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孤立する技能実習生(3)実習生を「顔の見えない」存在にしないで、「助けて」と不安募らせる故郷の家族

巣内尚子研究者、ジャーナリスト
女性技能実習生を心配するベトナムの家族。筆者撮影、ベトナム北部。

ニュンを助けて――。これは、ベトナムに暮らす技能実習生の家族から言われた言葉だ。日本の産業部門を支えつつも、相談先を持たず、孤立している技能実習生が存在し、故郷では家族がそんな技能実習生の状況に不安を募らせている。

筆者は、「孤立する技能実習生(1)”奴隷労働”でも『相談先ない』、岐阜縫製のベトナム人女性が相談できない理由」「孤立する技能実習生(2)実習生の限られた行動範囲と支援情報の不足、「支援体制」は存在するのか?」で、岐阜県の縫製工場で働くベトナム人女性技能実習生のニュンさんの事例を取り上げ、技能実習生が相談先を持たずに外部になかなか相談できない状況について説明した。

このように日本社会で孤立しがちな技能実習生を、その家族は日本から遠く離れたベトナムで心配し、不安を抱えている。技能実習生もまた、私たちと同じようにそれぞれの人生を生きている個人であり、”顔の見えない”「入れ替え可能な労働者」ではない。日本で働く技能実習生について、ベトナムの家族はなにを思っているのだろうか。今回はベトナムの家族についてリポートしたい。

◆戦争・戦後・現在の社会変動とベトナムの家族

ベトナムの農村部。筆者撮影。
ベトナムの農村部。筆者撮影。

岐阜県で働くベトナム出身の技能実習生の女性、ニュンさんと出会ってからしばらくして、私はベトナムに暮らす彼女の家族を訪れることにした。

2016年の夏。ベトナムを訪れた私は、同国北部の農村を目指した。

首都ハノイ市を抜け、アスファルトの道を小型タクシーが目的地へと進む。車に揺られるうちに、あたりには田畑が広がっていく。ベトナム北部の農村でよく目にする茶色の牛がみえてくる。

ハノイを出てから、2時間半ほど経過したころ、大きな道路からわき道に入るところに、ニュンさんの夫ドゥックさんが迎えに来てくれていた。

バイクに乗ったドゥックさんの先導で、小型タクシーは集落の路地の奥へと入っていった。

コンクリートづくりの家にたどり着いた。草木がにぎやかに生い茂る広々とした前庭があり、そこでは犬やニワトリがかわれている。庭に面した家の扉や窓はすべて開け放たれている。

靴を脱いで家に入ると、どっしりとした長椅子とテーブルが据えられた居間に通された。壁には家族の写真がかけられている。奥には台所や洗面所があるようだ。外からの風が入り、心地よい。ベトナム北部の農村を訪れると、こうしたつくりの家をよく見かける。

居間では、60代くらいの小柄な女性と、小学生くらいの男の子が迎えてくれた。

女性はドゥックさんのお母さんで、男の子はニュンさんとドゥックさんの息子だった。

ニュンさんはこの北部の農村で1980年代に生まれ、学校を卒業した後に同年代のドゥックさんと結婚し、子どもを産んだ。ベトナムでは共働き世帯が当たり前で、女性たちも家の外で収入を得るための仕事をしているが、ニュンさんも以前は韓国企業の縫製工場で働いていたという。

ニュンさんの夫ドゥックさんは自営業をし、夫婦2人で働き、子どもたちを育ててきた。子どもたちは学校に通い、ニュンさんとドゥックさんの夫婦は子どもたちの教育や将来をとても気にかけているらしかった。近くに暮らすドゥックさんの両親や親戚とも頻繁に行き来し、交流を欠かさない。夫婦で働き、子どもたちの教育を気にかけながら、親きょうだいも含めて家族を大事にする。それはベトナムではどこにでもいるような家族の在り方だろう。

