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いまだに三浦春馬さんの死に衝撃を受けたままの多くの女性たちが語る言葉

篠田博之月刊『創』編集長
三浦春馬さん「キンキーブーツ」のイメージ(海扉アラジン・作)

所属事務所が12月24日に公開した週刊誌への抗議

 7月に亡くなった三浦春馬さんの所属事務所アミューズが2020年12月24日に「本日の週刊誌報道について」と題する文書を公表した。内容よりもまずその口調の激しさに驚いた。

《未だ悲しみの中におられるご遺族への執拗な取材行為について、(略)これまでも再三控えるようお願いして参りましたが、それを一切無視する形で強引な取材を行い、故人とご遺族の尊厳を傷つけるような記事が掲載されていることについて、当社としては強く抗議いたします》

文末は《法的措置を含む対抗策をこれまで以上に毅然と講じる所存です》と結ばれている。その24日発売の週刊誌といえば『週刊新潮』と『週刊文春』で、両誌とも三浦さんの記事を大きく載せている。

『週刊新潮』12月31日・1月7日合併号は「遺骨・相続トラブル…『三浦春馬』が泣いている」、『週刊文春』は「三浦春馬実母初告白『遺骨は手元にあります』」だ。事務所の文書は誌名をあげていないが、文中で『週刊新潮』の記述に言及しているから、同誌が抗議の対象に含まれるのは明らかだ。文書はこう言っている。

《一部報道で、三浦春馬が、もともと出演が予定されていた他の俳優の代役としてドラマに出演するために、留学を取り止めて帰国した、と報じられておりますが、そのような事実は一切ありません。

記事にあるドラマは企画立案時より三浦春馬を主演に企画されており、このような虚偽の報道は故人の名誉を傷つけるだけでなく、ドラマを制作してくださったスタッフの皆さんをも侮辱する行為であり、強い憤りを感じております。》

『週刊文春』の方は、遺族である実母のインタビューという体裁なのだが、直撃取材のように見えるし、遺産相続で実母と実父がもめているという話が前提の記事だから、同誌も抗議の対象なのかもしれない。

遺産相続をめぐる対立の話は既に女性週刊誌も報じているのだが、今回、二誌が大きく報じ、特に『週刊新潮』の見出しには遺族が反発した可能性が高い。三浦さんの複雑な家族環境を反映した相続をめぐる対立の話は、かなりデリケートな問題だが、今後どうなるのだろうか。

なかなか複雑な三浦春馬さんと親との関係

 以上は12月27日(日)の東京新聞連載コラム「週刊誌を読む」に書いた記事に少し加筆したものだ。このコラムは北海道新聞や中国新聞、大分合同新聞などにも転載されており、全部合わせると全国紙並みの部数になり、それなりの影響力を持っている。

 記事の見出しなどは各新聞社がつけるのだが、「人権重視」の新聞媒体だから、週刊誌にやや批判的な見出しとなる。それはそれでよいのだが、今回の週刊誌報道をどう見るかというのは私自、やや複雑だ。

 『週刊新潮』は以前から、三浦春馬さんの自殺の背景のひとつに、親との確執があったとする見方だ。確かに三浦さんは生前、実の母親と連絡をとろうとしなかったと言われており、親との関係がギクシャクしていたのは事実なのだろう。でも息子を失って悲嘆に暮れる実の親に対して、その生前の確執の話を持ち出すのは酷だとも思う。自殺の原因というのは複雑で、周囲が断片的な事実で詮索するのはそもそも無理がある。

 だから基本的には、親にも自殺の責任があると書き立てることや、直撃取材を行うことにはいささか批判的だった。

 ただ、2誌の記事を読むと、離婚した実の母親と父親が弁護士を立てて遺産相続について争っているのは確かなようだ。三浦春馬さんの死に衝撃を受けているファンからすれば、これは耳を塞ぎたくなるような話であることは間違いない。多くの人がいまだに悲しみに暮れている時に、遺産をめぐって遺族が争っているというのは、あまり耳にしたくない話だろう。だから『週刊新潮』の見出しは、遺族へ投げる言葉としては残酷なのだが、ファンたちの見方を一部代弁しているとも言えるかもしれない。

いまだに衝撃は収まらず、女性の自殺増加も

 ファンと言っても、いまだに三浦春馬さんの死に衝撃を受けている人たちのかなりの部分は、いわゆる芸能人のファンというのでない、自殺の件があってから関心を持つようになった人が多いようだ。コロナ禍で気持ちが沈んでいた人たちに、三浦さんの「死」はなんらかの共振現象をもたらしたようで、その7月以降、女性の自殺が増えている、しかも月を追うごとに増えているというデータもあるようだ。

