【京都市】ムリムリ、絶対に無理ぃ〜!明智光秀殿、本能寺で織田信長を討つのはせめて一休みしてからに…
京都の観光スポットをユニークな切り口で案内するガイドツアーを企画する「ことぶら」が毎年6月に開催している「本能寺の変スパルタウォーキングツアー」に参加しました。
1年に一度だけのこのツアー、一体どんなツアーなのか…
「本能寺の変スパルタウォーキングツアー」とは?
天正10年6月2日、本能寺の変が起こり、明智光秀が主君である織田信長を討ちました。
“戦国最大のミステリー”とも言われる、謎の多い事件ですが、本能寺の変の前日に、明智光秀が約13,000の兵を率いて丹波亀山城から出陣し、翌早朝、京都・本能寺に滞在中の織田信長を討ち取ったのは事実。
この明智光秀の行軍を再現してみようと企画されたのが、「本能寺の変スパルタウォーキングツアー」です。
9:00にJR・亀岡駅に集合し、京都市中京区にある本能寺跡(以降は「本能寺」と記載)までの30km弱を歩くという、ただただ“スパルタ”なイベントで、到着予定は19:00だとか…
ラジオDJのターキーさんが明智光秀として参加者を率いる
このツアーのガイドをつとめるのは、ラジオDJやイベントMCとして活躍されているターキーさん。 明智光秀として参加者を本能寺まで率いてくれます。真っ赤な甲冑(かっちゅう)が新緑に映えています。
ターキーさんは、戦国史にくわしいのかと思いきや「天正10年5月26日から6月13日までの明智光秀にくわしい」という、かなーーーりコアな明智光秀ファンでした。
明智光秀クイズと13,000の兵を集めるミニゲームで盛り上げる
本能寺に到着するまでの道中では、ターキーさんから明智光秀にまつわるクイズも出題され、軽快なトークで兵(参加者)の士気を高めてくれます。
クイズに答えるだけでなく、正解するとダーツの的にボールを投げるイベントが発生します。
ボールの当たった場所に書かれた数字は兵の数という設定。みんなで力を合わせて13,000ポイント(実際に明智光秀が率いた兵の数)を集めて本能寺に討ち入ろうという趣向のゲームです。
さらに一番多く兵を集められた参加者にはご褒美が与えられるとのこと!気合が入ります。
敵は本能寺にあ〜り〜!「本能寺の変スパルタウォーキングツアー」に参加した感想
2016年に第1回が開催された「本能寺の変スパルタウォーキングツアー」も、今年で第6回目。(2020年・2021年は中止)
「こんなツアーに申し込む人いるのかな?と思いながら企画したんですけどね」と主催者である「ことぶら」代表の田中英哉さんも半信半疑でのスタートだったそう。
今回はわたしをふくめ5名の参加者がJR・亀岡駅に集結しました。南口から200メートルほど南にある明智光秀の銅像前で、ガイドのターキーさんが“正装”に着替えます。
その後、明智光秀の居城・亀山城(現在は跡地)に入城し、今回の行軍の予定や明智光秀、本能寺の変にまつわる情報を教えてもらい、いざ出陣。
織田信長のいる本能寺へ向けて、明智光秀に扮するターキーさんが先導してくれます。
はじめは内心「仲間と思われたくない…」と思いながら歩いていましたが、次第にすれ違う人の驚きの表情を見るのが楽しくなって来ました。
なんと、過去のツアーではこの姿を見た通行人に「ああ、本能寺か」と言われたこともあるそうです。
亀山城跡の近くにある、亀岡市文化資料館にも立ち寄り。ここでは不審がられることは一切なく、完全に歓迎ムードでした。さすがお膝元。
「保津川下り」で有名な大堰川(おおいがわ・保津川の別名)を渡り、山を越えて京都を目指します。
実は、明智光秀の軍勢がどのルートで本能寺を目指したのかは諸説があり、正確にはわかっていないそうです。このツアーでは安全面も考慮し、「ことぶら」オリジナルのルートが採用されています。
