厚生年金基金廃止論にみる民主党政権末期の出鱈目
政府は、9月28日に、厚生年金基金を廃止する方向で具体的な準備作業に着手する、と発表しました。しかし、廃止という結論、その結論へ至る検討の経緯、廃止を正当化する根拠など、あまりにも出鱈目で認め難い内容(といいますか無内容)です。
政府が厚生年金基金の廃止を導く論理は、完全に破綻しているのです。仮に、結論として、厚生年金基金の廃止がなされるにしても、その結論を導く論理と根拠は、政府が想定しているようなものではあり得ないと思います。逆に、基金制度の意義を歴史的経緯に遡って丁寧に科学的に検討するならば、そう簡単には廃止という結論を導くことはできないでしょう。
要は、政府(というよりも民主党)は、AIJ問題という非本質的(厚生年金基金の問題とは直接に関係がないという意味で)な詐欺事件を手掛かりに、基金の資産運用一般について極めて安直かつ浅薄な問題性を抽出し、もって一気に基金廃止へ飛躍しているのにすぎません。
基金廃止に至る厚生労働省での検討の経緯
AIJ詐欺事件が明るみにでた後、2012年3月14日に、厚生労働省は、省内に、「厚生年金基金等の資産運用・財政運営に関する特別対策本部」というものを立ち上げています。同時に、「厚生年金基金等の資産運用・財政運営に関する有識者会議」というものも立ち上げ、特別対策本部では、そこでの議論を参考にするとしていました。この有識者会議は、7月6日付けで報告書を纏めて終了しています。
この報告書では、厚生年金基金が公的年金を代行しているという問題について、廃止と存続との両論併記となっています。即ち、「代行制度が厚生年金保険の財政に与える影響」の観点から一定期間をおいて廃止すべきという主張と、「代行制度が中小企業の企業年金の維持・普及に果たしてきた役割」の観点から、制度は維持すべきという主張の両論です。
厚生年金基金のうち、単独の一企業で作る単独型と、一企業を中核にして子会社等を含めて作る連合型は、そのほとんどが、既に代行部分(公的年金を代行している部分)を国へ返上して、企業年金基金へ移行しています。現在問題となっている厚生年金基金の太宗は、同一業種等に属する多数の企業(多くは中小零細企業)で作る総合型です。総合型の場合、代行部分を返上すると、残りの給付が薄いため、存立が困難になってしまいます。総合型について、代行の廃止をいうことは基金の廃止をいうのとの事実上は同じことなのです。つまり、有識者会議報告書は、基金廃止と基金存続の両論を併記していたのです。
そして、9月28日の特別対策本部の会合で、基金廃止の方向が唐突に確認されます。今後の予定としては、「10月中に社会保障審議会年金部会の下に専門委員会を設置し、同委員会に厚生労働省の「厚生年金基金制度改革試案」を提示し、同案に対する検討を行い、年内を目途に年金部会としての成案を得る。同成案に則した法案の次期通常国会における提出を目指す」とし、基金廃止を既定路線であるかのようしてます。
ところが、同日の9月28日の定例記者会見で、小宮山厚生労働大臣は、「今後はその懸案がたくさんありますので、社会保障制度審議会などで検討いたしまして、成案が得られれば次の通常国会に提出をするということもあると考えています」と述べ、基金廃止を可能性に留める後退した表現をとっています。
厚生年金基金廃止という結論先にありきの茶番
実は、こうした検討経過は、基金廃止という結論先にありきであって、茶番にすぎないのです。というのも、民主党の「年金積立金運用のあり方及びAIJ問題等検証ワーキングチーム」は、4月24日に、「AIJ問題再発防止のための中間報告」を纏めていて、そのなかで既に「厚生年金基金制度は、一定の経過期間終了後、廃止する」と明言されていたからです。つまり、厚生労働省の内部検討がどうであれ、「有識者」と称される人が何をいおうが、最初から政府民主党の方針は、基金廃止だったのです。
民主党が基金廃止を主張する根拠は何かというと、少し長いですが、中間報告から引用しておきましょう。この引用以外に、基金廃止の理由を述べた箇所はありません。
「大半の厚生年金基金においては予定利率が5.5%に据え置かれている。AIJ問題の遠因として、予定利率を引下げることによる財政上の負担に耐えられない厚生年金基金が、市場実勢より非常に高く設定された予定利率を達成するために、無理な運用を強いられたことが上げられる。この問題を放置しておくことが、新たな年金運用の失敗や年金財政の一層の悪化をもたらすことになる。今次の企業の経営環境や財務実態に照らせば、新たな企業負担を求めることでの制度改善は現実性が乏しく、厚生年金基金制度は、一定の経過期間終了後、廃止する」
ちなみに、この基金の財政上の問題については、「バブル崩壊後の長期の中小企業の経営困難と長期のゼロ金利政策が厚生年金基金の年金財政の多大な負担をもたらしているにも関わらずその改革を先送りし続けた厚生労働省の年金行政の問題点も明らかになってきた」とも述べています。民主党の文書ですから、党としての政府批判はあり得ますが、さて、政権与党としては、いかがなものでしょうか。まるで、野党として自由民主党政権時代の仕事を批判しているようではないですか。
科学的根拠を欠いた厚生年金基金廃止論
民主党が基金廃止を主張する根拠は、要は、5.5%と無理な運用、この二つしかないのです。しかし、この二つの論拠に科学的根拠の全くありません。ここは、重要な論点ですからか、少し詳しく制度の仕組みを解説しておきましょう。
厚生年金基金は、二つの部分からできています。国の厚生年金を代行する部分と、基金独自の上乗せ給付(プラスアルファといいます)部分です。総合型の厚生年金基金の場合、上乗せ給付の薄いものが多いので、厚生年金の代行が大部分を占めています。厚生年金の代行部分の債務額を最低責任準備金といい、プラスアルファ部分の債務額を数理債務といいます。その合計が基金の債務総額になるのですが、それを責任準備金といいます。
