宝塚歌劇月組『応天の門』の見どころを、原作や古典を参照しながら振り返ってみた
千秋楽に向けて盛り上がる月組公演『応天の門』。「芝居の月組」らしい進化が各場面、舞台上のあちこちで垣間見えて目が足りない。とりわけ東京に来てからは、道真の真っ直ぐさと、基経の抱えているものの重みがパワーアップすることで、この物語の一筋縄ではいかない対立軸がより明確になった気がする。そして、本作における「恋愛部門」担当である業平もまた、さらに甘く切ない。
ここで改めて、原作や関連の古典を参照しながら、この作品の見どころを振り返っておきたくなった。
原作漫画とタカラヅカ版
この作品は灰原薬氏の同名の漫画の舞台化である。脚本・演出は田渕大輔。原作の漫画は菅原道真と在原業平のコンビが降りかかる事件を次々と解決していくというバディもので、短編のエピソードが続いていく形式だ。これが果たしてタカラヅカの世界観のもとでうまく舞台化できるのだろうかと思っていたが、原作の基本構成を抽出し、タカラヅカらしさを加味しながらわかりやすくまとめられている。途中、鎮魂祭で道真らが付け焼き刃で習った踊りを披露してみせるなど、史実ではあり得なさそうだが華やかな場面が追加されているのも一興だ。
平安初期、天皇を取り巻く貴族たちが権力闘争に明け暮れている時代。貴族たちは、娘を入内させることに躍起になっている。帝の妃となった娘が男子を産み、その子が帝となれば、その背後で権力を握れるからだ。いわゆる摂関政治である。
漫画『応天の門』で描かれるのは、時の帝、まだ14歳の清和帝(千海華蘭)の妃の座をめぐる藤原氏同士の争いである。娘の高子(たかこ・天紫珠李)を入内させようと躍起になっているのが藤原良房(光月るう)・基経(風間柚乃)父子だ。だが、肝心の高子は在原業平(鳳月杏)と恋仲にある。
いっぽう娘の多美子(花妃舞音)が清和帝にいたく気に入られ、一歩リードしているかのように思えるのが、良房の弟の藤原良相(よしみ・春海ゆう)である。だが、多美子の兄、常行(ときつら・礼華はる)は妹の身を案じている。若き日の菅原道真(月城かなと)は、この状況を冷ややかな目で見つめているが、やがて、基経らのはかりごとの阻止に一役買うことになる。
ちなみに、この2年後に「応天門の変」が起こる。これは、伴善男(本作では夢奈瑠音)が応天門への放火の罪を源信(まこと・本作では朝陽つばさ)に着せようとしたとされ、流罪となった事件(真相は不明)で、結果として藤原氏の権力がさらに強まることになる。
タカラヅカ版『応天の門』は、この多美子の入内に至る経緯を物語の主軸に置いている。これを阻みたい藤原良房・基経の策謀に、在原業平と菅原道真らが立ち向かうという構図である。
したがって、最も手っ取り早く予習するなら、道真と業平との出会いを描いた原作1巻1〜3話「在原業平少将、門上に小鬼を見る事」の後、百鬼夜行の謎を描いた4巻18〜19話「京に妖の夜行する事」、そして7巻34〜39話「藤原多美子、入内の事」を読むのがおすすめだ。
加えて、幼き日の藤原基経と、道真の兄・吉祥丸(瑠皇りあ)とのエピソードが描かれる2巻9〜10話「鏡売るものぐるいの事」(+3巻11話)や10巻52話「藤原基経、道真と会遇する事」あたりも読んでみると良いだろう。
漫画を読んでから舞台を見ると、そのビジュアルが舞台上で絶妙に再現されていることに驚かされる。道真に付き従うお茶目な白梅(彩みちる)と長谷雄(彩海せら)のコンビなど、愛すべきキャラクターたちが登場するのも楽しい。
関連の古典も参照したい
また、古典の一節が至るところで引用されていることも、この作品を奥深いものにしているようだ。
たとえば、道真が終盤に決意を込めて歌う「月夜見梅花(月夜に梅花を見る)」の歌詞は、実際に道真が11歳の時に作ったという漢詩をもとにしているようだ。また、吉祥丸が好きな詩として基経に伝えるのは、李白の「山中問答」という詩である。
