吉本興業は、芸人との契約の「違法性」を否定できるのか
一昨日(7月23日)出した記事【“吉本興業下請法違反”が、テレビ局、政府に与える重大な影響】で、吉本興業ホールディングス(以下、「吉本HD」)をめぐる問題について、下請代金支払遅延等防止法(以下、「下請法」)違反の可能性と、テレビ局・政府が、コンプライアンス上問題のある企業と取引を継続することについての問題を指摘したところ、大きな反応があった。テレビ局との契約主体が、資本金1000万円の吉本興業株式会社(以下、「吉本興業」。2019年6月に「よしもとクリエイティブ・エージェンシー」から商号変更。)だとすると、下請法の適用対象の「親事業者」に該当しないのではないかとの疑問、その場合、下請法のトンネル会社規定が適用される可能性の指摘もある(【吉本興業は下請法の適用外?芸人が正当なギャラを受け取るには】【吉本興業は下請法違反? ギャラの認識で芸人と食い違い、書面のやりとりもなし】)。
公正取引委員会の山田昭典事務総長も、昨日の定例記者会見で、吉本が所属芸人と契約書を交わしていないことについて、「契約書面が存在しないことは問題がある。」と発言した(【吉本興業“契約書なし”を問題視 公取委事務総長が指摘】)。
この点に関連して、経済法学者の楠茂樹上智大学教授からは、「下請法は独占禁止法の優越的地位乱用規制の補完的立法である。」「資本金等の要件から下請法が適用されないケースにおいては、独占禁止法がダイレクトに適用されることになる。」との本質を衝いた指摘が行われている(【下請法と独占禁止法:芸能事務所と芸能人の関係で考える】)。
また、Business Insider Japanの取材に応じた公取委の元幹部も「契約書を交わすのは、取り引きの基本。それさえ守られていないようだ。発注書を渡さないのは、事務所側がいつでも自由に条件を変えられるようにしたいからだろう。」「公の場で契約書がないことまで明らかになっていて、当局がなにも調べずに終わるということは考えにくい。」とし、独禁法の「優越的地位の濫用」による摘発の可能性も指摘している(【独禁法に違反? 契約書なし続く吉本をめぐる2つの法的疑問】)
一方、この問題について複数の記者から取材を受けたが、下請法違反の指摘について吉本HDの広報に問い合わせると、「発注書面は芸人に交付している」と説明しているようだ。
これらの議論や動きを踏まえて、この問題についての、今後の展開を予測してみよう。
「吉本と芸人との取引」が下請法の対象外?
まず、「吉本と芸人との取引」が吉本興業の資本金の関係で下請法の対象外ではないかとの指摘についてであるが、確かに、下請法2条7項では、資本金1000万円を超えることを「親事業者」の要件としており、資本金1000万円の吉本興業も、商号変更前の「よしもとクリエイティブ・エージェンシー」も、下請法の「親事業者」には該当せず、同法3条の発注書面交付義務を負わないようにも思える。
しかし、吉本所属の芸人・タレントについて、テレビ局への出演の契約をしている吉本HDグループは、2009年時点でも、売上が約500億円に上る大企業である。しかも、その吉本HDは、もともと上場会社の吉本興業株式会社がMBOで非上場企業になって持ち株会社化した企業であり、その前身は、芸能事務所そのものである。そのような企業グループと、個人事業主としての吉本所属芸人やタレントとの関係が、形式上の契約主体を資本金1000万円の会社にしていることで、下請法の適用の対象外となり、契約書すら交わしていなくても法的な問題を問われない、というような非常識な結論が、果たして、通用するだろうか。昭和の時代であればともかく、経済社会における法の機能強化、コンプライアンスの徹底が図られてきた平成の30年を経て、今、令和の時代に入っているのである。
さすがに、吉本HD側も、そのことは認識しているようで、だからこそ、マスコミからの取材に対しても、今になって「芸人には発注書面を交付している」などという「凡そ通るわけもない苦しい言い逃れ」をしているのであろう。
しかし、そもそも、吉本HDの経営トップの大崎洋会長が、吉本のポリシーとして「芸人、アーティスト、タレントとの契約は専属実演家契約。それを吉本の場合は口頭でやっている。」と述べ、今後も契約書は作成しないと明言しているのである。そのような会長の方針に反して、現場では芸人との契約書が作成され発注書面が交付されていたなどということがあり得ないことは誰の目にも明らかであろう。
