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8年間勝てなかった男が勝利の美酒 闘い続ける34歳のボクシング人生

渋谷淳スポーツライター
熱戦の末に、8年ぶりの勝利を手にした田村
熱戦の末に、8年ぶりの勝利を手にした田村

言い訳ばかりのボクシング人生

足掛け16年に及ぶプロ生活で残した戦績は7勝(2KO)23敗2分。2008年からは10連敗を喫し、どん底にあえいでいたボクサーが昨年9月、実に8年ぶりの勝利を飾った。

ボクサーの名前は田村啓という。この戦績ならとっくに見切りをつけ、引退しているのが普通だ。34歳にしていまだ現役の田村は、なぜリングに上がり続けるのだろうか。

「やめようと思ったことは何度もありました。なぜ続けたのか……。やっぱり、やりきってなかった。試合のたびに、もっとやらなくちゃと思うんですけど、やれなかった。言い訳のボクシング人生でしたね」。

20代は建築関係の内装職人として生計を立て、プロボクシングのリングに上がった。真面目に練習したときもあるが、長く続かないのが常だった。「仕事に影響してもまずいしな」。つい朝のロードワークをさぼってしまう。「今日はずいぶん仕事が長引いてしまった」。夜のジムワークに行かない日もあった。

何度も「もっとちゃんとやろう」と思い、5年前には職人をやめた。ボクシングの練習がしっかりできるよう、定時できっちり終わる仕事を探し、お菓子工場で働き始めた。しかし、環境を変えても「限界までやって燃え尽きた試合はなかった」。思うようにがんばれず、だから白星には恵まれず、長いトンネルの出口はなかなか見えなかった。

悪夢の10連敗、勤めていた会社が倒産

転機は2015年の夏に訪れる。勤務先のお菓子工場がつぶれることになり、契約社員だった田村は当然のように解雇となった。

「仕事はなくなるし、年齢も年齢だし、ボクシングをやめて、ちゃんとした仕事を探そうと思いました。そんなときに、フィットネスジムを始めた先輩から手伝ってほしいと言われて……」

ジムのトレーナーとして働き始めると、会員さんを含めて多くの人が田村のボクシングを応援してくれた。先輩はジムの入り口に田村が出場する試合のポスターを張り出し、気が付けば30人もの応援団がチケットを買い、後楽園ホールに駆けつけてくれた。

「応援してもらうプレッシャーはありましたけど、うれしさのほうが大きかったです。デビューしたころ、みんなに声をかけて50人も応援に来てくれた。でも、だんだん呼ばなくなりました。試合があることも知らせないようになった。ずっと勝てないので、馬鹿にされるのも嫌だし。キャリア後半はほとんどだれも来なかったですね」

自分を応援してくれる人の前で試合をするのは久しぶりだった。恥ずかしい試合はできない。その一心でトレーニングに励み、課題だったスタミナ切れも克服し、ひとつの引き分けを挟んでついに勝利を手にしたのである。

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「オレがプロにしてやるよ」の一言で

もともと高い志があったわけではない。友人に誘われ、ボクシングジムの門を叩いたのが高校2年のとき。軽い気持ちだったので、練習もたまに顔を出す程度だった。年も押し迫ったある日、気まぐれで久々にジムに足を運ぶと、すでにジムは年末年始の休暇に入っているではないか。なんだ、休みなのか。そそくさと帰ろうとしたとき、偶然居合わせたトレーナーが「おい」と声をかけてきた。

「おまえ、こんな年末に来るなんて、ずいぶんやる気あるじゃないか。オレがプロにしてやるよ」

その言葉がうれしくて毎日練習に通い始めた。あの日から17年。1回目のプロテストに落ち、デビューから3連敗を喫しても、田村はいまだリングに立ち続ける。悔しい思いをし、真面目にやったかと思えば、ついついさぼってしまいながら、それでもやめずにここまできた。自称「人のいうことに左右されやすいお調子者」はいま、本気でランキングボクサーを目指している。

スポーツライター

1971年生まれ、東京都出身。大学卒業後、河北新報社、内外タイムス社で、高校野球、ボクシング、格闘技などを担当し、2004年にアテネ五輪を取材。独立後にはバスケットボール、ラグビー、柔道、レスリングもフィールドに。著書は「慶応ラグビー 魂の復活」(講談社)。現在Number webにて「ボクシング拳坤一擲」を連載中。

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