「死んでおわび」の心理学:切腹とは?潔い死とは?責任をとるとは?:大失敗後の自殺を予防するために
自殺する人は、多くの場合、まじめで自分を責めるタイプの人です。責任を強く感じることは必要です。しかし、そこから破滅的行動を生まないためには、どうしたら良いのでしょうか。
■「本当に申し訳ない。死んでわびたい気持ち」
人は、人生の中で、様々な失敗をします。会社に大きな損害を与えることもあれば、心ならずも人に危害を加えてしまうこともあります。オリンピックで良い結果が残せず自殺してしまう人もいれば、大きな過失による死亡事故の加害者で自殺してしまう人もいます。
大失敗をして、「本当に申し訳ない。死んでわびたい気持ち」と語る人もいます。しかし、本当に死なれたら困ります。その方は、とてもまじめに自分を責めているのでしょうが、尊い命が、また一つ奪われるだけです。
■日本人と「死んでわびる」の思想:切腹の文化
死んでわびるのは、日本だけのことではありません。聖書の中でも、イエスを裏切ったユダの自殺が描かれます。ユダは、イエスを裏切った後に激しく後悔し、ローマ軍からもらった銀貨を投げ捨て、首をつって死にます。ただし、聖書の中では、ユダの自殺は否定的に描かれます。
日本には、「死んでわびる」切腹の文化がありました。刑罰としての切腹もありましたが、誰にも命じられなくても、切腹して死んでわびることも、戦国時代や江戸時代の武士にはありました。藩の政策上の失敗を、一人の武士が背負って切腹することもありました。
切腹は、武士道精神による名誉ある死とされました。物語の中では、切腹のシーンが一つの見せ場にもなったりします。ただし、自分で腹を切ることは大変なことであり、目撃者によると、決して映画のようなきれいなものではないといいます。
キリスト教の宣教師たちは、切腹を否定的に考えていました。キリシタン大名の有馬晴信は、死罪となりましたが、切腹による自害を選ばず家臣に首を切り落とさせたと伝わっています。
江戸時代だけではなく、近代日本でも切腹は見られます。
明治時代の乃木将軍は、世界から評価された大軍人ですが、明治天皇に対し、「自刃して天皇陛下の将兵に多数の死傷者を生じた罪を償いたい」と語り、天皇に止められています。そして、明治天皇大葬が行われた日に、切腹して自決しています。
第二次世界大戦終戦時の陸軍大臣、阿南惟幾(あなみ これちか)は、戦争継続を主張しましたが、天皇の聖断によるポツダム宣言受諾が決定され、8月15日朝、陸軍大臣官邸にて切腹してに自害しました。遺書には、「一死以テ大罪ヲ謝シ奉ル」(自分が死ぬことによって大きな罪を謝罪申し上げる)とありました。
日本人の心の中には、死んでわびることは最高のわび方であり、死んでわびた人は立派な人であり、潔いことだとする感情が、今も残っているのではないでしょうか。
切腹は、自殺学の研究からは「制度自殺」の一つとして考えられ、通常の自殺とは異なります。切腹した人たちは、たしかに生前立派な方であり、その時代の制度として考えるべきこともあるでしょう。しかし現代においては、たとえどんなに功績のある人格者だとしても、自殺はとても残念な死です。
■なぜ死んでわびるのか:臨床社会心理学の研究から
近年の臨床社会心理学の研究によれば、人が大きな失敗をして自分を責めるときには、「恥意識」か「罪意識」の感情を持つとされています。
恥意識は、「自分はとんでもないことをしてしまった、ああ、なぜこんなことをしてしまったのだろう。自分は最悪の人間だ」という激しい後悔と自己否定です。この意識は、自分を恥ずかしい人間と考え、「穴があったら入りたい」という思いを生み、人間関係から退却させます。
この感情が強くなりすぎると、破滅的行動が生まれます。自殺を考えたり、時にはやけを起こして、周囲を破壊するような行動まで起こします。
一方罪意識は、「自分は本当に悪いことをしてしいました」という強い反省です。自分が犯した行為は強く反省し、自分を責めますけれども、自己否定はしません。健康的な罪意識からは、「つぐない」の思いがわいてきます。たとえ許してもらえなくても、謝意罪を続けようとか、賠償金を払い続けようとします。人間関係から退却せず、建設的な行動が生まれます。
心理学では「罪意識」は長年悪者でした。罪の意識で自分を責めることが、心の病ともととされました。しかし現代の心理学では、そのような不健康な感情は、歪んだ恥意識と言えるでしょう。これは、さまざまなトラブルのものです。
しかし健全な罪意識は、むしろ人間関係を良くするという研究が行われています。友人でも、上司でも、「俺は悪くない」という言う人は嫌われます(責任転嫁)。「どうせ私が悪いんでしょ」とすねたり、やけを起こす人も嫌われます(恥意識)。しかし、きちんと反省し、責任を取り、問題解決のために一生懸命努力する人は、友人からも部下からも好かれるでしょう(罪意識)。
■現代における死んでわびる自殺
戦後の高度成長時代になっても、仕事上の失敗の責任を一人で背負い、会社の屋上から飛び降り自殺するようなことがありました。このような感覚は、現在も年配の人を中心に残っているでしょう。
日本の自殺者数は、この数年3万人を割っているとはいえ、高止まり状態です。その理由の一つに、切腹のように自殺を美化する文化もあるでしょう。
じたばたしないで、きれいに死ぬことは良いことだといった発想は、若い人にもあるでしょう。
しかし「死んでわびる」などと、本心から思えるのだろうか、「死んでわびる」は「泣き」が入った心理状態ではないかと、述べる人もいます。
自殺者の多くは、本当は幸せを願っていますが、事態を打破する方法が自殺しか思い浮かばなくなっているとも言えます(心理的視野狭窄)。
自殺は、心理的に追い詰められた末の死です。大失敗をした人々の心に歪んだ「恥意識」が生まれ、「死んでおわび」の思想が寄り添ったとき、自殺への思いが強くなるのだと思います。
大失敗をした人が自殺すると、関係者は喜ぶでしょうか。多くの人々は、決して喜ばないでしょう。しかし、自殺を考えるほど追い詰められた人々は、そのような冷静さを失っています。
私たちは、大失敗した人を時に激しく責め立てます。「死ね」とののしる人もいるかもしれません。しかし、大失敗した人々に必要なことは、歪んだ恥意識ではなく、健全な罪意識をもつことではないでしょうか。
私たちは、どんな大失敗のあとも、生きていくのです。
■BOOKS
ロビン・M. コワルスキ 著「臨床社会心理学の進歩:実りあるインターフェイスをめざして」
八切 止夫 著 「切腹論考 八切意外史」
山本博文 著 「切腹:日本人の責任の取り方」
高橋 祥友 著 「あなたの「死にたい、でも生きたい」を助けたい」