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もうすぐドラフト・その4……小笠原慎之介

楊順行スポーツライター
(写真:アフロ)

それにしても……この夏、東海大相模の優勝は劇的だった。仙台育英との決勝、6対6の9回表だ。

東海大相模・門馬敬治監督は、エース・小笠原慎之介から始まるこの攻撃で、代打を考えていた。速攻で先制しながら6回に追いつかれ、しかも打線は、立ち直った仙台育英のエース・佐藤世那の前に、5回から8回まで無安打。流れは、どちらかというと育英だ。だからこそ、動こう……エースへの代打策は、そういう機微だった。

ところが、8回裏の守りである。小笠原が谷津航大に死球を与えたかに見えたが、球審の右手が上がり、三振。コースはストライクで、よける意思がなかったという判定だ。おっ? これはまだ、小笠原にいい風が吹いているぞ……そうひらめいた門馬監督は、代打策を棚上げし、小笠原をそのまま9回先頭の打席に送った。

初球。「フォークに絞り、空振りでもいいつもりで」125キロの甘いフォークを強振した小笠原の打球は、ぐんぐん伸びて右中間スタンドへ。打った小笠原本人さえびっくりの、勝ち越しアーチだ。結局、この回一挙4点をあげた相模が、1970年以来45年ぶり2度目の夏の優勝を遂げることになる。投げて、そして打って貢献した小笠原は、決勝のホームランをこう振り返った。

「思い切り振っていこうと思っていましたが、まさか……みんなには、『三振して帰ってくるよ』といっていたんです」

激戦区・神奈川で27回を30奪三振、防0.00

初戦から飛ばした。激戦区・神奈川で、27回を投げ30奪三振、防0.00で乗り込んできた2年続けての甲子園。聖光学院との初戦は、大量リードの9回一死に吉田凌をリリーフした。初球、いきなり148キロの直球に甲子園がどよめいたが、「マウンドに立ったら(歓声は)聞こえない」と、スライダーで二ゴロに打ち取る。そして、続く五番への2球目ボールは150キロを計時し、4球目のファウルが151キロ。どよめきが、増幅する。なにしろ甲子園での左投手の150キロ超えは、05年夏の辻内崇伸(大阪桐蔭、元巨人)09年夏の菊池雄星(花巻東、現西武)以来、史上3人目のことなのだ。

ただ……結局二者を凡退させながら門馬監督は「力んでスピードを求めすぎる小笠原と、変化球で打ち取る小笠原の2人がいましたね」と手厳しい。スピードに酔うな、ということだろう。それには、いくつかの苦い経験がある。

湘南クラブボーイズの中学時代、ジャイアンツカップ初Vを達成し、大会後は15U日本代表にも選出された。高校進学後も、1年春から控え投手としてベンチ入りを果たした。「いつかは、自分が背番号1をつけるんだろう」と、半ば天狗になった。だが同級生には、やはりプロ注目の吉田ら、力のある選手がごろごろいる。さらに1年冬には左足首を負傷し、かばいながら投げたことが原因なのか、2年春は左ヒジ痛に見舞われた。伸び悩み、天狗の鼻は折れ、意識が変わった。

小笠原はいう。

「あのころは焦ったし、つらかったです。でも、いまだからやれることがあると切り替えました」

走れないなら、体幹トレーニング。ストレッチなど、体のケアもたっぷり。のち、「高校野球をやって、楽しいと思ったことはない」というほどのストイックな日々は、2年秋には背番号1として実を結んだ。3年春の関東大会も、大きな転機だった。浦和学院を相手に完投しながら、0対4の敗戦。「完投を意識してペース配分した結果、テンポが悪く、野手が乗れなかった」という反省から、攻撃につながるリズムの投球が新たなテーマになった。

だが甲子園初戦では、非日常の空間でそれを忘れかけ、151キロという数字に酔いかけた。だからこその、門馬監督の辛口だったのだ。それでも、指揮官が同じ辛口で認めたように、「変化球で打ち取る小笠原」もいたのが成長だ。

先述の浦和学院戦で小笠原は、右打者の外に落ちるチェンジアップをホームランされている。以後は、試行錯誤を繰り返しながら、チェンジアップに磨きをかけた。しっくりきたのは、「中指だけを縫い目にかけて抜く」感覚。甲子園の聖光学院戦で、151キロをファウルされた打者を三振に仕留めたのが、そのチェンジアップだ。つまり、スピードにはほろ酔い加減でとどめ、リズムの大切さを思い出したといっていい。

打線の援護を呼ぶテンポのよさ

先発した続く遊学館では6回に2点を失い、今夏の自責点ゼロが32回3分の2でストップしたものの、それ以外にピンチはなく8回を114球。テンポのいい投球に、打線が大量10点を奪って援護した。花咲徳栄との準々決勝では、2点をリードされた4回途中から吉田をリリーフすると、5回3分の1を無失点。8回には二死満塁を気迫で切り抜け、その裏の同点、9回のサヨナラ勝ちをお膳立てした。

「やっとエースらしい投球ができた。日本一に近づける試合だったと思います」と語った小笠原は決勝でも、同点に追いつかれた7回以降は無安打に踏ん張り、自ら優勝を決めるアーチを架けたわけだ。

代表に選出されたU18W杯では、2試合8回を投げ自責0。甲子園では見せなかったカーブは、やはりプロ注目のU18代表、県岐阜商・高橋純平の直伝だ。「もともと、うまく抜くようなカーブが投げられなかった」が、春に県岐阜商と行った招待試合で「(高橋のカーブを)見て気になっていたので、代表で投げ方を教わったんです」という。

そして、昨日。小笠原は、吉田とともにプロ志望届を提出した。150キロ級のまっすぐと精度を増したチェンジアップ、さらにスライダー、カーブとくれば……松井裕樹クラスも夢じゃないかもしれないぞ。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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