セーヌ川でトライアスロン実施。巨額費用をかけた水質改善策のなかみは?東京大会との違いは?
なぜセーヌ川は雨が降ると汚れるのか
7月31日、パリオリンピックのトライアスロン競技が実施された。このうちのスイムはパリ中心部を流れるセーヌ川で行われた。セーヌ川は長年、水質の問題が指摘され、パリ市は費用14億ユーロ(日本円でおよそ2300億円)をかけて対策してきた。
ここではパリ市がどのような対策を行なったのか、同じく会場の水質問題に悩まされた東京大会ではどのような対策を行なったのかをまとめてみたい。
パリ市の下水道は、雨と生活排水をいっしょに流す「合流式」(東京区部と同じ)。合流式は、生活排水と雨水を1本の下水管に合流させ、下水処理施設で浄化した後、河川に流す。豪雨で大量の雨が下水管に入ると生活排水がマンホールなどからあふれ、下水処理場に到着する前に生活環境中に出てしまう。また、下水処理場に到着しても水量が多くて処理能力を超えると、汚水が処理されないまま川へ流れる。そのため豪雨時に未処理の生活排水がセーヌ川に流れ込み、水質は悪化した。
今年2月に民間の調査が競技開催場所の水質調査を行ったところ、大腸菌が100mL当たり20000個検出された。これは国際トライアスロン連合が定める基準値の80倍、国際水泳連盟が定める基準値の20倍に相当する。国際環境NGO団体の「サーフライダー財団」は「競技実施は危険」との見解を示した。
パリ市やフランス政府などは新たな浄水施設を設置するなどして水質の改善を進めた。主要な対策が市内に建設された2基の巨大タンクだ。このタンクには4万6000立方メートルの水が貯留できる。巨大タンクは下水管に接続され、豪雨の間は一時的にここに生活排水をためてセーヌ川への流入を防ぐ。そして雨が収まったら下水処理場に水を送り、処理した後にセーヌ川に流すしくみだ。それでも開会式が行われた26日からの大雨で水質が悪化しているのだから、水質は雨量に左右されることには変わりない。
東京大会で実施された3つの策
東京大会も同様の悩みを抱えていた。2019年に、水泳のオープンウォータースイミングのテストイベントが、東京のお台場海浜公園で行われた時は、選手からは「トイレのにおい」(アンモニア臭)がするなど、糞尿の影響を示唆するコメントが聞かれた。会場は東京湾の入り江にあった。閉鎖性の強い水域で、汚染物質がとどまりやすい。
そこで3つの対策がとられた。1つ目が水中スクリーン。競技会場周辺に、汚染物質の浸入を抑制するために下の図のような水中スクリーンを設置する。
スクリーンはポリエステル製で横20メートル×深さ3メートル。これを横400メートルにまでつなぐ。巨大なカーテンが、豪雨時に海に出る汚水、汚物を堰き止める。
2つ目は覆砂。閉鎖水域の水底に砂を敷き詰め、水質や底質の改善を図る。
覆砂は実際、博多湾(福岡県)、三河湾(愛知県)、津田湾(香川県)、米子湾(鳥取県)などで行われ、効果も検証されている。2020年2月、お台場海浜公園に砂を入れた。工事は3月末まで続き、砂代は約6000万円かかったとされる。だが、そもそも覆砂のねらいは、ヘドロ化した底泥を砂で覆い、栄養塩などの溶出を低減すること。底泥からの水質悪化という「下からの汚染」に対する効果は見込めるが、閉鎖水域に生活排水が継続的に流れ込むなどの「上からの汚染」の問題は残った。
3つ目は海水循環作戦。2021年7月には海水を循環させる装置が設置された。この装置は、通常ダム湖のアオコ対策に使われている。閉鎖水域の水質悪化、水温上昇の原因の1つは、「水が動かないこと」にある。そこで、水面に浮かべたプロペラで表層の水をダクトを通して底層まで送り、大きな水の流れを起こす。高い水温の表層と、低い水温の低層が混ざることで、水温を下げる効果を狙った。こうしたさまざまな対策を経て、大会期間中のお台場海浜公園の水質は基準値内に収まった。
オリンピックの水質対策と下水道の持続
重要なのは、こうした投資がオリンピックのためなのか、将来の東京、パリ市民のためなのか、ということではないだろうか。
東京の水質改善策はオリンピックに向けた対症療法で、東京湾の本格的な水質改善に寄与したとは言い難い。東京湾の水質改善をねらうのであれば下水道システムの改善や持続策を考える必要があるだろう。
その点パリ市は不十分な点はあるが、下水道システムを改善し、セーヌ川の水質を改善しようという姿勢ははっきり見える。
下水道システムはオリンピックのためにあるわけではない。下水道は多様な機能をもつ社会資本だ。「まちを浸水から守る」、「水環境を守る」、「衛生的な暮らしを守る」などして市民の暮らしを支えている。近年では低炭素・循環型社会の形成を図る観点から、下水再生水の活用、下水汚泥の燃料、肥料、建設資材等への再活用も図られている。だが、下水道の維持管理には莫大な費用がかかり、施設更新するタイミングで自治体財政に大きなインパクトを与える。これは多くの先進国の都市が共通して抱える課題だ。
日本全国に約47万キロの下水道管が布設されているが、このうち標準耐用年数50年を経過した管路は2017年に約1万7000km、2027年には約6万3000km、2037年には約15万kmになると予測されている(国土交通省)。下水道管路に起因する道路陥没は年間4000〜5000件発生している(日本下水道協会)。そのため今後は老朽化対策のための使用料の値上げも検討されるだろう。
東京もパリも下水道をいかに維持管理していくかという大きな課題を抱えている。そしてパリはオリンピックを機会に将来まで使用できる施設をつくったのである。