 7月18日から時計が止まったままで、いまだに衝撃から脱け出せない、という女性の多くは50代前後。子どもの手もかからなくなり、ふと三浦さんの自殺の衝撃を機に、自分がこれまで生きてきた人生を振り返り、その意味を問い直すことになったようだ。その結果、自分の人生に「これで良かったのか」との思いを抱き、三浦さんの後を追って自分も…というような気持ちに駆られることがあるようだ。

 そうした女性たちからこの3カ月ほどたくさんのメールや手紙をもらうようになった。それをこのヤフーニュースや月刊『創』の誌面で紹介しているのだが、2021年1月7日発売の2月号に掲載したのは、例えばこういう投稿だ。

《初めて投稿します。私は53歳の4児(大学院生~高校生)の母です。非正規ですがフルタイムで仕事をしています。

多くの方の投稿を読んで、全く自分も同感です。

 私も7月18日以降時間が止まったままです。このままではいけない、このままではいけないと思っても、心も体も動きません。いい歳してと情けなくさえ思います。父が亡くなった時さえこんなに落ち込みはしませんでした。初めての感情です。

 今現在、自分の人生がうまく行ってないからだとか、前向きに自分の人生を進んでいないからだとか努力してないからだとか、自分に何かしらの理由を探していますが、当たり前に気持ちは沈むばかりで上向きません。どなたかが言われていたように、あのような素晴らしい人(春馬さん)が生きていけないこの世界にとどまる理由があるのだろうかと思い、人生折り返しを過ぎてもはや夢も希望もなく、自分の人生の結果(評価)が出ている今が命の納め時なのではないかという思いにかられます。なぜ私のような中年以上の女性が特にこのような強烈な焦燥感にとらわれるのか知りたいです。(略) 

 今、社会は自分を必要としていない。自分を押し売りして必死に社会の端にしがみついている。惨めです。子育ても一段落するから人生終わるのに良いタイミングだと。しかし死ぬ勇気もなく…。

 三浦春馬さんは数年前からファンです。少し陰のある雰囲気に引かれます。私が越えられない山を、彼が越えて見せてくれるのではないか、希望のない毎日で唯一の希望だったのかもしれません。彼が見せてくれた世界で私も越えていけるとなんとなく思っていました。子どもが全員独立したら彼の舞台を見に行きたい。それが励みでした。その最後の頼みの綱が切れました。

 今までの甘えていた自分に気づかされると同時に、彼が抱えていた痛みが一気に私に襲ってきて、胸が苦しくて潰れそうです。なんで試すようなことしたんだろう、なんで支えてあげられなかったんだろう、そして残され置いていかれた今、出口が見付かりません。ただただ生きていて欲しかった。

 初めて自らの気持ちを吐露しました。この事実を励みに前向きになれるようにしたいです。この場所を与えてくださりありがとうございました。》

 途中、〈略〉とした部分には、自分の家庭などのことが書かれており、分量が多かったのと、個人情報ゆえに差しさわりがあるのではと思って割愛した。

いまだにたくさん寄せられる女性たちからの悲痛な投稿

 同様の投稿をしてくる女性の多くが、三浦春馬さんの死を思い、「子育ても一段落するから人生終わるのに良いタイミングだと」いう気持ちになってしまう瞬間があるようで、7月以降女性の自殺が増えていることとなんらかの関わりがあるように思えてならない。

 今起きているこの「三浦春馬ロス」というか「三浦春馬現象」はぜひ考えてみるべき事柄だと思う。

 1月7日発売の『創』2月号にもたくさんの投稿を掲載したが、既に発売された1月号の投稿を以下に転載しておこう。三浦春馬さんの死を契機に多くの女性が自分の人生を振り返り、それについて語ろうとしている様子がうかがえる、考えさせる内容だ。

●初めて投稿させて頂きます。

 春馬君が亡くなってから、彼を想わない日がなく、毎日過ごしております。

 春馬君のことは正直、ドラマや映画、舞台を観ていたわけではなく、ただ、番組として大好きであったNHKの『世界は欲しいものにあふれている』を観ていて、あの屈託のない笑顔に癒されていました。今でも癒されています。

