人気脚本家が“人前で読めない”号泣小説を書いたワケ
映画「サブイボマスク」(2016年)、「イイネ!イイネ!イイネ!」(2017年)など数多くの作品を手掛ける人気脚本家の一雫(ひとしずく)ライオンさん(43)。「売れない俳優」を経て、脚本家の道へ。初めての小説「ダー・天使」(9月20日発売)も上梓しました。通り魔に命を奪われた父親が神様にお願いして娘を見守るという内容。“人前では絶対に読めない”と言われるほど号泣必至の一冊と話題になっていますが、同作までの長い、長い道のりを素直な言葉で語りました。
役者から脚本家へ
売れない役者をずっとやっておりまして。19歳から35歳までやっておったんですね。そこで会社のエライ方から肩を叩かれまして(笑)。「40になっても飯が食えないんじゃ、もうどうしようもないだろう。そろそろ、諦めたらどうだ」と。
正直、自分でも「人生どうにもならん…」とも思っていたので「1年だけ時間をください」とお答えして、バクチをうちまして。劇団を作ったんです。それで何もなかったら、キレイに諦めますと。そこで初めて脚本を書いたんです。これが、本当にやってみないと分からないと申しますか、意外なことに、脚本の方が仕事になっていきまして。自分でも驚くくらいアッサリと「もう役者は辞めます」となりました(笑)。そこまで意地で俳優をやってきたけれど、なかなか結果が出ない。オーディションを何百回と受けても、実らなかった。それが脚本では立て続けに採用されたんです。こっちの方が飯が食えると。それでシフトしました。根が、ろくでもない人間ですから(笑)。
娘と父を見て
脚本を書き出して数年経ち、その中で小説を書いてみたいという思いが出てきました。そこに至る経緯というのは、多分に僕の個人的な部分と関係してまして。
今の世の中、結婚が遅い方もたくさんいらっしゃいますが、僕も遅い部類でして39歳で結婚し、40歳で娘ができました。そんな時期に、ウチのおやじに末期がんが見つかりまして。すごく一生懸命仕事をした人だったんですけど、仕事を辞めて第二の人生を楽しもうとなっていた中、娘が生まれて半年経った頃に見つかりました。
娘は日々成長していく。寝ているだけだったのがハイハイができて、しゃべれるようになって。一方で父親は確実に朽ち果てていく。2本の人生の線の交わりを見た時に、先ほども申し上げたように、ま、ろくでもない人間なので(笑)、この小説のアイデアが浮かんでしまったんです。命の入れ替わりという。
17歳の神様
やっと幸せをつかんだアラフォーのオッチャンが主人公。普通の街の電気屋さん。家族は奥さんと5歳の娘。そこで、いきなり通り魔に刺されて死んでしまう。そこで、神様に頼んで、娘を見守らせてもらうという話なんですけど、神様は17歳という設定にしたんです。そこにも、僕の個人的な思いがありまして。
これも、ホント、重い話ではなく、すべての文章に(笑)をつけてもらいたいくらいのトーンでお話をするんですけど、僕の2つ下に弟がいまして。生まれつき自閉症という障害があるんです。言葉もしゃべれないし、一人で風呂も入れないし、歯も磨けない。二人兄弟で、すごく弟はかわいいんで、僕が5歳くらいの時に思ったんです。「なんで、オレだけ普通にしゃべれて、遊べて、弟はできないんだろう」って。当時は、昭和なものでインターネットもないし、皆さん、自閉症ということもあまりご存じなくて、ま、イヤな声も聞こえてくるんですよ。当時の声だと「生んだ母親が悪い」だとか「育て方が悪い」だとかいう人もいた。となると、僕としては「ママに向かって何を言ってやがるんだ、この野郎!!」となるわけです。ただ、情報もない時代だし、言ってる人の気持ちも分かる。となると、文句を言うところが神様しかなくなるんです。当時も、今も、無宗教なんですけど、漠然と、そういうことを決めている存在イコール神様という構図が頭にあって。だったら「神様、なんてことをしてくれるんだ!!」と。
それと、小学6年の時に、いとこのお兄ちゃんが線路で電車にひかれて亡くなっちゃったんです。踏切のない線路。お兄ちゃんが亡くなってから、教訓を得て踏切がつきました。今後のみんなの安全を考えたら、それはとてもいいことです。でも、なんだか、無情だな。こういうことって、世の中にいっぱい起こり得るんだな…と。すると、神様に対して「あなたは、あまり良い人ではないね」という意識が出てきた。そんなことを経て、神様を想像した時に、恐らく神様は子どもなんだろうなと思うようになりました。大人だったら、こんなことはしないだろうと。子どもで、あまりよく分からなくて、こんなことをやってしまってるんだろうなと。そんなことを思うようになったんです。
