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台湾のものすごい人形劇が日本で映画に!日本とのコラボが生み出す新たなコンテンツ

田中美帆台湾ルポライター、翻訳家
ヒール役の蔑天骸(ベツテンガイ)。重厚な衣装が迫力を増す(筆者撮影)

 『君の名は。』『この世界の片隅に』などのヒット作が続いた2016年、日本のアニメは2兆円という市場規模をたたき出した。一方、台湾でのその存在たるや、日本のアニメに匹敵するコンテンツが台湾にもある。布袋劇(ブーダイシ)と呼ばれる人形劇だ。ここで人形劇と聞いて侮るなかれ。その人形は、血も涙も流せば、剣を片手に大立ち回り、繰り出す技は特撮で、一目見ればイメージは一変する。まずはこの動画を見てほしい。

 12月2日に日本の8つの劇場で公開される『Thunderbolt Fantasy 生死一劍(サンダーボルトファンタジー セイシイッケン)』の予告編だ。

 原案・脚本・総監修は『魔法少女まどか マギカ』などのヒット作で知られるニトロプラスの虚淵玄(うろぶち げん)氏、撮影は布袋劇制作のトップ企業・霹靂(ピーリー)社が手がける。日本アニメのノウハウと台湾布袋劇の特撮の合わせ技で生み出された映像は、その情報量が豊富なことに圧倒される。

 昨年7月にTOKYO MXで放送された作品のスピンオフとなる本作は、テレビ版に登場した2人が主人公となった75分2部構成の物語だ。前作では伝説の宝具を巡る戦いと策謀が繰り広げられたが、今回は秘めていた謎と後日談が明かされる。主題歌を担当するT.M.Revolution西川貴教も声優として加わる(公式サイト)。

 テレビ放送開始以来、コミカライズ、原作小説化やグッズにDVDにサントラ販売、来年は新作の放送と、大きな展開を見せるThunderbolt Fantasy (サンファン)は、どのようにして生まれたのだろうか。

異色タッグ結成まで

 きっかけは、虚淵氏が、2014年2月初旬に台北で行われたアニメフェアにゲスト出演した際、霹靂社の展覧会を見たことだった。その会場で最新セットを買い、ホテルで見て「布袋劇を日本の市場に持ち込みたい」と考えたというエピソードからは、この時の映像が与えた衝撃を物語っている。

 霹靂社といえば、布袋劇業界のトップを走る企業で、台湾では知らぬ者はない。同社上層部にいた虚淵作品のファンからコラボを望む強い声が上がり、フェア翌月、ニトロプラスを訪ねた。

 当初、霹靂社が進めていた3D映画のラッシュ映像を虚淵氏に見せ、その後続作品を一緒にできないかと持ちかけた。虚淵氏側は反対に、自分の持ち味や経験を発揮できる日本市場向けの新企画を提案。霹靂社内部での話し合いを経て、最終的に新企画で進む結論が出された。

 こうして2014年夏、日本のアニメと台湾の布袋劇のタッグはスタートした。

 年末には虚淵氏から脚本構成案が、翌15年の6月には脚本が上がり始めたという。そのスピードを、霹靂社のプロデューサー西本有里さんは「虚淵先生の脚本の緻密さと早さに驚きました」と話す。脚本は次々に翻訳され、監督やスタッフが内容を確認。必要となるセットがリストアップされ、同時に、日本側で仕上がったデザイン画をもとに、人形の制作も始まった。人形やセットが出来上がり、5か月強に及ぶ撮影期間、CG、エフェクト処理、効果ミキシング処理などを経て、16年7月のテレビ放送開始に至った。

国境と伝統を超える制作過程

過去の人形が並ぶ霹靂社の展示室(筆者撮影)
過去の人形が並ぶ霹靂社の展示室(筆者撮影)

 布袋劇の映像は、どう受け止められたのか。『ひとくちFebri Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀(トウリケンユウキ)』には、日本のアニメ関係者がコメントを寄せている。

 虚淵氏は「2次元作品にはない質感とか細やかさ、情報量の多さ、動きの激しさは布袋劇独特の味わいで、他に比較対象になるような芸能がない」とし、映画監督の押井守氏も「画面の情報量でいえば(アニメより)こっち(布袋劇)のほうが全然上。あんな豪華な衣装を動かすのは、作画では不可能」という。

