吉本興業は下請法の適用外?芸人のギャラは「囲い込みプレミアム」の考慮を
7月20日に雨上がり決死隊の宮迫博之氏とロンドンブーツ1号2号の田村亮氏の謝罪会見の後、堰を切ったように吉本興業所属の芸人たちが声を上げ始めた。Twitterで呟く者もいれば、自身が出演するテレビやラジオの電波を使って苦言を呈する者もいる。もはや、芸人たちが総力を挙げてメディアをジャックし、経営陣と対峙する構図になってきた。
下請法の無法地帯
こうした状況を受けて、日本のエンターテインメント業界のトップに君臨してきた吉本興業は、今、崖っぷちにいる。この数日間の間に、パワハラ発言から契約問題に至るまで、批判の争点も多様化してきた。
吉本興業ホールディングスの大崎(※)洋会長は、事件発覚後にBusiness Insider Japanの取材に応じ、「若い子の名前でイベントに来た客はいなくても、プロとして舞台に立ったんだから、1円でも払ってあげようという意味での250円。250円もらえてよかったなと、ぼくは思う」「芸人、アーティスト、タレントとの契約は専属実演家契約。それを吉本の場合は口頭でやっている。民法上も、口頭で成立します」などと発言した。
(※本来の字体は「崎」の右上が大ではなく立)
こうした報酬の低さや契約書未締結が、下請法違反ではないかとSNS等で囁かれている。下請法第3条では(契約に関する)書面の交付義務が定められており、第4条1項5号では買いたたきが禁止されている。
しかし、である。驚くなかれ、吉本興業株式会社の資本金は1000万円だ。下請法は資本金が1000万円を超える会社でないと適用されない。2018年の第9期決算公告で7億1,000万円の当期純利益を出している会社であっても、下請法に関しては無法地帯というのが我が国ニッポンの法律だ。(ちなみにジャニーズ事務所も、能年玲奈が所属していたレプロも資本金1000万円である)
これは芸能界に限らず、ビジネス界で活動するフリーランスにとっても「あるある問題」であるため、フリーランス協会では、2017年1月の設立当初から一貫して、下請法の適用拡大(資本金要件の撤廃)を提言してきた。
同じ提言の中で訴えていた「独占禁止法において情報の非対称性や交渉力の格差も考慮してもらいたい」という点については、公正取引委員会 経済調査室の皆様のご理解とご尽力により、2018年2月に「人材と競争政策に関する検討会」の報告書に反映していただいた。
しかし、下請法の改正については、議論がなかなか進まないのが現状である。独禁法によるフリーランス保護を打ち出してくれたことには大いに感謝しつつ、下請法の無法地帯も一掃してもらいたいと切に願っている。
※ただし、吉本興業の親会社である吉本興業ホールディングス株式会社の資本金は1億円であり、もし「トンネル会社規制」の対象となればホールディングスが下請法の適用対象となる可能性も指摘されている。(18:15追記)
独禁法による保護
独占禁止法の新方針では、「企業組織と比べて情報収集能力や交渉力が劣り、フリーランスによる取引先変更の可能性が低い場合」「発注者間で情報が広がりやすい業界で、フリーランスが取引条件を交渉すること自体がネガティブな評判となり取引先変更の可能性を低下させる場合」「フリーランスの選択の自由が既存の取引先から制限されている場合」などは、フリーランスに仕事を依頼する事業者による「優越的地位の濫用」が起きうるとして、問題となり得る行為例が示されている。
具体的には、先日、宮迫の会見に関する記事で書いたとおり「役務提供者への発注を全て口頭で行うこと」が「競争政策上好ましくない行為」とされているほか、元SMAPメンバーに対するジャニーズ事務所の圧力に関する記事に書いた「合理的に必要な範囲を超えた(専属) 契約」や「過大な競業避止義務」に加えて、「著しく低い対価での取引要請」「代金の支払遅延」「代金の減額」「成果物に係る権利の一方的取扱い」などが優越的地位の濫用とみなされる可能性がある。
無論、芸事の世界で一流に至るには、場数を踏む見習い修行期間も必要なので、お笑いステージに1回立って250円という報酬を「著しく低い対価」と見なすのかどうかは議論が分かれるだろう。
一定時間の役務を担うことによって対価を得る被雇用者の「労働」と、パフォーマンスに対して対価を得るフリーランスの「業務委託」とは異なる。そのため、観客を集客できず笑いで沸かせられない(=パフォーマンスを発揮していない)新人芸人に、市場(ここではステージを提供するイベント主催者が顧客となる)は対価を支払わない。それはシビアな現実だ。
