あの人気パーク効果で注目!「五色園」は本当にB級なのか?日本唯一の専門家が完全ガイド
ブロガーの紹介は増加傾向もほとんどがB級スポット扱い
愛知県日進市の宗教公園「五色園」(ごしきえん)。昨年開園したジブリパーク(愛知県長久手市)から車で15分と近いことから、ブロガーらが訪れて紹介するケースが増えてます。超人気パークの波及効果でまさかのブレイク…!?
しかし、ネットでの紹介はB級スポット、珍スポット、果ては心霊スポットとして笑いのネタや薄気味悪い場所扱いしたものが大半。「デカい坊さんの人形がいっぱいあって不気味」「夜中に迷い込んだら怖くて泣きそう」などなど…。
確かに、初見でそんな印象を抱いてしまうのも無理からぬところ。五色園の最大の特徴は、高さ2mを超すカラフルな人形が広大な敷地内のあちこちに点在していること。走るお坊さん、土下座する山伏、南無阿弥陀仏のたすきを掲げる老婆…。これらの人形のインパクトが強すぎるため、「なんじゃこりゃ~ッ?」というファーストインプレッションから逃れられないまま、珍奇でシュールなスポットという感想に終始してしまうのです。
“B級じゃない!”昭和9年開設の宗教公園
「“五色園=B級”としか見られないなんてもったいなさすぎる!」。巷にはびこる先入観にNO!を突きつけるのは、この人形の日本唯一の専門家…何を隠そう、筆者・大竹敏之です(我田引水なフリですみません)。
園内を彩るコンクリートの人形群(ここからはコンクリート像と表記していきます)。その作者の取材・研究をライフワークにして30年の筆者が、満を持してその深遠なる魅力を徹底的に解説します。
五色園は1934(昭和9)年開園の宗教公園。敷地内に大安寺という寺がありますが、こちらは1998年建立で、もともと公園の方が先につくられています。先にも述べたように何よりの特徴が園内に多数設置されたコンクリート像群。その数、100体以上にものぼります。
“B級”という印象の最大の要因となっているこれらの像ですが、その役割は浄土真宗の開祖・親鸞聖人の教えを伝えること。五色園の創設者・森夢幻(もり・むげん)師はこれを“視聴覚伝導”と名づけました。像は数体ずつがセットになって、親鸞聖人の生涯、浄土真宗の教義にまつわるエピソードを表現しているのです。
生涯800体以上ものコンクリート像を残した浅野祥雲
このコンクリート像をつくったのが浅野祥雲(あさの・しょううん)。明治中期に岐阜県に生まれ、大正末期に名古屋へ移住した後、作品づくりに邁進。1978(昭和53)年に87才で亡くなるまでに手がけた作品は800体以上にもおよびます。
祥雲は他に桃太郎神社(愛知県犬山市)、関ヶ原ウォーランド(岐阜県関ケ原町)にも多数のコンクリート像を残し、これらは五色園と合わせて“浅野祥雲三大聖地”とも呼ばれます。この三施設で見られる祥雲作品群の特徴は“デカい”“カラフル”“たくさん”“ダイナミック”の四要素。等身大もしくはそれ以上のサイズの像が数十~数百体林立し、極彩色にペイントされ、躍動感あふれるポーズをとっているのです。
五色園がB級スポットと呼ばれるのは、現在の観光や信仰の常識からははみ出しているから。観光地としてはエンタメ性に乏しく、信仰の場だとするならありがたみに欠ける(と思われてしまう)。加えて広大な園内には人影もあまり見られないため、うら寂しさすら漂います。
軽んじられるもうひとつの理由がコンクリート&ペンキという像の素材。五色園が宗教公園と名乗るからには園内の僧侶などの像は仏像ということになるはずですが、一般的に仏像といえば木彫が大半で、屋外にあるものは銅製もしくは石が主流です。さらにペンキによるカラフルな彩色も、日本の仏像のセオリーからは外れています。
このように施設もコンクリート像も、現在の視点からすれば常識外れ。理解の枠外にあるため、シュール、キッチュ、B級などとしか表現できないへんてこなものと映ってしまうのです。
観光、レジャーの花形だった“信仰観光”
さて、五色園や祥雲作品をB級と印象づけているこれらの要素は、はたして本当におかしなものなのでしょうか? 時代背景と丹念に照らし合わせていくと、多くの人が抱いている先入観は、大いに誤解をはらんでいることが明らかになってきます。