吉本興業側が、岡本昭彦雄社長の記者会見での「冗談」の言い訳と同レベルの「言い訳」をしているのは、さすがに、吉本興業の資本金が1000万円であることを下請法違反への「弁解」として持ち出すことができないからであろう。そういう「弁解」が吉本側から出てくれば、「法の潜脱」の意図が明確になる。それは、トンネル会社規制を適用して下請法違反で摘発する方向に、公取委を後押しすることになるだろう。
下請法違反潜脱行為に対しては、独禁法「優越的地位の濫用」禁止規定の適用
楠教授が指摘するように、もし、吉本興業が、資本金との関係で「親事業者」に該当せず、下請法が適用されない場合は、それは、独禁法違反としての「優越的地位の濫用行為」(独禁法19条)の禁止規定の適用の問題となる。下請法は、「優越的地位の濫用」のうち、親事業者が下請事業者に対して行う典型的な態様の行為と、違反につながりかねない行為を、形式的に切り取って、それに対する措置を定めたものだ。公取委の内部の担当も、独禁法違反一般の調査を担当する審査局ではなく、経済取引局下請課が、中小企業庁とも連携して調査する仕組みになっている。
下請法の適用対象は、主として客観的な基準で判断され、違反に対する措置も、多くは勧告・注意にとどまる。違反の多くは、下請法が定める規定の理解不十分によるもので、そのような「悪意のない違反」に対して指導的措置をとることが中心だ。
そういう意味では、下請法の適用を免れようとする意図で行われる「悪意のある違反」は、もともと下請法の適用領域とは異なるとも言える。吉本興業が契約主体を資本金1000万円にすることで「法の潜脱」を図ったとすれば、そのような悪質かつ露骨な違反行為に対しては、公取委審査局が、独禁法本体の「優越的地位の濫用」に関する規定の適用を検討するのが本筋であろう。「下請法」による調査は、書面による質問に回答することなどがほとんどだが、審査局が「優越的地位の濫用」の疑いで調査に入ることになれば、「立入検査」などの法律に基づく正式な手続で証拠収集が行われ、処分としても、排除措置命令のほか、取引額の1%の課徴金を課されることになる。
「優越的地位の濫用」の成否のポイントとなる「不当な不利益」の有無
「優越的地位の濫用」は、「自己の取引上の地位が相手方に優越している一方の当事者が,取引の相手方に対し,その地位を利用して,正常な商慣習に照らし不当に不利益を与える行為」である。このうち、吉本興業が、芸人・タレントに対して、「自己の取引上の地位が相手方に優越している一方の当事者」であることには疑問の余地はない。問題は、「正常な商慣習に照らし不当に不利益を与えた」と言えるか否かである。下請法が適用される場合は、「発注書面の不交付」自体が違反となるが、優越的地位の濫用については、「不当な不利益」という「実質的な被害」がなければならない。山田事務総長が、前記会見で、「契約書がないだけでただちに問題になるわけではないが、事務所が強い立場を利用してタレントを不当に低い報酬で働かせるなどすれば独禁法で問題になる恐れがある。」と述べているのは(日経)、優越的地位の濫用の要件を意識したものであろう。
契約書もなく、吉本興業側が勝手に報酬額を決めていること自体が「不当な不利益」と見ることもでき、それ自体でも「違反の恐れ」があるとされて公取委が警告をする対象としては十分であろうが、実際に「違反」と認定するためには、吉本興業の所属芸人・タレントが、不当に低い報酬で働かされた事実が必要となる。最低賃金を大幅に下回るような条件で働かせていたということであれば、客の前で披露できるだけで、どんな条件でも応じるという芸人側の意向があったとしても、「不当な不利益」であることは否定できないであろう。
吉本興業に対する、独禁法・下請法による摘発の可能性は相当程度あると考えられる。
それにしても不思議なのは、吉本HDという会社には、社外取締役、社外監査役に、東京の大手法律事務所所属弁護士なども含む4名もの弁護士がいるのに、なぜ、芸人・タレントとの間で契約書すら交わされていない「無法状態」が放置されてきたのかということだ。吉本HDの社外役員というのは、それ自体が一つのステータスということなのであろうか。
コーポレートガバナンスの強化に関して、社外役員の存在が重視され、弁護士の社外役員も相当な数に上っている。しかし、本当に、それが会社の経営を法的に健全なものにすることに役立っているのか、改めて考えてみる必要がありそうだ。