しかし、市場価値が低く、本人が対価を得るに値しなくても、人材育成を目的としてパフォーマンスの場を作り、経験を積ませたいと願うのが芸能事務所であり、岡本昭彦社長に言わせれば「家族」の親心ということになるのだろう。その親心で支払う250円が報酬なのか「お小遣い」なのか、捉え方は様々だ。(仮に報酬だとしても、それを著しく低い対価と見なすかどうかは公取委の判断によるが)
囲い込みするなら賃金プレミアムの上乗せを
ここで、適正報酬を検討するための、もう一つ別の視点を提示したい。これまで芸能人を含む、業務委託で働く人々の報酬は市場価値(パフォーマンス)で決まるという話をしたが、実は報酬を規定するのにもう一つ重要なファクターがあることが実証された。それは、囲い込み(競業避止義務)だ。
本日、内閣府が「日本のフリーランスについて -その規模や特徴、競業避止義務の状況や影響の分析-」というレポートを発表した。私も微力ながら一部関わらせて頂いたのだが、内閣府が半年以上の期間をかけ、「平成29年就業構造基本調査」を母集団に、フリーランスの人口を推計する調査としては過去最大規模の5万サンプルの調査を行ったものだ。分析には、一橋大学の神林龍教授などの有識者が協力している。
内閣府分析によると、国内フリーランス人口(副業、一人社長を含む)は306~341万人(※)だと算出されている。推計手法や母集団、切り分け方等が多少異なるものの、今年3月に厚生労働省(厳密にはJILPT)が出した試算では、「広義のフリーランス」は390万人なので、現在日本にいるフリーランスは300~400万人とみて良さそうだ。
※内閣府では、フリーランスの定義を5パターンに分けて、それぞれの人数規模や構成を試算した。
このレポートの価値は、フリーランス人口の精緻な試算に挑んだことに加えて、競業避止義務と賃金(フリーランスにとっては報酬)の関係性を明らかにしたことである。
競業避止義務とは、退職後や契約終了後に、競合企業への転職や事業立上げを制限・禁止する、囲い込み契約だ。今回の分析で、競業避止義務を締結する場合、その約束の見返りとして、賃金プレミアムをもたらすことが確認された。つまり、職業選択が制限される分だけ、賃金が上乗せされる傾向がある。
そして、競業避止義務の存在を確認するタイミングも重要だ。取引先と結ぶ契約書の中に競業避止義務が入っていることを知っていて契約する場合と、知らずに契約する場合とでは、もらえる賃金に倍近い差があるという。米国での先行研究でも、同様の傾向がみられた。
実はこれは、芸能事務所のマネージャーには自明だったりする。タレントのスポンサー契約を結ぶ場合に、ライバル企業の仕事をしないという競合排除の範囲や期間によって、マネージャーはギャラを吊り上げるからだ。
冒頭に記したとおり、大崎会長は「芸人、アーティスト、タレントとの契約は専属実演家契約」と、囲い込みを認めている。これまでは高いギャラを請求するための交渉材料だった競業避止義務は、皮肉にも、タレントの囲い込みをする芸能事務所に対し、「囲い込みプレミアム」を上乗せして報酬を支払わせるプレッシャーとなり得るかもしれない。
芸人一揆という壮大なエンターテインメント
芸人たちがあらゆるメディアを駆使して経営陣に攻勢を仕掛ける様相は、お茶の間からすれば、勧善懲悪の壮大なショーケースと化している。幸い、演者とステージはふんだんに揃っている。天下の吉本興業は、あらゆるメディアのあらゆる番組で露出枠を持っているからだ。杜撰で旧態依然とした経営について、様々な角度からそれぞれのキャラクターに見合った発言をしていて、見事な連携ぶりだ。
まるで誰かが号令をかけて、適材適所で役割分担をしながら、世論を味方にすべく一丸となって戦っているクーデターのようだなんて、つい穿った見方をしてしまいつつ、私もちゃっかり胸アツで見守っている。これまで大手芸能事務所の強い交渉力にひれ伏してきたテレビ制作現場も、ここぞとばかりに立ちあがり、高揚感に満ち溢れている気配が液晶画面越しに感じられる。
芸能界を震撼させる今回の騒動を機に、芸人たちはもちろん、俳優やアーティスト、アニメーターやライター、ビジネス界で働く専門家など、あらゆるフリーランスの処遇が改善されていくことを心から願っている。