劇場,夜の街,昼カラ・・・クラスターはなぜ繰り返し起きるのか
小劇場での舞台クラスター
新宿の劇場シアターモリエールでのコロナウイルス感染症のクラスターが、大きな注目を集めています。現時点で出演する俳優、スタッフ、観客など、37人が感染したとされ、全公演の観客のべ800人が濃厚接触者と認定されるに至っています。
報道によると、この公演では、都内の小劇場がまとめた感染防止のガイドラインが守られていなかったことがわかっています。たとえば、客同士の間隔をあけて密を避ける、頻繁な換気をするなどが徹底されていなかったうえ、出演者と観客がハグや握手をすることもあったとのことです。
また舞台と客席が近く、出演者が大声を出すような場面もあったことから、前方の観客にはフェイスシールドが配布されていたということですが、着装しない人もいたとも報じられています。
さらに唖然としたのは、体調の悪い出演者を出演させていたということです。
こうした事態に対し、萩生田文科大臣や小池都知事が苦言を呈したり、他の公演がキャンセルに追い込まれたりするなどの波紋が広がっています。演劇関係者が激怒のツイートをしたことにも話題が集まりました。
新型コロナウイルス感染症については、まだわからないことが多い反面、これまでの経験でわかってきたこともたくさんあります。専門家はそれを踏まえて、手指の消毒、三密の回避、換気、マスク着用など、数々の効果的な予防策をわかりやすく端的に繰り返し訴えてきました。
しかし、それを無視したところでクラスターが多発しています。これまでも、ホストクラブなど接客を伴う飲食業やカラオケ店などで発生したクラスターは、まさにその顕著な例でしょう。そして、今回の劇場クラスターにもそれが当てはまります。
どんなに気を付けていても、感染することはあります。とはいえ、きちんとした予防策を講じていれば、感染のリスクが大幅に下がることは間違いありません。
それなのに、なぜ人はそれを守らず、そしてその結果、感染してしまうのでしょうか。これまでも、同様の例があったにもかかわらず、なぜそこから学べないのでしょうか。
楽観主義バイアス
人間の思考というものは、おおむね合理的で、たいていの場合正しいものだとこれまでは考えられていました。間違った不合理な判断をするのは、酔っ払ったときや感情的になったときなど、例外的であると思われていたのです。
しかし、近年の行動経済学の発展によって、それは間違いであることが明らかになりつつあります。ノーベル賞受賞者のダニエル・カーネマンは、人間の思考には系統的なエラーがたくさんあり、従来信じられていたほどあてになるものではないと述べています。1)
このような思考のエラーの代表的なものに、「楽観主義バイアス」があります。これは、物事を過剰に楽観視し、ネガティブな事態を過小評価する傾向のことです。それによって、物事の予測と現実にズレが出てしまいます。
コロナウイルス感染症でいえば、さしたる根拠もなく「自分はコロナにかからない」「ちょっとくらい密な状態であっても大丈夫」などと考えてしまうことです。
誤った思考は、誤った選択を生み、誤った行動を招きます。そして、その結果思いもよらぬ事態を引き起こしてしまうのです。
今回の劇場クラスターでも、合理的な感染防御策自体はきちんと策定されていました。しかし、それが守られなかったことの背景には、このような「楽観主義バイアス」の存在が強く疑われます。
楽観主義は両刃の剣
人間は、現在から未来に向けての時間軸の中で生きています。そのため、現在のこと、目先のことだけにとらわれた近視眼的な生き方は不適応的です。したがって、常に将来を予測しながら生きていくべきなのですが、その際、将来に関する予測の正確さが重要になります。
一般的な傾向として、人は将来に対するポジティブな出来事を過大に見積もり、ネガティブな出来事を過少評価すると言われています。つまり、楽観主義バイアスを持ちやすいのです。研究によれば、世の中の80%の人は、楽観主義バイアスを有しているとされています。2)
だとすると、楽観主義バイアスは、思考のエラーではあるけれども、人間の性質として「正常」な一部であるともいえるでしょう。
実際、楽観主義バイアスをもたず極度に悲観的になりやすい人は、うつ病や不安障害などにかかりやすくなります。現在の感染症の蔓延という事態の中では、誰しも多少の不安は感じるものです。しかし、あまりにも不安が高じてしまうと、それはそれで精神衛生上好ましくありません。ある程度の楽観主義は必要です。
このように考えると、楽観主義バイアスは両刃の剣であることがわかります。コロナに関して、ある程度楽観視することは、健康な心理状態を保つうえで必要です。一方で、それが過ぎると、感染症を軽視したり予防策を取らなったりして、感染のリスクを高めてしまいます。
