Yahoo!ニュース

53歳、伊藤みどり国際大会出場へ、シングルアクセルに大反響「恥ずかしい、でも嬉しい」

野口美恵スポーツライター
41歳で出場した2011年国際アダルト競技会、ダブルアクセルを成功した

「跳びたい! 私にはやっぱりアクセル。だから跳びたいの! お願い、パワーをちょうだい!」

 身長145センチの身体を、思い切り良くブンッと踏み切り、音を立てて空中へと投げ出す。右足を軸に、左足を「くの字」に巻きつけ、1回転半。バーンッと着氷すると、気持ちよさそうに振り返り、決めポーズをとった。

 伊藤みどり、53歳。フィギュアスケート史に名を残すレジェンドは、今、再び氷上に立った。当然ながらトリプルアクセルを跳ぶわけではない。ダブルアクセルでもない。ただひたすら、大きなシングルアクセルを、転んでは立ち上がり、降りては無邪気な笑顔を見せる。50代を迎えた彼女を、今、動かすモチベーションとは――。

32歳まで跳び続け「トリプルアクセルは私の一番のやりがい」

 誰もが、あの映像を一度は見たことがあるだろう。1992年アルベールビル五輪、えんじ色の衣装にポニーテールの伊藤が、空を切り裂くようなトリプルアクセルを決め、アジア人初となる銀メダルを獲得。そのジャンプの高さと飛距離は、今なお伝説となっている。そして引退後もアイスショー「プリンスアイスワールド」を率い、日本のスケート界を牽引してきた。

「本当は金メダルなら良かったんでしょうけれどね。でも私としてはオリンピックの舞台でトリプルアクセルを跳べたことで、満足でした。私がきっかけで、『五輪の金メダルを目指そう』という強化体制が整い、浅田真央ちゃんや荒川静香さん、羽生結弦さんらの活躍へと繋がっていった、その礎になれたことは本当に嬉しいことです。私は引退後も、アイスショーでは32歳まで、トリプルアクセルを跳んでいたんですよ。プロ競技会にも出て、トリプルアクセルは私のスケートにとって一番のやりがいでした」

 そんな伊藤は、代名詞のトリプルアクセルが跳べなくなり、ショーを引退。それ以来、もう、人前で滑ろうとは思わなかったという。解説者など芸能的な仕事も選ばず、浅田や荒川らの活躍で火が付いたフィギュアスケートブームの中でも、どこか他人事のようにスケート界を見つめていた。

 転機になったのは、友人たちに誘われて41歳のときに参加した2011年国際アダルト競技会だ。国際スケート連盟(ISU)が主催する正式な大会であり、28歳から90歳代まで、世界各国の大人スケーターが出場する。ふくよかな体型になった元選手も派手な衣装を着て、ジャンプは1回転だとしても、堂々と自分をアピールしていた。

「人生観が変わりましたね。スケートって、こんなに世界中の人たちが楽しんでいるんだ!って。今までは競技だったりプロだったりしていたけれど、ライフワークとしてスケートができるんだ、楽しんで滑ることが生きがいになるんだ、というのを感じられて。みなさんがスケートをエンジョイしているのを見て『私もそういう気持ち忘れてた!』って」

 その大会で伊藤は、迫力のあるダブルアクセルを跳んだ。現役時代を彷彿とさせる、高く、腰がフェンスの上まであがるジャンプ。その快感は、現役時代のトリプルアクセルと同じものだった。

一方で、新採点方式になってからの試合に出るのは初めてだったこともあり、ジャンプ構成やスピンのレベルなどで戦略的に点を稼げなかった。その結果、2位に。ただ、それも伊藤にとっては新鮮だった。

「ダブルアクセルを跳べて、自己満足。結果は2位でしたが、技術だけでなく自分を表現して滑ることが素晴らしいことだな、と。氷上は自分を表現できる場だからこそ、私もスケートを好きなんだな、と改めて思えたんです」

2018年国際アダルト競技会、48歳、公式の場で成功した最後のダブルアクセルとなった
2018年国際アダルト競技会、48歳、公式の場で成功した最後のダブルアクセルとなった

ダブルアクセルが新しい挑戦に、そして49歳での失望

 その後、2012年、13年、18年と出場。毎大会、ダイナミックなダブルアクセルを披露し、「アクセルのレジェンド」として40代を駆け抜けた。

「50歳になってもダブルアクセルを跳びたい。それが私の新しい挑戦」

 49歳9ヶ月で迎えた2019年大会に、今までとは違う気迫で出場した。この試合で成功できれば、50歳の壁を超えられる――。そんな気持ちがあった。大会に向けては、半年前くらいから陸トレをこなし、プロテインなど栄養に気を配り、体重も絞り、ここ数年で最高の状態を作った。しかし、なぜかダブルアクセルを決められない。1年前には、軽く跳べていたはずのダブルアクセルだったのに。

