プロ野球選手のセカンドキャリア ~ 海老原一佳(元日ハム)さんは第二の故郷・富山で高校教師を目指す
■北海道日本ハムファイターズを退団後の現在
「あそこに(ホームランを)飛ばしましたねぇ。センターバックスクリーンとレフトと…なぜかライトはないんですけど(笑)」。
中堅122m、両翼100mという広い球場で後輩たちの練習を見ながら、懐かしそうに目を細めていたのは元北海道日本ハムファイターズの外野手・海老原一佳さんだ。恵まれた体躯を生かしたパワフルな打撃が魅力の選手だった。
富山GRNサンダーバーズ(昨年までBCリーグ、今年から日本海オセアンリーグに所属)は、海老原さんにとって古巣だ。ここからNPBに巣立った。サンダーバーズに在籍したのは2018年の1年間だけだったが、チームにも、そしてこのボールパーク高岡にも思い出はたっぷりつまっている。
この日はホーム開幕戦ということもあり、挨拶に顔を出した。当時の仲間たちも集まり、ちょっとした同窓会の様相を呈していた。
また、球場外周で海老原さんの姿を見つけたファンは大喜びし、来場することを予想していたのか、持参したベースボールカードにちゃっかりサインをおねだりしていた。
後輩たちの練習を見ながら「やっぱりスイングが違うなぁ…。速いしパワーあるし」と思わず比較したのは、自身の教え子たちとである。海老原さんは現在、高岡向陵高校野球部のコーチをしている。
東京都出身の海老原さんが、第二の故郷であるこの富山の地でセカンドキャリアをスタートさせたわけは、サンダーバーズが結んでくれた縁にある。
昨年限りでファイターズを退団した海老原さんはすぐ富山に向かい、報告をするためにサンダーバーズの球団事務所を訪れた。そこで永森茂社長を前に「高校野球の指導者になりたいんです。これから教員免許を取って教師になって、高校野球の指導をしたいと思っています」と、胸のうちを明かした。
すると永森社長から「ちょうど指導者を探している高校があるよ」と紹介されたのが、高岡向陵高だった。さっそく同校の理事長と話をすると、「学校側が事務職員とかそういうので雇える余裕が今ないからと、仕事先も紹介してくれて…」と、同校野球部OBが社長を務める荻布倉庫株式会社での仕事まで決まった。
縁が縁を結び、トントン拍子に話が運んだ。これも海老原さんの人柄に起因するところが大きいだろう。
■人間教育が重要
荻布倉庫では朝8時から午後4時半まで勤務している。
「倉庫事業で、倉庫の中でひたすら重い物を運んで出庫するのと、あとは届いた物を棚にしまうっていう業務をしています。一番若いので、力作業をやっています」。
鍛え上げた体はきっと、人の何倍もの力を発揮していることだろう。海老原さん自身も社会人としてのイロハを学ぼうと必死だ。
荻布倉庫での業務を終えて高岡向陵高に移動したあとは、夜8時ごろまでコーチとして練習に加わる。気をつけているのは、監督と違うことを言って部員を迷わせないようにすること。指導の方向性は監督としっかり意思統一するようにしている。また、「部活動は教育の一環」であるとも強調する。
「高校生のレベルに合わせて段階的な指導をすることと、教育的な、人間的な面もいろいろ教えていけたらと思っています。野球でいったら道具を磨くことも大事だし、たとえば社会で通じるようなこと…挨拶とか身だしなみとかですね。社会に出たら靴とかスーツとか髪型とか、汚らしい格好はダメですから。そういうところからと、あとは振る舞いだとか人を気遣うとか、その場その場で思ったことを伝えるようにしていますね。社会に通じるような人間になるようにっていうのを考えて話しています」。
社会で必要なこと、たいせつなことはプロ野球界でも学んできたし、現在も一般社会で身をもって体験している。社会人の先輩として、今から伝えておきたいことは色々あるのだ。
■技術の礎を築いてくれたファイターズ時代の吉岡雄二コーチ