ドゥックさんのお父さんは1950年代生まれで、ベトナムの軍隊で10数年勤務した経験を持つ戦争世代だ。ドゥックさんのお母さんは農業をして暮らし、家族を支えてきた。

1950年代生まれのドゥックさんのお父さんとお母さん。

1980年代に生まれたニュンさんとドゥックさんの夫婦。

ベトナムでは30年に及ぶ戦争を経て、1975年のサイゴン陥落により戦争が終結し、1976年に現在のベトナム社会主義共和国が成立した。しかし、その後、カンボジア侵攻や中越戦争によりベトナムは国際的に孤立し、大きな経済的な打撃を受け、人々の暮らしは大きく揺さぶられた。

そして、1986年にベトナム共産党は市場経済の導入と外資への門戸開放を柱とする「ドイモイ(刷新)」政策を採択し、その後に、外資の対越投資が増え、海外との貿易活動も活発化し、国内経済は成長の時代を迎えるようになった。

ニュンさんたち家族は、ほかのベトナム人がそうであるように、こうしたベトナムの大きな社会変動の中を生きてきた。

この時代状況の下、家族の暮らしも変化している。

ベトナム戦争の従軍経験を持つドゥックさんのお父さんは、今は病院で入院生活を送っている。そして、ニュンさんは日本で技能実習生として働いている。

◆国家が進める出稼ぎ政策と拡大する「実習生ビジネス」

ベトナムの農村部。筆者撮影。
ベトナムの農村部。筆者撮影。

社会の大きな変化の中で、 ベトナム政府は海外への自国労働者の送り出しを「国策」と位置づけ、移住労働者の送り出しを積極化し、日本に技能実習生としてわたるベトナム人が増えている。

政府の施策に加え、移住労働者を送り出す送り出し機関(仲介会社)の事業展開が活発化しており、この流れの中で、ニュンさんは日本に技能実習生としてわたったのだ。

来日に当たりニュンさんは送り出し機関(仲介会社)に、合計1億8,000万ドン(約89万2,906円)を支払ったという。このうち6,500万ドンは「保証金」で、3年の実習期間を終えれば、返金されるものだ。しかし、3年の実習期間を全うしなければ、「保証金」は戻ってこない。

ベトナムの最低賃金は2016年1月に最も高いハノイ市やホーチミン市を含む「地域1」で月350万ドン(約1万7,362円)に引き上げられた。

一方、1億8,000万ドンという金額はベトナムの所得水準からいってあまりにも高額だ。

ニュンさんの家族はこのお金を支払うために、借金をして、資金をかき集めたという。

これだけの金額をはらったのは、送り出し機関(仲介会社)が「日本で技能実習生として働けば、給与は多いし、休みもある。残業も多いので、もっと稼ぐことができる」と、言ったからだった。

◆「ニュンを助けてあげて」、家族の不安膨らむ

ベトナムの農村部。筆者撮影。
ベトナムの農村部。筆者撮影。

しかし、ニュンさんの日本での暮らしは思い描いていたものとはかけ離れていた。

たしかに残業は多かったが、それは過労死ラインを超えるほどの残業時間で、休みは1カ月に一度しかなかった。しかも残業代は最低賃金を下回る数百円という時給しかもらえていない。 

さらに、職場では毎日のように社長から怒鳴られ、なにかあると「ベトナムに帰れ」と脅されるという状況があった。

ニュンさんの家族と私はいろいろな話をしたが、誰もニュンさんの具体的な状況には触れなかった。

ニュンさんは家族とインターネットを使いやりとりしており、彼女の苦境は家族みなの知るところだったはず。それでも家族は私にニュンさんの苦しい状況について、なかなか口に出せないようだった。

ニュンさんの家族と私は、子どもたちのこと、ニュンさんのきょうだいのこと、地元のことを話した。家族にとってニュンさんの日本での苦境は考えたくもないことだろう。きっと私になにか言いたかっただろうけれど、なかなか言葉にすることができなかったのだろう。

「これ飲みなさいね」

会話をするうち、ドゥックさんのお母さんが、私にベトナムのお茶が入った小さな湯飲み茶碗を差し出した。

差し出された小さな湯飲み茶碗に口をつけると、苦みのあるベトナムのお茶の独特の味が口の中に広がった。ベトナムのお茶はこの土地の厳しい暑さや寒さの中ではぐくまれたからか、強い独特の苦みがあり、口にすると、すっと目が覚めるような味わいがする。個性の強いこのお茶をベトナムで飲むと、喉の渇きだけでなく、疲れも吹き飛ぶ。