 当たり前のことが、当たり前ではないことを知った7月18日から時が止まり、この上ない喪失感と哀しみが溢れています。

 私は、シングルマザーで、息子が1人います。息子は春馬君とそんなに変わらない年齢でもあり、子が親より、先に亡くなること、まして、病気とかではなく、自ら死と思うと……

 そして、日々どんな思いでいたのかと涙する日々です。私自身が春馬君の母親としていたら、春馬君を守ってあげられなくて自分自身を日々責め続けてしまいそう。ほんとにたくさんの方たちから愛されて、そして、素敵な笑顔と優しさに包まれて才能溢れる春馬君を守ってくれる人はいなかったのだろうか…誰もわからなかったのだろうかと…

 NHK「おんな城主直虎」の中で、春馬君演じた直親の想いをコウさん演じる次郎法師が、直親の手足となり、魂を宿し生きていくと言う台詞が心に染みております。春馬君を偲び、永遠に皆の心に生きているよ。きっと、「恋空」の様に空から見ているね。(マロン)

「春馬さんが遺したものを見て生きる目標に」

●『創』12月号、三浦春馬「死」の波紋を読み、ファンの方々の深い文章に感動しました。私も恥ずかしながら御社へ手紙を送りました。

 今でも、様々な想いが毎日絡み合い、せめぎ合い、辛い想いは消えません。皆様の書かれた中で「宿題」という文字を見つけ出し、この歳(還暦)になって、私も「宿題」を背負っていることに気付きました。「死生観」とでもいうのでしょうか。

 生きているのは、あたりまえではない、当然ではない。当然だと思うことに驕りがあるのではないか。その日その日をきっちり生ききっていくと、次の何かめざすものが見えてきますね。日常の中で自分の気もち、まわりの人々の気もち、その交流を自覚し、向き合い認めて受け入れていく、自己満足にすぎないかもしれませんが。

 先日新聞で、木造建造物を受け継ぐ「工匠の技」を無形遺産へ、という記事を見ました。登録が勧告された日本の伝統技術の中に、「建造物漆塗」がありました。岩手県内の漆の採取風景の写真も載っていました。春馬さんが、『日本製』の中で、めぐった岩手県の伝統技術だったことを思い出しました。こんなすごい着眼点があったんだなあ。本当に生前精一杯仕事をされていたのを感じます。その感性をほめたたえたいですね。

 私は、春馬さんが亡くなられてから、演技力、歌、舞台、この『日本製』を知ることとなり、今さらながら何故もっと前から知っててあげられなかったのかと、申し訳なく悔しいです。(中略)

 一晩眠って翌朝目がさめると、現実はツラク、残酷そのものですね。そこから立ち直ったり、どすんと落ち込んだりのくり返し。結局は、とりとめもなく想いが絡み合いながら、その現実を受け入れながら、抱き続けて生きていくことで「宿題」を自分の中にのみこんでいくのでしょう。

 春馬さんが遺していったものを、一つ一つ何回でも見て、自分にできることを謙虚にやっていきましょう。それが、生きる目標になっていくのかもしれません。見守って下さいね。春馬さん。

 私の住む地元では、書店にしっかりと『創』さんありました。読ませていただきありがとうございます。(直子 60歳)

「身内を失くした時よりも大きなダメージ」

●三浦春馬さんが旅立ってから4カ月以上経ちますが、いまだに深い悲しみの中にいて、喪失感に襲われる日々を送っています。

 私は、生前から春馬くんの熱心なファンだったわけではないけれど、画面越しに見る春馬くんは、いつもキラキラ輝いていて、素敵な俳優さんだなと好感を持っていました。

 7月18日にニュース速報が入ったとき、私は友人と電話中だったのですが、あまりの衝撃に全身鳥肌が立ち、頭が真っ白になり、友人と「何で?何で?」と繰り返すばかりで、二人ともショックが大きく、それからまともに話せなくなり、電話を切りました。

 その日から、コロナで大変ながらも平和だった私の日常が、一変しました。毎日、春馬くんの姿を追いかけてネットで記事を探し、動画で過去に出演した番組や作品をたくさん観ました。

 彼の素晴らしい才能、人柄を知れば知るほど、なぜこのような素晴らしい人が自ら命を絶たなければならなかったのか、眩しいほどの笑顔の裏で一人でどれほど苦しんでいただろう、どんな思いで死んでいったのだろう、と一日中春馬くんのことが頭から離れなくなり、毎日泣き、もう悲しみや苦しさを通り越して、この感情を表現する言葉が見つかりません……。