もちろん、サンダーバーズで1年、ファイターズで3年、培ってきた元プロならではの技術的な指導も期待されている。
「やはりプロはそれまでとは全然違いましたね、環境も何もかも。サポートしてくれる人もいるし、トップレベルの野球を経験できたのはほんとうによかった。得たものはすごくたくさんありますね」。
吉岡雄二現サンダーバーズ監督は、ファイターズ在籍時はファームの打撃コーチで、熱心に指導してくれた。
「打撃でとくに教わったのは下半身の使い方ですね。そこが自分の課題だったので。2年間だけだったんですけど、吉岡さんのおかげで成長できたなぁと思います。そして教えてもらったことが、今の指導にも生きてるんです」。
感謝の念が尽きない。
部員たちのことを尋ねると「いやぁほんと、かわいいですね」と目尻が下がる。
「高校3年間ってあっという間で、戻れないじゃないですか。だから後悔してもらいたくないですね。僕自身は、学生時代にされて嫌だったことは絶対にしないようにしてますし、一人一人の生徒のことを本当に考えた行動をしたいなと思ってやってます」。
短い高校野球生活を存分に満喫できるよう、できる限りのサポートをしたいと考えている。
そして「けっこう気遣ってますよ。言いたいことがあっても、いろいろ考えて…」と、タイミングや言葉を選びながら、部員の気持ちに寄り添って声をかけるようにしている。愛情いっぱいに接しているのが窺える。
■教員免許取得に向けて猛勉強中
現在、教員免許取得を目指して通信大学で学んでいるという。仕事とコーチ業と並行しながらの勉強なので、「(取得には)最短2年ですけど、今のペースでいくと3年くらいかかるかなぁ」と、かなりハードな日々を送っている。
ゆくゆくは高校の教師として野球部の指導をしたいという。「甲子園に行けるような強いチームを作ることがやっぱ目標ですね、今」と青写真はくっきり描いている。そして野球だけでなく、さまざまなことに相談に乗っていくことも誓う。
「生徒の進路とか、しっかり考えてあげたい。今もいろいろ聞いていると、みんな進路が心配なんですよ。高校で終わりじゃなく、その後、就職するやつもいれば大学進学するやつもいる。そういう未来を一緒に考えられるような教師になりたい。ただ野球を教えるだけじゃなくて。将来のことって、すごく大事じゃないですか」。
教師になって担任をもつことになれば、さらにその仕事は広がる。そのために、これまでの人脈や繋がりを大事にし、今後さらに構築していきたいと考えている。
かつて創価大学卒業時、「プロに行けるような実力はなかった。社会人で野球ができれば」と希望したが、叶わなかった。しかし当時の監督の息子さんの紹介でサンダーバーズに入団することができ、1年後にドラフト指名されてNPBに進めた。
そして今もまた、サンダーバーズの永森社長らの繋がりで高岡向陵高、荻布倉庫で職を得た。これまでずっと人の縁に支えられてきた。だから、そのたいせつさは身に沁みてわかっているのだ。
■男が惚れる男
そんな海老原さんの人柄の素晴らしさは、永森社長がこう証言する。
「海老原は真面目な男でね。城光寺(野球場)で練習するときも朝一番に来て、最後はずっと球場の周りのボール拾ったりしてたんですよ。それを球場長がもうべた褒めしててね。『海老原ってのはたいしたもんだ。あいつ、朝一番に来て、夜は最後までずーっとゴミとか(場外に)出たボールとか拾ってから帰ってる。ああいうやつがプロに行くべきだ』って。まさに、そういう男がプロに行くんですよね」。
ボールパーク高岡でも、海老原さんに書いてもらったサイン色紙を今もたいせつにデスクの引き出しにしまっている職員さんもいる。男が惚れる男なのだ。
ユニフォームを脱いで歩み始めたばかりのセカンドキャリア。海老原一佳は現役時代と変わらず真摯に篤実に、一歩一歩前に進んでいる。
(表記のない写真の撮影は筆者)