まず宗教公園というコンセプト。近世から戦後間もない頃までは、日本の観光はほとんどが“信仰観光”でした。遊園地やテーマパーク、温泉旅行が一般的になるのは高度成長期以降のことです。江戸時代に最も人気があった観光はいわずと知れたお伊勢参り。富士講など霊山へのお詣りも庶民のあこがれだったように、かつては信仰の場へ行くことこそが何よりメジャーな旅、観光でした。
昭和初期の頃からは巨大仏などを建立して集客する、インスタント聖地が全国各地でつくられます。五色園と同じ愛知県内では、1927(昭和2)年に日本初のコンクリート巨大仏といわれる聚楽園(しゅうらくえん)大仏が現在の東海市に建立。参拝者でごった返す当時の写真が残されています。こうした時代背景をかんがみると、親鸞聖人の教えを立体的に再現した五色園は当時の観光のトレンドにのっとったものだといえます。
近代になって花開いたコンクリートムーブメント
そして浅野祥雲作のコンクリート像。これも時代性や仏像本来のあり方と照らし合わせると、決しておかしなものではなかった事実が浮かび上がってきます。
コンクリートは、昭和初期から戦後にかけて爆発的に普及するムーブメントがありました。建築や都市のインフラの分野でのきっかけは1923(大正12)年の関東大震災。木造家屋の多くが火災・倒壊に見舞われ、これを機に一気にコンクリートの普及が進みます。美術シーンでは戦前戦後の物資不足からブロンズ像制作が困難になり、白色セメントで代替する動きが活発に。東京では、白色セメントの彫刻展が戦後間もなくから20年間にわたって開催されていました。仏教界でも、火事や地震による仏像の焼失、倒壊は長年の悩みで、コンクリートはそれを解消する画期的な素材として用いられるようになるのです。
“仏像=ド派手”は実は正しい(!?)
ペンキによるド派手な彩色も、実は仏像本来の姿にのっとったもの。東大寺の大仏も、美仏として人気の国宝・阿修羅像もつくられた当時は金色や朱色のまばゆい姿でした。東南アジアなどでは今でもキンキラキンの仏像が当たり前。日本ではいつの頃からか仏像の色あせた姿が尊ばれるようになりましたが、これは仏教界の絶対的な美意識ではありません。東南アジアの人たちは日本の仏像を見て、ほったらかしで仏様を大切に扱っていない、と感じることもあるそうです。また日本においても、文化財指定されていない江戸期作の仏像などは、あでやかにお色直しされているものだって珍しくありません。そして、屋外のコンクリートに彩色するならペンキが最適で、保護剤の役割も果たして劣化防止にもつながります。
2mを超すサイズ感も強烈なインパクトを与えますが、これにもちゃんと理由があります。五色園は全体が小高い丘陵地。今でこそ雑木が生い茂って、高い場所に設置された像は半ば木々に埋もれていますが、開園当時は敷地の大半はハゲ山で見通しも良好でした。そこで、離れた場所からもコンクリート像を確認できるよう、あえて実物大よりも大きくつくったのではないかと考えられます。
時代は一気に戦国へ! 謎場面にも実は理由が
“五色園=カオス”という表現もしばしば目にします。その最たるは「日吉丸 矢作橋 出世の緒(いとぐち)」の場面。少年期の秀吉=日吉丸が橋の上で蜂須賀小六と出合う有名な逸話を再現しています。この場面、野武士らの個性的な顔つきやポーズも見どころなのですが、よく考えると親鸞聖人の時代からはおよそ400年も離れています。“親鸞さんどこ行ったの?”と首をひねっては“五色園=ワケが分からない”という印象をより強固にします。
しかし、古い資料をかき集めていくと、これにもちゃんと理由があることが分かりました。開園当初のイラストマップによると、他にもいくつか親鸞聖人とはまったく関係のない展示が存在していました。高山彦九郎、白虎隊、楠木正行(まさつら)の場面です。これらが現存しないのは、いずれも尊王思想を象徴するものだったため、戦後に取り壊されたと推測されます。つまり、五色園はもともと浄土真宗の教えと日本の歴史の名場面を紹介する宗教&歴史テーマパークだったのです。
時の名古屋市長も認めた彫刻家・浅野祥雲の実力!