なので、この小説は実は極めて私小説的といいますか、僕のこれまでが幾重にも絡んでできたものなんです。だから、もう一つ大きく見ると、弟のこと、いとこのお兄ちゃんのこと、娘のこと、そして父親のこと。こんな流れがないと、小説はできてないし、お素行がお不良で、高校を途中で出ちゃってる僕が小説を書けているというのも、大きな、大きな流れで見ると、神様のお導きだったのかなと(笑)。だから、神様には感謝しないといけないなと思いますし、今も、弟の安全を、結局、神様に祈ってますしね。
脚本との違い
ただ、脚本と小説、全く別の“競技”でしたね。脚本を6年ほどやらせてもらってから、小説を考え出しましたけど、脚本というのは団体競技。映画は安い予算ではできないですから、まず監督がいて、プロデューサーがいて、そして脚本家がいる。この3人で「じゃ、この作品をどうしていこうか」という作り方なんです。脚本というところには、一応、僕の名前が一人で載ってますけど、監督、プロデューサーみんなで考えて、練ったものなんです。
この団体競技もとっても楽しいんですけど、心のどこかで、やっぱり、ろくでもない人間でございまして、個人競技でも戦ってみたいなと。その理由というのは、脚本家というのも、俳優さんとちょっと似てる部分があって、割と受け身の仕事なんです。オファーをいただいて、やらせてもらうという。監督さん、プロデューサーさんからお仕事を振ってもらって飯が食える。この受け身の状態だと、変な話、ちょっと筆の調子も悪くなってきたら、例えば、家族に飯を食わさなきゃとなった時に、どこかで「監督さん、プロデューサーさん、お仕事くださいませ」になってしまう。一から十まで自分で成立させる競技をやってみたいという気持ち、そして、それができる“筋肉”をつけておかないと、この先、とてもじゃないが脚本という仕事もできないだろうなと。そんなこともあって、小説に踏み出したんです。あとは、ま、歳も歳ですんで、迷ってる時間もないなと(笑)。
去年の3月くらいに集英社の編集者の方に話をしまして、その年の10月から12月までの2カ月で初校を書いたんです。まず最初の苦労はとにかく単純に書く分量が多い!この小説で、結果、映画の台本の十数倍の文字を書きました。ま、それも当然で、映像だったら、キレイな海の前で男女が「愛している」と言えば、それで分かってもらえるんですけど、小説だと、このシーンを伝えるのに、まず海はどんな色なのか、空はどんな様子なのか、男はどういう表情をしているのか、女はどこを向いているのか。そんなことを全部文字で表現しないといけない。当たり前といえば、すごく当たり前のことなんですけど(笑)、大変な作業でした。ただ、ただ、それがすごく楽しかったんです!
脚本家としてのサガ?
エッ、この小説の映像化ですか?この小説を書く前に、一つ、決めたことがありまして。それが「映像化は考えない」ということだったんです。やっぱり脚本家をやってきたんで、監督の知り合いもいるし、プロデューサーさんも周りにいる。ただ、映像化したいという思いを最初から持って書き始めると、わずかでもその思いがある時点で、僕としては、すごくいやらしい小説になる気がしまして。もちろん、映像化ありきの作品があっても良いんですけど、今回の流れでいうと、個人的に、すごく安っぽい小説になってしまう感じがして。そして、わずか1%でもその思いがあれば、読む方は感じるだろうなと。「あ、これは狙っているんだな」と。なので、自分の中で、絶対にしないと考えて書き始めたんです。
ただね、書いてるうちに、登場人物の顔が俳優さんに見えてきたりはするんです。どんどんその世界に入っていきますし。最初、主人公の二郎さんというオッチャン、雰囲気としては「サンドウィッチマン」の伊達さんみたいなイメージだったんです。もしくは「TKO」の木下さんか。大柄で、ぽっちゃりしていて、中年の脂が存分に出ているような、どこにでもいそうなオッチャン。ただ、これが、ワタクシ、本当に、本当に、ろくでもない人間でして…。ページが進んでいったら、伊達さん、木下さんが堤真一さん、内野聖陽さんになってまして(笑)。いつの間にか、商業的な映画になりそうな人を浮かべてしまってました。ま、そんな人間が書いた作品でございます(笑)。
■一雫ライオン(ひとしずく・らいおん)
1973年7月12日生まれ。東京都出身。本名・若林謙。ケイダッシュ所属。明治大学政治経済学部中退。本名での俳優活動を経て、2008年に劇団「東京深夜舞台」を結成。脚本も担当するようになる。以降、一雫ライオン名義で脚本家しての活動が中心となり、映画「サブイボマスク」(2016年、主演・ファンキー加藤)や「イイネ!イイネ!イイネ!」(2017年、主演・クレイジーケンバンド)など数多くの作品を手掛ける人気脚本家に。初の小説「ダー・天使」も9月20日に上梓した。