 布袋劇は、もとは17世紀の中国大陸にまで遡る伝統芸能だった。18世紀半ばに台湾へ伝わり、野外舞台で演じられ、1962年に初めてテレビ放送された。その後、ビデオレンタルからテレビ放送という販売方式を確立し、93年に独自チャンネルを設けたのが、ほかでもない霹靂社だ。以来、3,000話を超える話が放送され、今もなお、毎週金曜日には新作DVDがコンビニで販売される。グッズも、もちろん大量にあり、同社の年間売上規模は7億台湾ドル(約26億円)。100万人を超える布袋劇ファンを育ててきた。創業家である黄家は5代目が跡を継ぐ。その5代目こそ、冒頭に述べた虚淵作品のファン黄亮●(コウ・リョククン)氏だ(●は「員力」で1字)。

写真左に並ぶのは、初期に使われた布袋劇の人形。約30センチの高さ(筆者撮影)
写真左に並ぶのは、初期に使われた布袋劇の人形。約30センチの高さ(筆者撮影)

 こうした布袋劇の一連の流れは、日本の大衆エンターテインメントが、人形浄瑠璃から人形劇、漫画、アニメとなってテレビ放送されていった流れと重なる。取材中、スタジオ紹介をしてくれた霹靂社の会報誌の副編集長に、コンビニでファンがDVDを買う感覚は「日本の人たちが『週刊少年ジャンプ』を毎週月曜日に買うのと同じじゃないですかね」と言われ、合点がいった。

 ただ、アニメは手描きやCGによる2次元、布袋劇は人形による特撮というほか、映像を形づくる重要な要素となる音声の扱いに違いがある。アニメでは通常、配役ごとに声優がいるが、布袋劇ではナレーションも含めてすべての声を1人で担う。サンファンは日本側の仕様にあわせ、登場キャラに声優が立てられた。監督の鄭保品(ジェン・バオピン)さんは言う。「これまで弊社の作品では、キャラクターのカラーを音楽や人形の動作で出すようにしてきました。サンファンでは吹き替えの声を入れましたが、その映像を観た時に、脚本に書かれていたキャラクターの感情が、口調やトーンによってすごく鮮明になっていると感じました」

 双方で知恵を結集させたのが、人形の造形だ。人形の目には萌えの要素を入れて大きくしたいという日本側の声が反映され、衣装や小物は映像でより見栄えのするよう台湾スタッフの経験が大きく反映されている。

ヒロインの丹翡(タンヒ)。日本サイドの要望で大きな目になった。台湾では見られない造り(筆者撮影)
ヒロインの丹翡(タンヒ)。日本サイドの要望で大きな目になった。台湾では見られない造り(筆者撮影)

 さらに、特に両者がコミュニケーションを大事にしたのが、映像である。テレビ版初回の冒頭、兄妹が悪の一味に追われ、剣による激しい戦闘シーンの撮影には、最も時間が割かれたという。

 「脚本から台湾スタッフが想像したことと、日本側が想像していたことが違うことがありました。人形の動作一つにも、話し合いが必要でした。撮り終わるたびに、虚淵先生に映像を観ていただき、必要に応じて修正を加えました。それにそって修正を加えると、ぐっとよくなりました」(鄭監督)

 手の動き、流血シーンでの血の流れ方など、非常に細かで具体的な指示が入る。そのたびに、台湾と日本のスタッフ間のやり取りを重ね、互いの違いを理解し、時に譲り、時に意見し、話し合いを重ねながら作り上げられていった。

情報量の濃い映像を生み出す現場

右上の道具で風を受けるシーンが出来上がる。布袋劇は人形操演師1人で担当する(筆者撮影)
右上の道具で風を受けるシーンが出来上がる。布袋劇は人形操演師1人で担当する(筆者撮影)

 霹靂社のスタジオへお邪魔した。場所は、台北からは新幹線で1時間半ほど南下した中部の雲林県である。折しも撮影されていたシーンは、登場人物が剣で刺され、血が刃からたれ落ちる瞬間だった。

 スタジオに入ると、別室のモニターで映像を見ている監督の指示が響く。

 中央のセットは、人形操演師が手を上げて人形を持った先にカメラが来るよう、高床だ。その前で人形操演師が構え、周りには血の入った容器を片手に小道具のスタッフがスタンバイする。

 雑木林と砂地が設けられたセットは、人形の衣装をなびかせるために撮影用のドライヤーを使うと砂ぼこりが立つ。撮り終わるとすぐに、スタッフが刷毛を手にカメラにかかった砂を払っていた。

