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エリザベス女王杯は馬連3-9の1点勝負。なぜ、この馬券を買うのか?

山田順作家、ジャーナリスト

■みんなが「勝つだろうと思う」馬を買うのは無意味

今年のエリザベス女王杯は、メイショウマンボ、ヴィルシーナ、ホエールキャプチャが人気になっている。人気馬というのは「強くて勝つだろうと思われる馬」だから、フツーに考えると、ここから買うしかない。ということは、じつは馬券を考えて買っても意味がないということになる。

なぜなら、みんなが「勝つだろうと思う馬」は、あなたも「勝つだろうと思う馬」だからだ。では、穴馬はどうかというと、みんなが「穴を開けるだろうと思う馬」は、あなたも「穴を開けるだろうと思う馬」だからだ。

こうして、馬券は評論家や競馬記者、スポーツ紙などが伝える情報を頼りに買う限り、考えるだけ無駄になる。では、どうしたらいいのか?

それは、すべての情報を無視するか、あるいはまったく違う考えに基づいて買うことだ。

というわけで、エリザベス女王杯には、エリザベス女王杯でしかできない買い方がある。それは、馬連3-9の1点勝負だ。あるいは、3枠からの枠連総流しでもいい。じつは、私はこれを毎年やってきている。

■「八百長か?」と大波紋となったサンスポ記事

では、なんでこんな馬券を買っているのか?

話は、1992年のエ女王杯当時にさかのぼる。この週、サンケイスポーツ紙の1面で「田原2着以上なら坊主頭になる」という衝撃的な見出しの記事が載った。このとき、田原成貴騎手が乗っていた馬は、サンエイサンキューである。

つまり、この見出しからは、田原騎手がサンエイサンキューを故意に負かせる。つまり、「八百長」をするように読み取れるため、大騒ぎになった。

ちなみに、この記事を書いたのは、水戸正晴記者である。

では、なんでこんな記事が出たのか?

それは田原が、サンエイサンキューの体調が思わしくないのを知って、「こんな状態なのになぜ出走させるのか?」と疑問を感じていたからだ。それをテレビ取材で素直に述べたところ、水戸記者が聞きつけて、また聞きで記事を書いたのだ。

この記事はその後、大きな波紋を巻き起こし、田原のサンスポ取材拒否などを経て、サンスポの対応に嫌気がさして告発した片山良三記者の解雇事件などにつながった。

■デビューから3連闘、その後、クラシック候補に

それでは、サンエイサンキューという馬はどんな馬だったのだろうか?

1989年4月7日生まれの葦毛の牝馬。生涯成績 17戦5勝 、獲得賞金 2億5895万5000円。主な勝鞍は、1992年のクイーンカップ、札幌記念だが、同年のオークスは2着で、エ女王杯は5着である。

あとは、ネット(Wikipediaなど)で、詳しく見てもらえばわかるが、これほど過酷に走らされた馬は、過去にいない。なにしろ走った17戦は、たった1年半の出来事である。つまり、1カ月に1度以上は走っていたのだ。

1991年7月の札幌での新馬戦で、4番人気2着でデビューしたサンエイサンキューは、折り返しの新馬戦を連闘で挑んで勝ち上がった。ふつう、これで間をあけるが、サンエイサンキューは、なんと3連闘で札幌3歳ステークスに出走。さすがに13着と敗退した。

デビューからいきなり3連闘。こんな使い方はありえない。

あとで、馬主が資金難に陥っていたということがわかり、「サンエイサンキューの馬主は人間のクズ」とまで言われるが、馬自身はそんなことは知る由もない。その後も、サンエイサンキューは、徹底的にレースを使われる。それで、なんと暮れの阪神3歳牝馬ステークスをニシノフラワーの2着して一躍クラシック候補になった。

■休みなく走らされてエリザベス女王杯に出走

普通、クラシック候補になれば、大事に使われるが、サンエイサンキューの場合そうはならなかった。ほとんど、すべての出走可能なレース、トライアル、本番を走らされた。驚くのは、年明けの2月のクイーンカップで優勝した後、皐月賞トライアル弥生賞に出走し、その後、桜花賞に出たことだ。

はっきり言って、このローテーションは、キチガイ沙汰だ。

それでも弥生賞7着、桜花賞6着だから、まともならサンエイサンキューはG1馬になれただろう。その証拠に、こんなローテーションでも、オークスで2着している。

G1で2着しようと、サンエイサンキューに休みはない。夏も走った。当時、私は、7月の札幌記念の出走登録馬の中に彼女の名前を見て、なんか切なくて胸が痛んだのを覚えている。ところが、サンエイサンキューは札幌記念を勝ち、さらに函館記念(8着)にも出た。

こうして秋を迎えたわけだが、当時のエリザベス女王杯は、いまと違って牝馬3冠の最終レースだった。

■有馬記念の直線でついに力尽きて骨折

サンエイサンキューは、10月初旬のサファイアステークスを、まず勝った。ふつう、これでエ女王杯に臨む。しかし、トライアルのローズステークス(2着)にも出た。これでは、疲労蓄積で、本番に出ても勝負になるかどうかわからない。

オークスから鞍上を任されていた田原騎手は、このローテーションに不満であり、実際、サンエイサンキューが橈骨に痛みを感じているのを察知していた。

しかし、サンスポの記事は、この田原の真意をねじ曲げてしまった。八百長という言葉が一人歩きし、田原はエ女王杯後に騎乗を降ろされた。ちなみに、それでもサンエイサンキューは5着している。勝ったのはタケノベルベット。

サンエイサンキューの話はこれだけでは終わらない。なんと、こんな状態にもかかわらず、有馬記念に強硬出走する。当たり前というか、ここまでやれば、いくら根性娘とはいえ壊れる。中山競馬場最後の直線で、ついに脚が上がらなくなってしまった。

有馬記念当日、私は中山競馬場にいた。そして、15番人気メジロパーマーが逃げ切り、茫然自失となるなか、サンエイサンキューの故障をうつろな目で見ていた。

右とう側手根骨複骨折。フツーなら間違いなく予後不良だが、馬主は復帰に執念を燃やし、5回も手術を繰り返した。そして、6度目の手術後、サンエイサンキューは心臓マヒを起こして死んだ。

■馬も壊れたが、田原騎手も人間として壊れた

以上が、サンエイサンキューの物語である。

毎年、エリザベス女王杯になると、私はこの物語を思い出す。すでに、田原成貴の姿は競馬界にはない。サンエイサンキューも壊れたが、田原も人間として壊れてしまった。

2001年に銃刀法と覚せい剤取締法違反容疑で最初に逮捕されると、その後、何度も薬物所持、傷害などで逮捕された。競馬界の内幕を描いたエッセイなども発表したが、今年5月、加古川刑務所を出所してからの消息は知れない。

はたして、いつになったら、エ女王杯で、3-9は来るのだろうか?

作家、ジャーナリスト

1952年横浜生まれ。1976年光文社入社。2002年『光文社 ペーパーバックス』を創刊し編集長。2010年からフリーランス。作家、ジャーナリストとして、主に国際政治・経済で、取材・執筆活動をしながら、出版プロデュースも手掛ける。主な著書は『出版大崩壊』『資産フライト』(ともに文春新書)『中国の夢は100年たっても実現しない』(PHP)『日本が2度勝っていた大東亜・太平洋戦争』(ヒカルランド)『日本人はなぜ世界での存在感を失っているのか』(ソフトバンク新書)『地方創生の罠』(青春新書)『永久属国論』(さくら舎)『コロナ敗戦後の世界』(MdN新書)。最新刊は『地球温暖化敗戦』(ベストブック )。

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