3000本安打を達成したイチロー、700号本塁打まであと4本で引退するAROD
現地時間8月7日は間違いなく球史に残る日だった。東部時間午前11時に史上4人目の通算700号本塁打にあと4本に迫っていたヤンキースのアレックス・ロドリゲスが現役引退を表明し、その5時間後の山岳時間帯午後2時に始まったロッキーズ対マーリンズ戦で、イチローが史上30人目の通算3000本安打を達成した。
メジャーには「シガーポイント」(Cigar point)という言葉がある。シガー(葉巻)は、何か祝うべきことがあった際にふかすものともされている。優勝を決めたシャンパンファイト後で、クラブハウスで選手達が葉巻をくゆらせるシーンを目にしたことがあるファンもいるだろう。
野球界では、野手の通算500本塁打や投手の300勝などの区切りとなる大記録は、そこまで選手の成績を引っ張り上げる効果があるとされている。力の衰えたベテランも偉大な通算記録が視界に入っていれば、「もう少しがんばろう」となるわけだ。この区切りとなるマイルストーンが「シガー・ポイント」だ。
例えば、通算安打3000本以上3100本未満と2900本以上3000本未満の選手数を比較すると、前者はイチローも含め9人で後者は8人と一見大差ない。しかし、前者では引退年が最も古い選手でも1972年のロベルト・クレメンテだが、後者は2007年引退のバリー・ボンズ(現マーリンズコーチ)と1976年引退のフランク・ロビンソン以外は、全て通算記録の価値が現在ほど重んじられていない戦前もしくは19世紀の選手だ。そのボンズにしても通算本塁打は歴代1位の762本(薬物疑惑付きだが)で、ロビンソンも1966年に三冠王に輝くなど、基本的には長距離砲として名を馳せていた。通算安打数にそれほど拘る必要はなかったのだ(彼らの引退はまた別の要因があったのだが、それはここでの趣旨とは関係ないので触れない)。「50歳までやりたい」と語っているイチローにしても、3000本安打には並々ならぬ思い入れがあったことは、記録達成後の記者会見で珍しくエモーショナルな部分を見せたことでも明白だ。
だからこそ、イチローの3000本安打は心から祝福したいし、700号寸前で引退を選択せざるを得なかったARODの無念も察するに余りある。もっとも、彼の場合は薬物使用の罰則導入前の2003年の検査で陽性反応を示していたことが2009年に暴露され、2014年にはバイオジェネシス・スキャンダルで1年間の出場停止処分を受けるなど、「クスリまみれ」のイメージがついて回っていた。したがって、700号を達成しても相当微妙な(というか非難轟々の)反応が巻き起こったであろうことは明白で、「待望」の機運はほとんどなかったのも事実だ。彼は引退会見で、「このゲームを心から愛した男として記憶されたい」と語ったが、開幕前には確実視された700号達成を目前にして現役を去るとは、ウソつきで偽善者である一方で、史上有数の天才プレーヤーとして認知される彼の現役生活を象徴していた。
イチローも3000本安打はハッピーそのものの出来事だったが、そこに至るまでは同僚との確執もあった。2001年にマリナーズであまりにセンセーショナルなデビューを飾り、チームをア・リーグ記録の116勝での地区優勝に導きながら、マリナーズはその後低迷した。一方で、イチロー自身はチームの不振どこ吹く風できっちり安打数を毎年稼いで行っただけに同僚との溝も生まれ、「個人記録のためにプレーしている」との批判も受けることになった。彼は2012年の途中でヤンキースに「中心選手としては扱われない」という条件を呑んでまで移籍したが、それは勝利に飢えたイチローの野望とともにマリナーズでの閉塞感も示したものだった。その証拠にイチローの交換相手は、スターでも将来の有望株でもなかった。
しかし、その後イチローは年齢的限界説も払拭し、20歳近く年の離れた若い選手達と心の底から楽しそうにプレーしている。
思い起こせば、ヤンキースで同僚だったこの2人は20世紀末を境とするマリナーズの新旧スターだった。そんな2人の野球人生がそれぞれの形で交錯した8月7日だった。