 刃の突き刺す角度、血の広がり方、落ちる血のサイズやその流れなど、監督の思う画があるのだろう。監督の要求する声が飛ぶのに合わせて、きびきびとスタッフが動く。

 どのくらい時間が経っただろう。刃の上から落ちるその映像が映し出されると、ふっと場の空気がほぐれ、休憩を迎えた。

 セット横には人形たちが控えていた。合間には修復担当のスタッフがやってきて、髪を梳き、衣装の乱れを直し、必要な直しを入れる。布袋劇では、戦闘シーンの多い主要キャラクターには最初から3体の人形が準備される。撮影中に人形が故障すると、スタジオとはまた別の造形室で修復する。乱れた髪の毛をセットし直す場合は時間がかかるが、人形についた血は「拭くだけでいい」そう。秘密は人形の顔にある。土台は木製で、外側には塗料で多層に覆われている。そして、染料でできた血が、簡単に落ちる工夫がされているのだ。

 こうした工夫は、人の経験と知恵の積み重ねでもある。霹靂社では社内の分業化が進み、基本的には配属された部門の専門家として経験を重ねていく。造形室の女性スタッフの1人は、入社5年。カツラと同じ材質でできた人形の髪の毛を、器用かつ複雑に編み込んでいく。その技術も入社後にゼロから学んだ。ただ、手芸系の手仕事が好きだったというから、この配属はぴったりだ。

 サンファンの映像で人形の次に輝くのが、繊細な小道具の造りだ。登場人物の誰もが狙う宝具は、しなやかな曲線の刃、柄、鍔には、細やかな装飾がなされ、3つが組み合わさって効力を発揮する。この宝具ならではの設定が見事に具体化されている。

 制作を担当したのは、もうすぐ入社18年を迎える劉一徳(リウ・イーダー)さん。「2週間だったかな、そのくらいかかりました」とはにかむ。劉さんがこれまでに制作した武器は、すべてエアキャップに丁寧に梱包され、品名を明記した上で、棚に保管されていた。

テレビ版に登場した宝具「天刑剣」と、ヒール役蔑天骸の剣は、穏やかな劉一徳(リウ・イーダー)さんの手から生まれた(筆者撮影)
テレビ版に登場した宝具「天刑剣」と、ヒール役蔑天骸の剣は、穏やかな劉一徳(リウ・イーダー)さんの手から生まれた(筆者撮影)

 作業机には、木魚とバチ、茶道具、中国将棋などと書かれたケースが置かれる。このほかに共用の保管用棚もあり、中には、お金、手紙、薬袋、食べ物、食器……ありとあらゆる小道具が、びっしりと引き出しに収まっていた。

 日本サイドが感じ取った布袋劇の「圧倒的な情報量」は、これら一つ一つの仕事が積み重なってできているのだ。

接点となる作品の行方に期待

撮影スタッフの皆さん。左から6人目が、監督の鄭保品(ジェン・バオピン)さん。シマ柄の王泉修(ワン・チュアンシウ)さんと2人体制で撮影を仕切る(筆者撮影)
撮影スタッフの皆さん。左から6人目が、監督の鄭保品(ジェン・バオピン)さん。シマ柄の王泉修(ワン・チュアンシウ)さんと2人体制で撮影を仕切る(筆者撮影)

 人形劇というと、40代以上の読者諸氏ならNHKの人形劇シリーズ『ひょっこりひょうたん島』(64年)、『新八犬伝』(73年)、『三国志』(82年)などを思い出すのではないだろうか。だが、筆者が初めて布袋劇を見たとき、真っ先に感じたのは記憶のそれとの圧倒的な距離だった。

 サンファンでは、人形たちが武侠ファンタジーという世界で、涙し、血を流し、跳ねまわり、剣を戦わせる。その映像を見ながら、実写でもなく、アニメでもない、人形劇というエンターテインメントの豊かさを感じた。

 取材の際、監督の鄭さんが「このコラボは、単に映像上の交流だけでなく、文化面でのコミュニケーションだと受け止めています。サンファンを通じて、台湾に受け継がれてきた文化を感じ取っていただきたいし、今後も一緒にさらにいい作品がつくっていけたらいいですね」と、先を見ていたのが印象に残った。

 『Thunderbolt Fantasy 生死一劍』のスタッフリストを見せてもらった。日本と台湾あわせて231人の名前があった。ニトロプラスと霹靂社のコラボは、日本と台湾の共同作業というだけでなく、アニメと布袋劇のコミュニケーションでもあるし、さらに、アナログとデジタルの接点を模索する姿でもある。これからどんなふうに進んでいくのか、楽しみだ。

台湾ルポライター、翻訳家

1973年愛媛県生まれ。大学卒業後、出版社で編集者として勤務。2013年に退職して台湾に語学留学へ。1年で帰国する予定が、翌年うっかり台湾人と国際結婚。上阪徹のブックライター塾3期修了。2017年からYahoo!ニュースエキスパートオーサー。2021年台湾師範大学台湾史研究所(修士課程)修了。訳書『高雄港の娘』(陳柔縉著、春秋社アジア文芸ライブラリー)。

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