「神も仏もない」と感じる時:災害と心のケア:九州北部豪雨
大災害は今の生活を奪い、過去の思い出も未来の希望も奪う。今、何が必要か。
■「神も仏もない」:息子抱く妊婦まで 命奪う濁流:九州北部豪雨
悲劇はある日突然劇的にやってきます。
災害は、善人の上にも、かわいい子どもの上にも、優しい祖父母、愛に満ちた母と父、そして全ての人の上に、襲いかかります。
■心のケアのその前に
心のケアなどの前に必要なことは、安全安心です。安全な場所、必要な水や食べ物、暖かな毛布やオムツなどの生活物資、家族や友人たちとの再会こそが必要です。カウンセラーや精神科医などの前に、愛する人々と共にハグしあい、語り合うことが必要です。それが心のケアにもつながります。
■「変わり果てた故郷」
家族の命が失われることは災害以外にもあります。家財産を失うこともあります。けれども、大災害は地域全体を破壊します。自分の家族だけが事故にあい、自分の家だけが火事で燃えたならば、親戚、友人、地域の人々みんなが支えようとしてくれるでしょう。でも、地域全体が大被害を受けると、そうはいきません。
自分の直接の家族や家財産の被害は同じでも、地域社会が被害を受けているかどうかで心のダメージは違ってきます。大災害は信じられないような光景を見せつけます。「変わり果てた故郷」になってしまうような大災害ほど、心の傷は深くなり、長く深い心の後遺症であるPTSD(心的外傷後ストレス障害)になりやすくなります。
■「この先どうすれば」
自分の家族、自分の家、そして地域社会全体が大被害を受けます。茫然自失です。復興など全く考えられもしません。今日の生活、明日の生活、今月の生活をどうしたら良いのかわかりません。
大切にしてきた家族や家や仕事を失った人たちが、力を失ってしまうのは当然です。
今現在の苦しさに加えて、この先の不安があり、将来の希望が見えないことは、心の大きな負担になります。人は、希望さえあれば今の苦しみに耐えられるのですが、希望を失うことで、今の苦しみに心がえぐられます。
水害は、写真や記念の品など「思い出」も奪います。現在も過去も未来も奪われた人々がいます。
悩みや不安は人ざまざまです。小さなことから大きなことまで、多様な不安があります。着の身着のままで逃げてきた人がいます。周囲の迅速な対応、役立つ情報が求められます。生活に役立つ情報、今もこの先も大丈夫だと思える情報が必要です。
■子どもの犠牲
小さな子どもの命が犠牲になることは、全ての人の心に深い傷を残します。家族はもちろん、近隣の人も、プロもそうです。警察や自衛隊の隊員なども、子どもの遺体と直面することは、大きな心の負担になります。
■「神も仏もない」
大災害は、私たちの心から「神」を奪います。それは、特定の宗教信仰を失うという意味ではありません。心の支えを失うという意味です。私たちは、努力は報われる、善人には良いことがあると、何となく感じながら生きています。ところが、大災害はそのような私たちの価値観、人生観を粉々に打ち砕きます。
だから、大災害は心を傷つけ、未来の希望を失わせます。被害を受けた皆さんが、神も仏もないと感じるのは当然です。そう思っている方々に対しては、言葉もありません。
阪神淡路大震災の時、震災で子どもを失ったお父さんがいました。お父さんは、悲しみのあまり何もできなくなっていました。そのお父さんのところに、キリスト教の牧師が会いにきました。この牧師も被災者です。二人は初対面だったのですが、事情は知っていました。初めて出会った二人は、何も語らず、男泣きに泣いたそうです。
「悲しんでいるものは幸いだ」という言葉があるように、悲しみも、涙も、絶望さえも、必要なことなのかもしれません。心理学的には、悲劇に襲われた人には、安心して悲しめる場所と時間が必要だとされています。被害を受けた皆さんに、安心安全な場所を。
PTSDを予防するためには、周囲の支えが必要です。親の心の落ち着きが、子どものPTSD発症を防ぎます。でも、親も支えられる必要があります。市民を役所の職員や自衛隊などが支えるでしょう。でも、プロにも支えが必要です。まだ復興などを考えるのは早すぎるでしょう。けれども、心のケアのためにも、みんなに希望が必要です。孤独と見捨てられた思いが、心の傷を深くします。
NHKのアナウンサーが、連呼していました。「助けは必ず来ます」。
幸福や希望に関する研究によれば、幸福は日常と安定から生まれ、希望は変化から生まれます。希望は悲しみの涙から、怒りのうめきから生まれます(写真絵本『きぼう―こころひらくとき』ほるぷ出版)。生活を守り、希望がわくことが、復興です。
希望は、新しい大切な何かを見つけ、みんなと一緒に一歩を踏み出す時に生まれます。