 身内や友人を亡くしたときですら、ここまで長期間大きなダメージを受け続けることがなかったので、自分でもどうしたらよいのかわかりません。私の周囲でも、友人や職場の人たち、多くの人が大きなショックを受け、喪失感に襲われました。

 私はアラフォー世代で、職場にはアラサー世代、アラフィフ世代の女性もたくさんいます。みんな「14歳の母」でまだ少年だった春馬くんの存在を知り、そこから彼が素晴らしい役者、素敵な大人の男性へと成長していくのと同じように、私たちも成長し、同じ時代を生き、一緒に歳を重ねてきました。それはこの先もずっと続いていくはずでした。

 無意識だったかもしれないけれど、特にこの世代の女性たちにとって、春馬くんは本当に特別な存在だったのではないかと思います。

 これからも彼の成長を、作品を、輝きを見ていきたかった。でも、もう二度と彼を見ることができなくなってもいいから、この世界のどこかで、生きていてほしかった。ただただ、生きていてほしかった。

 誰もがそう思っています。

 今も辛い日々を送っていますが、春馬くんが一生懸命生き抜いたように、私も一生懸命生きていかなければと思っています。

 春馬くんのことは、生涯忘れません。この先もずっと、私の中で、多くの人の中で、春馬くんは輝き続けるのだと思います。三浦春馬さんの記事を掲載してくださり、本当に有難うございました。

(匿名)

「いっそ春馬さんのもとへ」と考えてしまう

●11月号、12月号と、三浦春馬さんの特集を組んで下さり、ありがとうございました。とても嬉しく思っています。

 普段から好意的に見ていた三浦さんが亡くなり、はや4カ月。この4カ月の間の心境の変化はとてもめまぐるしいものでした。衝撃、悲しみ、苛立ち、感謝、絶望……。そのどれもが深く自分の心を抉り、出口のないトンネルへと誘うものでした。

 彼の過去の発言やインタビューを紐解くと見えてくるのは、真摯さ、真面目さ、純粋さ。そして、周囲から見た彼は、明るく、優しく、気配りが出来、そしてストイック…誰もが口を揃えてこう評します。報道されている幼少期や両親との確執が事実であるのならば、どこかで弱音を吐いたり、道を逸れてしまっても誰も責めたりはしないでしょう。それでも周囲にそんなそぶりを見せることもなく、常にあの満面の笑みで様々なことに取り組んでいた…。

 彼の死をどうしても受け入れられない理由は、彼の存在そのものが奇跡だから、なのです。どんな芸能人でも、生きているうち、ましてや死後ならなおのこと、嫉妬混じりの多少の醜聞が聞こえてくるものです。それが一切出てこない。彼の友人が彼を称して「いい奴の最上級形」と言っていました。私自身も彼に関する周囲の人間の発言やインタビューなどはほぼ調べ尽くしましたが、噂レベルであってもマイナス面はひとつも出てきませんでした。(中略)

 私が未だ悲しみから立ち直れず、全てを諦め恨んでしまうような心持ちになるのは、こんな素晴らしい人が生きることを諦めざるを得なかった状況がこの世に存在したこと、それに尽きます。ちなみに、私は彼がいわゆる鬱病だったとは思っていません。鬱的傾向になることはあったと思いますが、鬱病で身近な人を亡くしている者として、このように休みもなく長きにわたりそして死の直前まで完璧に仕事をこなすことなど出来ないことが身をもって分かるからです。別れに際し、友人や恩師が「決意」や「意思の強さ」のようなものが感じられた、と発言しています(週刊文春より)。

 また、彼が旅立ったその日の夜、公私ともに親しくしていたサーフィンの師匠が「自ら命を絶つこと、そこに至る過程 そして芸能人の皆様 本当の彼を見てましたか? 人に言えないことを抱えて頑張ってました!家族や身内がいない中で私だけは彼の味方でいました。救えなかったのは私の力不足でもあります!(以下略)」とTwitterに投稿していました(現在は削除されています)。だから私は、「彼は意を決してでも人生を諦めざるを得なかった」と思っています。そして「何かが彼をそこまで追い詰めた」そう強く思っています。

 ……誰よりも優しく、誰よりも才能のあった彼がなぜこんな末路を辿ることになったのでしょうか。悔しくて悔しくて毎日毎日狂いそうになるくらい考えて考えて考えてばかりいます。一部のファンが疑問に感じていることを取り上げてくれる媒体はどこにもなく、あるのは親族に関する目を覆いたくなるような真偽不明の記事ばかり。そして出所不明のガスライティングや他殺説、思想信条や政治に乗じた突拍子もない陰謀論を垂れ流す一部ファン(ファンと言えるのかすら疑わしいと思っています)。こんなものに埋もれてしまい、一体どうやったら悲しみと疑問の声を拾ってくれるのか。日を追う毎に絶望が増し、いっそのこと「春馬さんのもとへ行きたい」と考えてしまう自分がいます。

