「生きていけない。ドカンと暴れろ」北朝鮮の市場で騒乱、数十人死傷
今年1月に中国に派遣された北朝鮮労働者が起こした大規模抗議デモと暴動は、場所が国外であったとはいえ、北朝鮮の人々が黙って「お上」の言うことに従うわけではないことを示した。
当局は首謀者10人前後を帰国させ、処刑するものと見られているが、このニュースが北朝鮮国内で広がっているかは今のところわかっていない。恐怖を煽るため、頻繁に行われている政治講演会の場で事件について言及する可能性がある一方で、北朝鮮国内への波及を恐れ、完全に秘密扱いすることも考えられる。
(参考記事:北朝鮮の15歳少女「見せしめ強制体験」の生々しい場面)
市場に対する抑制策により、多くの市民が現金収入を得られなくなり、飢餓に苦しんでいる現状では、市民がいつ不満を爆発させてもわからない。
咸鏡北道(ハムギョンブクト)の茂山(ムサン)で2015年6月、保安員(警察官、現在は安全員と呼ばれる)と商人が衝突し、多数の死傷者が出ていたことがわかった。現地のデイリーNK内部情報筋が伝えた情報をまとめた。
事件が起きたのは同年6月26日のことだ。茂山市場の管理を行っている保安員が、市場での売買が禁じられている工場正規品の食料品を扱っている商人を発見した。保安員は食品を押収したが、商人はこれに激しく抗議した。
騒ぎを聞きつけた他の保安員や商人も加わり、現場では大乱闘が起きた。それを見ていた群衆の一部が興奮し、凶器を持って乱入。中には「息が詰まってもう生きていけない。ドカンと暴れろ」と煽る人も現れたという。武装した保衛員(秘密警察)と保安員が出動して現場を完全封鎖し、ようやく鎮圧した。しかし、多くの犠牲者を出してしまった。
情報筋は、突発的な事件であるうえ、現場が完全封鎖されたこともあり正確な数はわからないとしつつも、双方に数十人の死傷者が発生したと伝えた。現場に居合わせた人によると、市場の通りは人で溢れかえり、険しい空気が流れていたという。
2015年の春は、極端に雨が少なく日照りが続いたせいで、ジャガイモの収穫量が大幅に減少し、地域住民は食糧難に苦しんでいた。そんな中での乱暴な取り締まりに、商人の不満が爆発したものと見られる。
騒動に加担した者、負傷者はすぐにどこかに連れ去られ、死者の遺体も運び去られた。その後の行方は伝えられていない。
市場の閉鎖はよく27日まで続き、ただでさえ生活の苦しい人々はさらに苦しい思いをした。また、各地域の人民班(町内会)には、保安員が派遣され、「今回の事件を他言するな」「デマを流すな」と警告した。
しかし地元住民は、口々にこう語っていたという。
「ミミズも踏みつければもがく。今のように苦しいときに厳しく押さえつければ、必ず反抗が起きる」