在原業平といえば「伊勢物語」だろう。業平が高子を盗んで逃げる回想場面、深窓の令嬢である高子が、草の上でキラキラと光る露を見て「あれは何?」と問う。これは『伊勢物語』の「芥川」の段に由来している。また、終盤に業平が高子を想って歌う「月やあらぬ 春や昔の春ならぬ わが身一つはもとの身にして」も『伊勢物語』に収められている歌である。
「昭姫」についても道真が「とんだ昭姫がいたものだ」と、その名前について呆れる場面があるが、これは中国・三国時代の魏の国の「昭姫」という詩人が知られていることに由来する。道真が口ずさむ詩は、この昭姫の作のものだ。魏の「昭姫」も才に恵まれながらも異民族に拉致されて苦労した人生で、本作の昭姫を彷彿とさせる。
なおタカラヅカ版『応天の門』に引用される古典については、能楽師・安田登さんのウェブサイトに詳しい。これらの古典を参照してから観劇すると、いっそう趣深いものになるだろう。
昭姫、業平、基経が道真に及ぼした影響とは
この物語は、天才的な学問の才を持ちながらも権力には興味なし、権力者に媚びへつらう人も大嫌い、だが自分はどうしたらいいかわからない…そんな若き日の道真の成長譚でもある。
そこに絡むのが、姉御のような昭姫(海乃美月)、兄貴のような在原業平(鳳月杏)、そして後に宿敵となる藤原基経(風間柚乃)だ。3人がそれぞれ別の役割で、道真の成長譚に一役買っていくことになる。
唐からやってきて広い世界を知る昭姫は、包容力を感じさせる女性だ。気は強いが面倒見が良く、弱き者を守り難題の解決に力を貸すさまが小気味良い。「大事なのは共にいる人の心を知ること」という昭姫の教えに対して最初は「嫌です!」と反抗的な道真だが、最後は納得する。そして道真自身からこの言葉が語られて幕切れとなるところにも、昭姫の影響力を感じさせる。
色恋の経験豊富で、酸いも甘いも噛み分ける在原業平は、まだ青臭い道真とは対照的な男性だ。権力闘争の中での業平の「大人の判断」を道真は受け入れることができず、いったんは袂を分かつが、最後には受け入れ、業平もまた道真によって変わっていく。互いに影響を及ぼし合う関係だ。
なお、業平と藤原高子を描いた作品としては、2001年に上演された『花の業平』がある。この作品のおかげで二人の忍ぶ恋はタカラヅカファンにはなじみが深いが、今回も切なく描かれ、恋愛要素の少ない本作に華を添える。この部分は原作にはないタカラヅカらしい見せ場の一つとなっているが、これには『花の業平』の影響もあるのではないかと思われる。
また、ただの悪役ではない、葛藤の末に自分を殺して権力に殉じる存在として描かれるのが藤原基経だ。そこに効いてくるのが、道真の兄で幼い頃に亡くなった吉祥丸とのエピソードである。つまり、かつては基経の中にも道真と変わらぬ真っ直ぐな心があった。だが、その心を貫き通そうとする道真に対し、基経はこれを封印して生きる道を選ばねばならなかったということだ。ラスト、朝議の場に現れる道真と対峙する瞬間、今後を予感させる緊迫感が漂う。
道真のその後も見届けたくなった
決意も新たに清々しく銀橋から舞台袖に去っていく道真を、薄暗い本舞台上では藤原良房、基経、良相、常行ら藤原氏一門がじっと見守る。斬新な幕切れだ。
観客の我々は、彼がただのひねくれた少年で終わらないことを知っている。この道真がやがて権力の頂点に登り詰め、憧れていたはずの遣唐使を廃止し、そして太宰府に左遷されるのである。斬新なエピローグは、その後の道真の栄達と転落を暗示しているのだろう。月城かなとが演じる道真は、そんな未来までも想像させ、「願わくばこの後、右大臣まで登り詰めた姿も、さらには怨霊となった姿までも見届けたい!」と思わせる菅三さまだったと思う。