お茶の入った湯飲み茶碗を挟んで、イスに座っていると、ふとドゥックさんのお母さんが私の手をとった。そして「ニュンを助けてあげて」と言った。

それは、とても真剣なまなざしで、それまでのすこしはにかんだような笑顔をみせていたのとは、雰囲気ががらりと変わった。

それから、ドゥックさんのお母さんはもう一度、「ニュンを助けてあげて」というと、私をそっと抱きしめたのだった。ドゥックさんのお母さんはニュンさんについてそれまでなにも言わなかったけれど、本当はこのことを伝えたくて、ずっと待っていたのだろう。

◆解消されない不安

ベトナムの農村部。筆者撮影。
ベトナムの農村部。筆者撮影。

帰国後、ニュンさんと連絡をとりあい、何度もメッセージのやり取りをしたほか、彼女のもとを訪ねたこともあった。

彼女はそのとき、技能実習生として日本で働きながら、同時に労働時間や未払い賃金をめぐり会社側と交渉していた。

「会社が怖い」

「社長が怖い」

そう何度も言っていたニュンさんはなにかわからないことや、困ったことがあると、私にメッセージを送り、不安を訴えた。

彼女を安心させてあげられる人は、彼女が日々働いている職場にはいない上、状況がどう動くかは分からず、彼女は不安を断ち切ることはできないのだ。

また、その後も何度か、夫のドゥックさんからも、「妻は大丈夫でしょうか。心配です」とのメッセージをもらった。ドゥックさんも不安を抱えつつ、ほかのところに訴えることができず、ひたすら状況が改善するのを待っているのだった。

ベトナムの家族も、技能実習生と同じように、不安な日々をすごしている。

外国人技能実習制度は、制度の建前とは異なり、単純労働部門に低賃金で就労するアジア諸国出身の外国人を受け入れ、その中ではこれまでに幾度も伝えられたような受け入れ企業による労働関連の違反行為や人権侵害が起きている。

ニュンさんと彼女の家族のような苦しい状況は氷山の一角だ。

私たちの暮らす日本に、ニュンさんのような技能実習生がほかにもおり、そして、ベトナムでは家族が不安な日々をすごしている。

「ニュンを助けてあげて」

ニュンさんの家族の言葉は、技能実習制度が持つ歪みが技能実習生一人ひとりの人生やその家族を大きく揺さぶり、苦しめている現実を浮かび上がらせる。(了)

■用語メモ

【ベトナム】

正式名称はベトナム社会主義共和国。人口は9,000万人を超えている。首都はハノイ市。民族は最大民族のキン族(越人)が約86%を占め、ほかに53の少数民族がいる。ベトナム政府は自国民を海外へ労働者として送り出す政策をとっており、日本はベトナム人にとって主要な就労先となっている。日本以外には台湾、韓国、マレーシア、中東諸国などに国民を「移住労働者」として送り出している。

【外国人技能実習制度】

日本の厚生労働省はホームページで、技能実習制度の目的について「我が国が先進国としての役割を果たしつつ国際社会との調和ある発展を図っていくため、技能、技術又は知識の開発途上国等への移転を図り、開発途上国等の経済発展を担う「人づくり」に協力すること」と説明している。

一方、技能実習制度をめぐっては、外国人技能実習生が低賃金やハラスメント、人権侵害などにさらされるケースが多々報告されており、かねてより制度のあり方が問題視されてきた。これまで技能実習生は中国出身者がその多くを占めてきたが、最近では中国出身が減少傾向にあり、これに代わる形でベトナム人技能実習生が増えている。

研究者、ジャーナリスト

岐阜大学教員。インドネシア、フィリピン、ベトナム、日本で記者やフリーライターとして活動。2015年3月~2016年2月、ベトナム社会科学院・家族ジェンダー研究所に客員研究員として滞在し、ベトナムからの国境を超える移住労働を調査。一橋大学大学院社会学研究科修士課程修了(社会学修士)。ケベック州のラバル大学博士課程。現在は帰国し日本在住。著書に『奴隷労働―ベトナム人技能実習生の実態』(花伝社、2019年)。

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