ですが、なんと今回は途中の道路が崩落による通行止めとなっており、電車での移動を余儀なくされました。
※ JR・保津峡駅付近〜嵯峨鳥居本の区間が2023年6月30日まで通行止めです。
「本能寺の変スパルタウォーキングツアー」史上初のアクシデントだそうですが、この時すでに疲労が蓄積していたわたしにとって、電車での移動は幸運でした。
ただ、真っ赤な甲冑の明智光秀といっしょなのはなかなかの試練… ついつい距離を取ってしまいました…
JR・嵯峨嵐山駅で下車し、観光客でにぎわう嵐山へ。ここまで来ると、むしろ好奇な目で見られるよりも、修学旅行中の中学生や外国人観光客から写真撮影を求められるほどの人気ぶりでした。まさに民から慕われていたと言われる明智光秀そのもの。
嵐山から松尾大社を経て、ひたすら南下し、実際に明智光秀が進行したと伝えられる現在の国道9号線に到着しました。
ですが、炎天下を歩き続けた疲れで、わたしの体力はすでに限界を超え、足は棒状態に…
「敵は本能寺にあ〜り〜!」と明智光秀が号令するシーンが有名(実際には後世の創作)な桂川に到着するころには、「脱走」の二文字が頭をよぎるほどでした。
なんとか気力を振り絞り、17:30過ぎには油小路通を北上。本能寺はもう目と鼻の先です。参加者に先発隊を任せるあたり、近年の研究を忠実に再現されています。
そして、ついに本能寺へ到着!!
…「本能寺の変スパルタウォーキングツアー」に参加するような人であれば周知の事実ですが、本能寺の変があった場所には現在、老人ホームが建てられており、当時の痕跡はありません。(そもそも本能寺の変で焼失していますし…)
老人ホームの西側と、北東角に石碑が建てられているだけですが、亀山城跡から本能寺跡までの行軍を思い返せば感慨深いものがあります。
西側の石碑前で参加者全員で記念撮影を行ない、北東角へ移動しました。こちらでも記念撮影。
さすが明智光秀の6倍、本能寺の変をこなしているだけあって、まったく疲れを感じさせない「ことぶら」代表の田中英哉さんとガイドのターキーさん。
最後に、クイズ&ダーツによるミニゲームの成績発表がありました。結局、5人合わせても明智光秀の軍勢と同じ13,000ポイントには到達しませんでしたが、成績優秀者にはターキーさんからご褒美が贈呈されました。
今から織田信長を襲撃?そんなの無理ぃ〜!
実際に丹波亀山城から本能寺まで歩いて感じたのは、このクタクタの状態で、織田信長を襲撃するのは到底無理だということ… 本能寺にたどり着くのがやっとで、もはやスタミナは残っていません。
当時、明智光秀の軍勢は謀反を悟られないように、夜を徹しての行軍でした。登山靴もない時代に夜間に山を越えるなんて本当にできたのかと疑ってしまうほどに、本能寺までの道のりは過酷だったのです。
もしもわたしのような足軽が明智光秀の軍にいたとしたら、本能寺の変は成功していなかったかも知れません…
「本能寺の変スパルタウォーキングツアー」は、なんと2050年開催分まで予約受付中!?
この記事を読んで来年の「本能寺の変スパルタウォーキングツアー」に参加しようと思う人がどれぐらいいるのかはわかりませんが、なんと「ことぶら」の公式サイトでは2050年開催分まで予約受付中です。
万が一来年は都合が悪くても、その気があれば、2050年までには参加できることでしょう!ぜひチャレンジしてみてください。
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京都ユニークイベント「ことぶら」
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・「ことぶら」とは
・「ことぶら」開催スケジュール
「本能寺の変スパルタウォーキングツアー」のようすは、主催者「ことぶら」のブログやガイドのターキーさんのブログでも紹介されています。こちらもどうぞ!