論的と呼べなくもない。

 このような人は、岩盤保守界隈の民間人レベルでは普遍的に存在するかもしれないし、その筋のオカルト界隈の中では重宝される場合もあろう。しかし、あまつさえ国会議員という立場にあってはこの言動は単なる笑い事としては済まされないのではないか。

 諸君は「ノストラダムスの大予言」を趣味の範囲ではなく、大真面目に国の政策として繰り返し、繰り返し主張する国会議員がいたら、どう思うか。それこそ「日本(の品格)を貶める人(国会議員)」であるとも考えられようが、読者諸兄にあってはいかが考えられるか。(了)

*参考文献-『部落解放運動の七〇年』(新日本出版社,馬原鉄男著)

作家/評論家/一般社団法人 令和政治社会問題研究所所長

1982年北海道札幌市生まれ。作家/文筆家/評論家/一般社団法人 令和政治社会問題研究所所長。一般社団法人 日本ペンクラブ正会員。立命館大学文学部史学科卒。テレビ・ラジオ出演など多数。主な著書に『シニア右翼―日本の中高年はなぜ右傾化するのか』(中央公論新社)、『愛国商売』(小学館)、『日本型リア充の研究』(自由国民社)、『女政治家の通信簿』(小学館)、『日本を蝕む極論の正体』(新潮社)、『意識高い系の研究』(文藝春秋)、『左翼も右翼もウソばかり』(新潮社)、『ネット右翼の終わり』(晶文社)、『欲望のすすめ』(ベスト新書)、『若者は本当に右傾化しているのか』(アスペクト)等多数。

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