「ヤクルトファンのことは毎日恋しく思っている」昨年はチーム3位タイの6勝、ディロン・ピーターズは今…
マイアミ・マーリンズ、ロサンゼルス・エンゼルスなどを経て、昨年は東京ヤクルトスワローズで先発ローテーションの一角を担ったサウスポー、ディロン・ピーターズ。1年限りで日本を去った彼は今、ひっそりとユニフォームを脱いで母国のアメリカで第2の人生を送っている。
「もう一度スワローズでプレーしたかった」
「引退を決めたのは(去年の)12月。もう一度スワローズでプレーしたかったし、できれば日本で(プロとしての)キャリアを終えたいという気持ちもあったから残念だよ」
ピーターズにそう伝えられたのは、今年に入ってからのことだった。ヤクルトでは先発としてチーム3位タイの6勝を挙げながら、球団側の「総合的な判断」により再契約には至らず退団。その後は韓国球界からのオファーがあったものの、こちらも契約にこぎ着けることはなかったという。
「MRI検査の結果を見てとのことだったので仕方がない。自分ではまだできると思っていたけど、頭を下げてまで雇ってもらうつもりはないし、野球を嫌いになりたくはないから、まだやれるうちに引退することにしたんだ」
マーリンズでイチローと、エンゼルスでは大谷翔平とチームメイトに
テキサス大学オースティン校から2014年のドラフト10巡目でマーリンズに入団したピーターズは、2017年に25歳でメジャーデビュー。マーリンズではまだ現役だったイチロー(現シアトル・マリナーズ会長付特別補佐兼インストラクター)と、2019年にトレードで移籍したエンゼルスでは大谷翔平(現ロサンゼルス・ドジャース)とチームメイトになった。
2021年のシーズン途中でピッツバーグ・パイレーツにトレードされ、翌2022年は主に救援でいずれも自己最多の22試合登板、5勝(2敗)、3ホールドを記録すると、そのオフにヤクルトと1年契約を結んだ。140キロ台半ばから後半のストレートにスライダー、カーブ、カットボール、チェンジアップといった変化球を交え、先発18試合中17試合で5イニング以上を投げて、14試合が自責点2以下。なかなか打線の援護に恵まれない中で、6勝5敗、防御率3.22の成績を残した。
「16試合目までなら(防御率)2.23だ。去年は素晴らしい経験ができたと思う。日本ではあらゆることが楽しかったよ。ファン、食事、そしてチーム……すべてこれ以上ない経験だった。僕も妻も本当に東京が恋しいと思ってるんだ」
「マサ、タグチ、ノリ……仲間に会えないのは寂しい」
これまでの野球人生で一番の思い出は「(エンゼルス時代に)初めてフェンウェイ・パークで(ボストン・)レッドソックスを相手に先発した試合かな」というピーターズだが、それでは昨年、ヤクルトでの思い出は?
「日本で挙げた勝利はどれも最高だったよ。試合後のファンに向けた(ヒーロー)インタビューもね。マサ(石川雅規)、タグチ(田口麗斗)、ノリ(青木宣親)、(ホセ・)オスナ、ミンゴ(ドミンゴ・サンタナ)、オガワ(小川泰弘)、キザワ(木澤尚文)、イトウ(伊藤智仁)コーチ……チームの仲間も好きだったし、彼らに会えないのには本当に寂しい。通訳もみんな最高だったな」
そのピーターズは現地時間8月31日に32歳の誕生日を迎えたばかり。現在は「家族と一緒にヤングアダルトな生活を楽しんでいるところさ」と言うが、野球にはこれからも携わっていきたいと語る。
「スワローズ民のみんな、愛してるよ!」
「野球をする子供たちが目標を成し遂げられるよう、グラウンドの内外で手助けをしたいと思っている。あとは良き夫、そして良き父になりたいね」。そう第2の人生について語る彼に、最後に日本のファンへメッセージを送ってもらった。
「ファンのみんな、君たちのことは毎日恋しく思っているよ。僕にも家族にも本当に良くしてくれたからね。昨年、球場の中でも外でもこれまでになかったような素晴らしいシーズンを送ることができたのは君たちのおかげだし、心の底から感謝している。スワローズネーション(スワローズ民)のみんな、愛してるよ!」
その言葉で思い出すのは、いつも神宮外苑での練習を終えてクラブハウスに引き揚げる際、球場内のショップに立ち寄っては自身のグッズに嬉しそうにサインをしていた彼の姿。本人が「東京にはまた行きたいし、その日が待ち遠しい」と言うように、もし「その日」が来るのであればぜひ“好漢”ピーターズにもう一度、会ってみたいと思っている。