最低責任準備金の運用については、厚生年金本体の積立金の運用成果と同等になることが予定されています。厚生年金本体の資産運用は、「年金積立金管理運用独立行政法人」(長い名前なので、英語名称のGovernment Pension Investment Fundの略称のGPIFと呼ばれることが多い)を通じて行われています。要は、最低責任準備金については、GPIFと同じような運用成果を達成すればいいのです。5.5%などは、関係ありません。
一方、数理債務については、多くの基金で、5.5%という予定利率を用いていますが、全ての基金ではなく、5.5%よりも引く利率を採用している基金もあります。予定利率の意味については、多くの誤解があるようです。予定利率を保証利率であるかのように思っている人が多いようですが、それは誤りです。予定利率は、掛金率計算のための単なる仮定です。実際の運用利率が5.5%を下回れば、積立金が不足してくるだけです。不足が発生したときは、掛金率の引き上げで事後的に埋めればよい、という前提になっています。ただ、それだけのことです。
さて、以上のことからすると、例えば、基金の責任準備金の内訳を、八割が最低責任準備金、二割が数理債務としますと、八割がGPIFに連動するのだから、基金全体の資産の運用収益率がGPIFの実績を1%程度上回れば、仮に数理債務部分の仮定が5.5%でも、問題はないわけです。これが、厚生年金基金の資産運用の仕組みです。
GPIFの運用については、そのウェブサイトにいけば、運用内容も運用実績も、わかります。さて、そこには、運用計画の前提として、ずばり「名目運用利回り3.2%」という数字があります。そして、この数字が「確保されるよう」な資産の構成が作られています。具体的には、国内債券67%、国内株式11%、外国債券8%、外国株式9%、短期資産5%となっています。この構成を維持すると、長期的には、3.2%の投資収益率が実現するそうです。この数字なり、この資産構成なりを、どう評価するかは、国民の皆さんが、一人一人、ご自分で考えてください。
運用実績ですけれども、2003年4月1日から2011年3月31日までの8年間の平均の運用収益率は、2.43%(管理手数料等控除前)だそうです。悪くないか。3.2%の見込みも、そんなに出鱈目ではないか。いや、まぐれか、たまたまか。いずれにしても、理論的に厚生年金基金に求められている収益率というのは、プラスアルファ部分に5.5%の予定利率を用いていて、代行部分が八割程度を占めるという前提のもとでは、せいぜいのところ、このGPIFの実績を1%くらい上回っていれば、それで、不足も出ずに、うまくいっていたはずだ、ということです。基金は、無理な運用を強いられたいたわけではないのです。
厚生年金基金の運用は、GPIFを1%程度上回ればいいのです。そのGPIFは、3.2%という目標を掲げている。ゆえに、基金の目標は4.2%程度です。さて、基金の運用目標が無理であるならば、GPIFの運用も、かなり無理であることになります。差は1%ですから。基金の運用を批判するならば、その前に、GPIFの運用を批判的検討しなければならない。それをしないことは、要は、出鱈目な政治責任回避にすぎないということです。
それにしても、このような民主党のお粗末極まりない論理が、事態を熟知している厚生労働省の官僚のもとを無批判に通過してしまっているのは驚きです。おそらくは、官僚も馬鹿ではありませんから、厚生労働省内部でも、民主党からの政治的圧力のもと、最初から基金廃止ということで検討がなされていたのでしょうね。要するに、政府は、難しい状況に陥っている厚生年金基金制度について、構造的要因を正面から取り上げて正面から打開策を提案することを放棄し、安直な廃止へ逃げることで、政治責任と行政責任の隠蔽を図っているのです。
実現可能性のない民主党の政治的小細工
政治責任回避の基金廃止論には論理はないのです。ですから、国民に対しては、見かけ上一番わかりやすい説明をでっち上げればそれでいいわけです。まずは問題の背景として、5.5%という高すぎる予定収益率、高い収益率を求めるための無理な運用、無理な運用に付け込んだAIJ詐欺問題という、単純で浅薄な原因の連鎖を作り上げ、その改革には予定収益率を引き下げるしかない、それは大幅な掛金負担の増加を招くが総合型基金の加入企業に負担力がない、ゆえに基金の存続は困難、という短絡的な結論へ飛躍しているのです。表面的に単純でわかり易ければ、事実に反していても、論理が通らなくても、要は、国民をだますことができれば、それでいいということです。厚顔無恥で、酷いものです。
しかし、今回の民主党の基金廃止論は、それほど気合を入れて反対するほどのものでもないようです、客観的な政治情勢からみて、民主党案にすぎないものが簡単に成立するかどうかは大いに疑問だからであり、民主党も厚生労働省の官僚も、それを承知なのでしょう。小宮山大臣が含みを残したのは当然でしょう。なにしろ、自由民主党は基金廃止を支持していないのですから。
民主党としては、内容はどうであれ、政治的な立場を明確にしておきたかったのでしょうね。脱原子力を巡る政治論と同じです。原子力と同じで、厚生年金基金の問題は、廃止か継続かというような単純な結論は出せっこないのです。ただし、政治ですから旗幟鮮明でないといけないので、とりあえずは、廃止か継続かをいわないといけない。ですから、民主党としては、基金廃止から議論を始めるという立場を表明しただけなのでしょう。それが、本当の基金廃止に結果するとは、到底思えません。むしろ、今後、政治的に議論が活発化するなかで、厚生年金基金問題の深層(と真相)が明らかになってくれば、それでよいのです。