したがって、われわれは適度な不安と適度な楽観主義の間でバランスを取って生きていくことが求められるのです。コロナウイルス感染症に対しては、「賢く恐れる」ことが大切だとよく言われますが、それはこのバランスのことを指しているといえるでしょう。
過度な楽観主義バイアス
問題になってくるのは、このバランスが崩れ、楽観主義バイアスが過剰な状態になった人たちです。このような人々は、感染が拡大しているというニュースを見ても、それを他人事としかとらえません。「これまで自分は感染しなかった」という事実を唯一の「根拠」としてとらえ、「これからも大丈夫だろう」と高をくくってしまうのです。
普通ならネガティブな情報があれば、そうした情報を取り入れて、楽観主義を修正し、現実的なバランスを保つことができます。しかし、過度な楽観主義バイアスを有している人々にはそれができません。
その理由は2つあります。第1に、自分の楽観主義に反するようなネガティブな情報があっても、それをスルーしてしまうのです。都合のいい情報しか入ってこないのです。
第2に、都合のいい情報ばかりを取り込むことによって、常に自分の楽観主義が「上書き」「アップデート」され、さらに強固なものになってしまうのです。3)
こうして、彼らには専門家や政治家がどれだけ注意喚起しても、「自分は大丈夫」という根拠なき信念に凝り固まってしまい、まさに馬耳東風の状態に陥っています。
シアターモリエールの件でも、後から後からびっくりしてあきれてしまうような杜撰な状況が明らかになっていますが、当事者たちはまさにこのような過度な楽観主義バイアスに凝り固まっていたのではないでしょうか。
対策は
だとすると、今後のコロナウイルス感染症対策においても、ただ単に注意喚起を繰り返し、予防策の徹底を呼び掛けるだけでは不十分です。どうしても、このような過度な楽観主義バイアスという心理的傾向を持った人は一定数おり、そうした人々がクラスターとなって感染を広げてしまうからです。
したがって、人間の心理をよく分析したうえで、一歩進んだ対策を講じなければなりません。とはいえ、楽観主義バイアスへの対策は非常に困難です。第一人者であるカーネマン自身、楽観主義バイアスの克服に「楽観的にはなれない」と述べています。1)
これまでも、こうした傾向を修正するための訓練プログラムが開発され、実施されていますが、大きな成果は上がっていないのです。
そのなかで唯一、見込みがあるとされているのは、個人ではなく集団で、あるいは組織として対処するというアプローチです。特にカーネマンが推奨するのが、「死亡前死因分析」という方法です。これは、何か重要な決定をしようと考えたときに、関連する人々が集まって、次のようなシミュレーションをしてみるのです。
われわれは、この決定を実行に移しました。そしてその後、その決断は、大失敗に終わりました。どんなふうに失敗したのか、その経過を簡単にまとめてください。
重要な点は、失敗を前提に考えるということです。大失敗(死亡)をするとの前提で、その原因(死因)を考えてみるということです。
シアターモリエールの例であれば、舞台や客席の配置など講演の方針がある程度決まった段階で(前述のように、客席の間隔は狭く、観客との距離もさほど遠くない。換気は2時間に1回程度。握手やハグもする)、それが大失敗に終わった(つまり、感染拡大を招いたなど)という状況を想像し、そのプロセスを検討するという思考ゲームをするのです。
大失敗が前提なので、楽観主義バイアスの影響を受けずに、この判断に潜むリスクをあぶり出すことができます。
シアターモリエールのウェブサイトでは、自らの劇場を「従来の劇場の概念を超えた爽やかな空間」と表現し、「ステージと客席が同一レベルで繰り広げられる芝居は演じる者と観る者が一体となれるユニークな小宇宙を構成し、この劇場ならではの楽しさを醸しています」と書かれています。
それはこの劇場の哲学であり、追い求めた理想的な芝居の姿だったのでしょう。しかし、残念ながらそれが裏目に出てしまいました。ウィズコロナの時代、もう「古い日常」とは訣別しなければならないのです。われわれはその現実に対し、楽観主義を排して向き合わなければなりません。
劇場の名前のもととなったフランスの劇作家モリエールの遺作にして代表作に『病は気から』という作品があります。医者嫌いのモリエールが、徹底的に医者を風刺した作品です。当時重い病気にかかっていたモリエール自身が、その病をおして本作の上演を強行した結果、その直後に亡くなってしまったというのは、まさに皮肉としかいいようがありません。
文献
1)Kahneman D. Thinking、 Fast and Slow. 2011.
2)Sharot T et al. Nat Neurosci. 2011.
3)Sharot T. Curr Bio. 2011.