「アクセルは私の一番のモチベーション。ダブルアクセルが降りられないなら、ドイツの試合になんて行く意味あるのかな。練習していても全然楽しくないし、脚も痛いし腰も痛いし、辛いだけ」

 それでも、ドイツに現地入りしてからも、諦めずに粘った。

「大会が行われるオーベルストドルフは標高1000メートル。気圧が低いからジャンプも上がるし、本番のアドレナリンでなんとか降りられるかも」

 わずかな希望を胸に、公式練習で何本もダブルアクセルを跳んだが、転倒、また転倒。本番前の6分間練習では、「回転は足りてステップアウト」が1本あり、思わずリンクサイドから「おー」っと声が上がった。

 しかし本番、冒頭のダブルアクセルで転倒。アルベールビル五輪で2本目のトリプルアクセルに挑んだことを思い出し、もう一度ダブルアクセルを跳んだが、それも回転不足に。演技を終えた瞬間、伊藤は顔を両手で覆い、ため息をついた。

「ショックでしたね。49歳でダブルアクセルは無理なのかなって。惜しいところまでは行っていたし、体に無理して、なんとか本番だけでも辻褄合わせようとしていたんですけど、体の痛みもありました。現役時代も波があったように、20代、30代、40代と、体が変化していく過渡期だったのかも知れません。もうドイツには行かない。そう思いました」

 悔しさを胸に、帰国。そこから自問自答の日々が続いた。

「よく考えると、私が『アクセル』を跳べないのって人生初だったんですよ。92年アルベールビル五輪でも2本目のトリプルアクセルは成功しているし、復帰後の94年全日本選手権でもトリプルアクセルは降りている。ダブルアクセルではあるけれど、自分が跳びたいと思ったアクセルを試合で降りられなかった、というのは初めてで、それをどう受け止めていいのか分からないまま時間が過ぎていきました」

 その喪失感は、トリプルアクセルを失った32歳の時と、どこか似ていた。

オリンピックチャンネル公式ツイッターで、アクセルの比較動画が掲載された
オリンピックチャンネル公式ツイッターで、アクセルの比較動画が掲載された

53歳「みどりはまだ元気にジャンプしてる!」

 そして翌2020年、コロナ禍となった世界では、さまざまな自粛を強いられることになる。スケートへの意欲を失ってしまった伊藤は、ジャンプとは無縁の日々を過ごす。地元の北九州市で子ども向けのスケート教室は開催していたものの、氷上に立つ程度で、自ら練習することはなかった。

「コロナの時期は、ほとんど引きこもりでした。名古屋には山田満知子先生もいるけれど会いに行かず、とにかく休んで。そうしたら、それまでは古傷の腰痛や足の痛みが何年も消えなかったんですが、しっかり体を休めたことで、良くなっていったんです」

 3年弱の時間が、傷ついた心と体を癒やしてゆく。昨年12月、3シーズンぶりに滑ってみると、血が騒いだ。

「あれ、腰が痛くないかも!って。ちょっと軽く跳んでみたら『痛みがない!』。じゃあ滑りたい、アクセルまた跳びたい!って(笑)」

 正月明けには、シングルアクセルの勘はすぐに取り戻せた。その様子を自身のSNSに動画でアップすると、予想外の多くの反響が巻き起こる。特に驚いたのは、オリンピックチャンネルが、92年アルベールビル五輪との比較動画を作って掲載したことだ。「伊藤みどりは53歳になってもアクセルを楽しんでいる」とのコメントが添えられ、31年たっても助走や踏切がまったく同じタイミングであることが紹介された。

「恥ずかしいですよね。たかがシングルアクセルで載せていただいて。でも跳び方が、トリプルアクセルとシングルアクセルで変わらないものなんですねえ。本当はダブルアクセルを見せたかったですけど!でも、みどりがまだ元気にジャンプしているっているのを、世界の皆さんに知ってもらえて、それはすごく嬉しいことです」

 やはり伊藤は生まれながらのアスリートである。アクセルの質が上がってくると、自然と次のステップへと挑戦したくなってきた。

「やっぱり試合ですよね。私は、やっぱりショーや練習よりも、試合でモチベーションが上がるタイプ。一回だけの舞台に向けて、集中して、すべてのタイミングをあわせていく緊張感。あの場にもう一度帰りたい。やっぱりドイツ(の大会)行っちゃう!?」

トロント在住のデイビッド・ウィルソン氏にZoomを介して振り付けてもらった
トロント在住のデイビッド・ウィルソン氏にZoomを介して振り付けてもらった

福間さんの演奏とデイビッドの振り付けで「私の人生を表現する!」

『試合』と思うと、居ても立っても居られない。53歳の自分に何が表現できるのか。すぐに曲選びを始めると、かねてから交流があり大ファンだったピアニスト・福間洸太朗さんのシャンソンメドレーが、スッと心に入ってきた。真っ直ぐで誠実なテクニックと、透明感溢れる音色。50代の自分が、今まさに辿り着こうとしている境地のように感じた。福間さんに演奏を頼むと、快諾。試合の2分10秒バージョンの音源を弾いてもらい、モチベーションも上がった。