そして浅野祥雲の彫刻家としての実力。その造形力や表現力こそがB級だと軽んじられるケースが多いのですが、こうした風評に筆者は断固異を唱えます。作品、施設によっては確かに動きや表情がユーモラスだったりもしますが、虚心坦懐に一体一体と向き合うと、ちゃんとリアリティがある彫刻作品です。風変わりに見えてしまうのは、ペンキがはげた後で素人が塗り重ねをしてしまったり、またメンテナンスが行き届かずに塗装がはげたり薄汚れたままのものが少なくないからです。
筆者は2009(平成21)年から五色園を中心に祥雲作品の修復・塗り直しを行うボランティア活動「浅野祥雲作品再生プロジェクト」を主宰し、これまでに園内の作品の大半を再生させてきました。修復の際には古いペンキを削り落とすのですが、塗装をはがしてみると、その表情は決してペンキで描かれているのではなく、繊細な凹凸によって表現されていることが分かります。
さらに研究を進めていくと、祥雲は歴代の名古屋市長像を手がけて時の市長から直々に表敬訪問を受けていたり、寺社に納める仏像、地域の名士や戦没軍人の肖像などを依頼を受けて制作していることが判明します。こうした実績から、生前は彫刻家として正当に評価されていたことは間違いありません。祥雲作品にB級とレッテルを張って笑いのネタにするのは、背景を知らず、バイアスをかけて見てしまっているからなのです。
人気パークの効果は…?
さて、そんな実は深~い五色園ですが、ジブリパーク効果はもたらされているのでしょうか?
「いや~、今のところ特に(効果は)ないですね」というのは五色園代表の森浩之さん。「遠方から来る人の場合、名古屋から来てまた名古屋へ戻っちゃう人が多いんじゃないでしょうか。長久手市も日進市もこれを機に盛り上げたいと考えているようですが、関連づけられるものがあまりないですからね」
確かに筆者は3月の日曜日に訪れたのですが、園内で見かけるのは地元のボーイスカウトたちの他、お墓参りの人がちらほらといったところ。めったに人と出くわさない、いつも通りの五色園の風景でした。
そんな中、散策していたのは40・50代のご夫婦。「20年近く日進市に住んでいて、子どもが幼稚園児の頃はよく連れて来ていました。人が少ないので安心して遊ばせられるし、子どもも不思議な雰囲気を気に入っていたようです」とのこと。
駐車場でBBQを楽しんでいたのは地元のラグビースクールのメンバー。「今日は中学生の子たちの卒団行事です。五色園は広くて自由に使わせてもらえて、我々にとってはとてもありがたい施設ですね」「ジブリパークは行きましたよ。なりきり写真で妻と2人で童心に還れました。五色園の人形にも、それぞれちゃんと意味があるんだろうと思いながらちゃんと見て回ったことがありません。うまくアピールすれば話題になるんじゃないですかね」
地域の人たちにとっては、施設に親しみを感じながらも像についてはよく知らない、というスポットのよう。コンセプトがちゃんと伝えられていないことも、B級スポットという誤解ばかりが広まってしまっている要因であることは確かでしょう。
【園内完全ガイド&楽しみ方】
秘仏ご開帳の園内ツアーも開催
園の真のコンセプトが伝わっていない責任の一端は、実は筆者にも。筆者は像の作者・浅野祥雲の全作品を網羅した書籍『コンクリート魂 浅野祥雲大全』を2014年に出版しているのですが、これが残念ながら商業的には不発。五色園だけでも30ページにわたり詳細に解説している同書がもっと売れていれば、少しは正しい理解を広められたのに…と自責の念を禁じ得ません。
また20万坪(東京ドームおよそ14個分)に24場面・100余体の像が点在する園内をただ何となく見て回るだけでは、展示の意味が分からないのもいたしかたありません。各場面には解説版が設置されているのですが、それをひとつひとつ読んで回るのも骨が折れる上に、そこに込められた教義を読み取るのもやさしいことではありません。そこで、筆者は自身がガイドする園内ツアーを年に何度か開催しています。2時間かけて園内をみっちりめぐり、普段は非公開の秘仏のご開帳も行うので、機会があれば参加していただきたいと思います。
そんなわけで、人気パークからのアクセスのよさが取りざたされつつもまだまだブレイクには遠い五色園。しかし、ちゃんと鑑賞すれば深遠なテーマがあり、人気パークと合わせて訪れても楽しめるはず(!?)。唯一無二の宗教公園で、県外の人も地元の人も、愛知の観光の懐の深さをあらためて体感していただきたいものです。
※写真撮影/すべて筆者