 どうか、助けて下さい。立ち直る突破口が欲しいです。(たいらあい)

「お別れ会を早く開いて欲しい」

●三浦春馬さんのお別れ会がなかなか開かれませんが、春馬くんのインスタの書き込みで、何回も後追い自殺を考えているという内容を見かけております。お友達が春馬くんの元へ旅立ったと書かれていたコメントも見たことがあります。

 きっと皆さん、悲しみを癒やすことができず、どんどん苦しくなっているのではないかと思います。お葬式は、残された人のため、というTVのCMがありましたが、本当にそうだなと思います。

 皆んなで集まって涙を流し、故人を悼むことで、人は悲しみを癒やし、やっと立ち直り、前に進むことができるんですね。今のままでは、苦しくて、心から笑うことができない。笑うことに罪悪感を感じるのです。笑ったことを後悔してしまう自分がいるのです。

『カネ恋』や『天外者』で共演なさった三浦翔平さんが、最近、テレビで春馬くんの名前を口にされています。8月、9月、10月は、なんとなくテレビでは、自殺したことになっている春馬くんの名前を言わないように、触れないようにされている雰囲気があったと思いますが。

 翔平さんも、きっと苦しいのだと思います。もう口に出さずにはいられない。それ位苦しくなっているのだと思います。

一日も早く、お別れの会を開いた方が良いと思います。

 後追い自殺する方をこれ以上出さないため。残された人達が、前を向いて歩いていくために。どうぞ、働きかけて頂きたく、宜しくお願い致します。

 私のような一般人には、力がありません。どうぞ宜しくお願い致します。

(大阪府 53歳 おばちゃんとはまだまだ思ってないおばちゃんより)

「出口は存在していると信じます」

●三浦春馬さんの衝撃のニュースを耳にしてからなかなか地に足がついていないような不思議な日々です。

 私は今年50歳を迎えます。三浦さんとは世代ももちろん違います。以前「キンキーブーツ」のローラの姿をテレビで拝見してこんな素晴らしい若い才能が日本にいらっしゃるんだと深く感動し、是非舞台を観たいと思いながら叶いませんでした。亡くなられてから三浦さんの事を貪るように検索し作品、書籍など拝見すればするほど魅力的で将来が楽しみでならない方で残念という言葉では表せない虚しさを覚えました。

 インタビューでの言葉選びも本当に真摯で選ばれた言葉はすべて心のこもった言霊で神々しささえ感じることもありました。

 三浦春馬さんのことを思うと、どんな気持ちで生き、どんな気持ちで死を選んだのか胸が締め付けられる思いです。動画でみた杉村春子賞を受賞された時の授賞式のあいさつの中に支えてくれた「家族」という言葉がありました。力強く私には響いてきました。

 いろいろな意味があったとは思いますがこの言葉を信じたいです。三浦さんは一人じゃなかったことを。遺作になってしまったドラマでげっそりと痩せられていて、痛々しく、周りの方々はどんな思いだったのか、

 まったく本当に何もなかったのか考えてももちろん答えなど私にわかるはずもないのですが、繰り返し頭に浮かびます。

 私が知る三浦さんはやはりマスコミから得た情報ですので、直接聞いたわけでもないので、想像の三浦さんです。

 ですが今回は頭から離れず、ずっと思ってしまいます。三浦さんも導かれる道が必ずあったはずです。悔しいです。残念です。

 最後に私の事を書かせていただくと40を過ぎ出産、離婚を経験し40代は本当に苦しみました。精神的に追い詰められ、地獄のような日々でした。今は穏やかに過ごせるまでになりました。きっと出口はどんな時も存在していると信じます。

(匿名)

 なお同じ『創』1月号に掲載した空羽ファティマさんの記事も昨日、ヤフニュース雑誌に公開したところ大きな反響を呼んでいる。ぜひ下記にもアクセスしてほしい。

https://news.yahoo.co.jp/articles/722d2b071645bfc40e02004b0304ff61b3488d5c

熱い炎が灯る『天外者』ー三浦春馬さんが問いかけるもの 空羽ファティマ/海扉アラジン

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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