江夏 豊・落合博満・野茂英雄――現代のプロ野球にも求められる一匹狼という魅力的存在【その1】
「プロ野球選手というのは、本来みな一匹狼であるはずなんだ」
落合博満の言葉である。
現役時代から、落合がインタビューを受ける時のテーマは、その卓越した打撃技術、野球という競技に関する戦術眼の高さに焦点を当てたものが多い。だが、それと同時に、個性的に生き抜くイメージも強いことから、昔に比べて個性が発揮されなくなったと言われるプロ野球界や、若い選手たちに対する感想を求められることもしばしばある。
そんな時、ひと通り自らの考え方を語ったあと、必ずと言っていいほど口にするのが冒頭の言葉だ。落合はこうも言う。
「プロ野球界って、昔は一匹狼の集まりだったと思うよ」
日本で職業野球が正式に産声を上げたのは1936(昭和11)年である。当時、野球の華は東京六大学リーグで、学生たちが母校の名誉をかけて戦う姿を見ようと、数多の観客が球場に押し寄せていた。まさにナショナル・パスタイム(国民的娯楽)であり、そこへ現れた職業野球には批判的な見方が大勢を占めた。オールドファンの言葉を借りれば、「野球は学生たちがやるもの。それを大の大人が仕事としてやるなんて、何と野蛮なことか」だったようである。
しかし、創設当時の懸念とは裏腹に、日本においても職業野球は確実に根づいていく。それは、学生野球とは異なった魅力、すなわち早稲田、慶應という集団(チーム)ではなく、個々のプレーヤーが醸し出す個性が新鮮だったからで、観客も『どこの試合』ではなく、『誰のプレー』を観に足を運んだのである。
その象徴が背番号だろう。三原 修(のち脩)は21、水原 茂は19といったように、プレーヤーたちは背中にも顔があり、学生時代にも増して派手なプレーを繰り広げた。このように、職業野球は選手たちの持つパーソナリティによって発展していく。そして、戦時下の中断を乗り越え、2リーグ分立を経て、現在のシステムが形成された1950年代になっても、赤バットの川上哲治、青バットの大下 弘、物干し竿の藤村富美男ら個性派プレーヤーが持てはやされた。
スター選手はグラウンドの外でも豪快に振る舞い、それがいくつもの武勇伝となって今に伝えられている。当時、そうした表現をしなかったとはいえ、彼らは間違いなく一匹狼である。そうでない者、つまり強い個性を持たない選手は、一流への扉に手をかけることさえ許されなかった。チームという集団は、一匹狼たちが作り上げるパワーを備えていたのだ。
では、これだけ魅力的な一匹狼は、なぜ絶滅の危機にさらされていくのか。そのきっかけはONの登場と言っていい。
正統派ヒーロー・ONによって変化した個性派の位置づけ
東京六大学のスター・長嶋茂雄が立教大から1958年に、早稲田実業高のエースとして甲子園で優勝を果たした王 貞治が1959年に、いずれも巨人へ入団した。長嶋は、ルーキーながら本塁打と打点の二冠を手にする実力と得意の派手なパフォーマンスで瞬く間にスタートとなり、打者に転向した王も、そのあとを追うように一本足打法という強烈に個性的な打撃フォームで世界の本塁打王へ歩み始める。
ひとりでも十分な輝きを放つスターが二枚揃ったことで、二人はスーパースターという突き抜けた存在へと昇り詰める。そして、そんな最強兵器を与えられた指揮官の川上は、二人を軸とした組織野球の実践に着手した。
野球とは、個々の選手が残した数字ではなく、チームとしての成果(得点)で勝敗を決する。ゆえに、選手たちが指揮官の戦略通りに働けるかが勝利へのキーポイントとされている。将棋に喩えれば、監督が棋士、選手たちは駒である。アマチュアの世界では、現在でもこうした野球が主流だが、プロの世界だけは目指すものが同じチームの勝利であっても、それを選手の技量を結集して実現しようとする。
だから、磨かれた技術と強い精神力によって大舞台に立ち向かう存在、すなわち一匹狼が必要であり、それがプロという世界のアイデンティティでもあるのだ。
だが、極論すれば川上巨人の野球はいかに長嶋、王の力で勝つかを追求したものであり、他の選手はそのお膳立てのために動いた。これだけなら、少なくとも長嶋と王だけは一匹狼たる振る舞いができたはずだ。ところが、当の二人も互いに支え合って最大限の成果を上げる、つまり飛車、角行といった絶大な力は持っていても、やはりひとつの駒としてプレーしたのだ。
また、「巨人軍は紳士たれ」というチーム・スローガンも率先して守り抜く。プライベートな時間はともかく、ファンやメディアの前ではエリート集団を統率したのである。とどめは、そんな巨人が1965年から優勝街道をひた走り、全国区のチームから球界の盟主へ成熟したことだろう。老若男女を問わず、日本人はみな巨人ファンかと錯覚させられるような躍進の中で、長嶋と王は強い正統派のヒーローに祭り上げられる。
それでも、一匹狼は生き続ける。南海(現・福岡ソフトバンク)の野村克也は通算本塁打数で王の前を走っていたし、東映(現・北海道日本ハム)の張本 勲も安打製造機と言われた打棒で毎年のように首位打者を獲得していた。彼らは、黎明期から受け継いできた個性派としての遺伝子をしっかりと持っていた。しかし、“プロ野球=巨人”となった時代にあって、その巨人と対戦しないパ・リーグはマイナーな存在ととらえられ、野村や張本も正統派ヒーローに対するアンチ的存在として記憶されていくことになる。
さらに、巨人がV9(9年連続日本一)という途轍もない偉業を成し遂げたことで、他のチームも巨人が実践した組織野球を採り入れていく。そこでは個性的に振る舞ってチームを牽引する存在は必要とされず、ONのように模範的なプレーで心技の核となるチームリーダーが求められた。いつしか、一匹狼はプロ野球界のマイノリティへと変わり、結束しようとする集団の鼻つまみ者的なレッテルさえ貼られるようになったのである。
(写真=K.D. Archive)