「これだなって。まだ若い時だったら、シャンソンなんて私は踊れないタイプ。でも今なら、って思ったんです」

 伊藤には不思議な吸引力がある。曲が決まった途端、今度は世界的な振付師、カナダのデイビッド・ウィルソン氏が、振り付けを申し出てくれたのだ。羽生結弦のアイスショーや、三原舞依のプログラムの手直しなど多忙を極めていたが、Zoomを介して振り付けを行った。

「デイビッドから聞いて『え、本当に!?』って。プロでアイスショーに出ていた頃は振り付けていただいたんですが、20年ぶりくらい。Zoomという形式は初めてでしたし、今どきの選手を教えているデイビッドについていけるのかなって」

 3年ぶりに練習を再開したばかりの身体で、いきなりウィルソン氏の振り付けである。創作は、たやすくは無かった。伊藤の動きが、ウィルソンの感性に合っていなければ、容赦なく「ノー!ノー!」とZoom越しに叫ぶ。「もっと大胆に!もっと自分に誇りを持って!」とウィルソンが言い、伊藤が大きく動こうとして転倒すると、「そう!それでOK。練習すればできるでしょ」と笑って続ける。初めは動きもぎごちなかったが、必死に食らいついていくうちに、2人の感性と動きが一体化していく。2日間、計7時間のセッションで振り付けを終えた伊藤は、立ち上がれず、放心状態だった。

「かなり、かなり疲れております。でもデイビッドの感性は凄いので、素敵なプログラムが出来上がりました。あとは自分でブラッシュアップしていって、デイビッド、プラス私の味のあるプログラムを創り上げられればと思います」

 そのプログラムで表現したいものは――。

「それは私の人生。みどりの人生。いろいろな人生があっていいと思うので、今の私の人生を表現できたらな、っていう思いです」

53歳での国際アダルト競技会への出場の決意を語る伊藤みどり
53歳での国際アダルト競技会への出場の決意を語る伊藤みどり

 今年5月のISU国際アダルト競技会に、伊藤は正式にエントリー。仲間とともに創り上げた伊藤みどりという一人の人生を描くプログラムを、大切に、自分らしく滑りぬくことを目標にした。

「もちろんアクセルの練習は続けます。今はシングルアクセルですけれど、質の良いものが跳べれば、自分に拍手。練習を続けていって、その先にダブルアクセルがあれば良いな。『跳べたら良いな』くらいの気持ちです。そこは50歳を過ぎて、気持ちにゆとりというか、変わってきた部分かなって思います。あ、でも、もうちょっと痩せて、俊敏性が出てこないとダブルアクセルは無理かな(笑)」

 5月のオーベルストドルフに気持ちを馳せる。遠くに見えるアルプスの山々、雪解け水のせせらぎ、初夏の牧草の匂い、リンクに入った瞬間の神聖な空気。皆の応援を受けながら、再び氷に立ったとき、伊藤は何を思うのか。滑る楽しさ、アクセルを跳ぶ嬉しさ、仲間と試合を迎える緊張感。すべてが、伊藤のスケート人生の彩りとなっていく。

「やっぱり滑ることが好きなので。風を切るときの匂いとか、試合の緊張感とか、みんなが頑張ってる姿とか、温かい応援だとか。そういったものが国際アダルト競技会にはある。そこでまた滑りたいなって、そう思っています」

悔しい思いをした2019年国際アダルト競技会、たくさんの仲間に囲まれダブルアクセルに挑戦した
悔しい思いをした2019年国際アダルト競技会、たくさんの仲間に囲まれダブルアクセルに挑戦した

【この記事は、Yahoo!ニュース個人の企画支援記事です。オーサーが発案した企画について、編集部が一定の基準に基づく審査の上、取材費などを負担しているものです。この活動は個人の発信者をサポート・応援する目的で行っています。】

スポーツライター

元毎日新聞記者。自身のフィギュアスケート経験を生かし、ルールや技術、選手心理に詳しい記事を執筆している。日本オリンピック委員会広報としてバンクーバーオリンピックに帯同。ソチ、平昌オリンピックを取材した。主な著書に『羽生結弦 王者のメソッド』『チームブライアン』シリーズ、『伊藤みどりトリプルアクセルの先へ』など。自身はアダルトスケーターとして樋口豊氏に師事。11年国際アダルト競技会ブロンズⅠ部門優勝、20年冬季マスターゲームズ・シルバー部門11位。

野口美恵の最近の記事