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ドラマ『私の家政夫ナギサさん』が教えてくれる「人生でとても大事なこと」は何なのか

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:アフロ)

予想を裏切った『私の家政夫ナギサさん』の魅力を探る

火曜ドラマ『私の家政夫ナギサさん』は予想外の「癒やし」ドラマだった。

予想外だったのは、「働く女性に向けた癒やしドラマ」だとおもってたのに、「すべての人を癒やしてくれる」ドラマだったところである。

意外だった。

多部未華子の存在も説得力があったのだが、それを越えて「家政夫ナギサさん」を演じた大森南朋の存在感が圧倒的だった。

あらためていろんなものを発見させてくれるドラマでもあった。

多部未華子が演じる「相原メイ」は、「とても仕事のできる会社員」である。仕事はできるが、家事はまったく苦手という女性で、だからひとり暮らしの部屋は荒れ放題。

よくある、とは言わないが、ドラマではときどき見かける設定である。

現実世界にも、そういう人はそちこちにいる。

外では完璧な仕事人であり、家の中での家事が苦手という存在は、けっこう見かけるものである。

考えてみれば、妻に家事を完全に任せている「仕事のできる男」も、たとえば妻に入院されたり、先立たれたりすると、家の中がたちゆかなくなることも多く、彼らもいわば「潜在化した相原メイのような存在」だともいえる。

かえって、「外での仕事も内での家事も完璧にできる人」というものが、とても少数派なのかもしれない。

ドラマが始まる前は『私の家政夫ナギサさん』は、多部未華子が演じる「できる女子社員」のオモテとウラをコミカルに描くドラマなのではないかと予想していた(4月開始予定だったから、予想する時間はたんまりとあった)。

もちろん、それもきちんと描かれていた。多部未華子は魅力的で(どんどん魅力的になってるように見える)彼女の裏表を眺めているだけで楽しかった。

でもドラマのメインはそこにはなかった。

ただのおじさん家政夫が見せてくれた「癒やしの空間」

メイ(多部未華子)は、自分で家政夫を頼んだわけではない。

妹(趣里)が家政婦をやっていて、彼女が姉を心配して、優秀な同僚であるナギサさん(大森南朋)を黙って派遣したのである。最初は自分の部屋にいきなりおじさんが上がり込んでいるので、とても戸惑ったメイであるが、やがて慣れていき、そして、なくてはならない存在になってしまう。そういうドラマだった。

このドラマを支えていたのは、大森南朋の家政夫さんであった。

大森南朋の「家政夫」さんは、見てるだけで、ほっとする。

彼の立ち居振る舞いが、見てる者をとても安心させてくれた。

彼は最初から「家政夫」として登場する。

家事をやるプロだから、家事全般の手際が見事である。家政夫(婦)のなかでも、かなりレベルの高い人らしい。

食事を作るのも抜群にうまい。

ふつうの家で日常に食べるものを作って、すごく美味しそうなのだ。

グランメゾンで使うような高級食材はないし、目よりも高い位置から塩をかけることもないのだが、ふつうにお母さんが作ってくれるものを丁寧に、おいしく作ってくれる。

日常家庭の料理が、ここまでおいしそうなドラマも珍しい。

多くの人が、「こんな人が家にいてくれたら」とおもうような存在、それが「家政夫のナギサさん」なのだ。

家政夫ナギサさんは「お母さんになりたかった」人である

ナギサさんは、最初から家政夫業だったわけではない。

ふつうに会社員として勤めていたころもあった。それもかなり優秀な会社員だったらしい。それがさまざまな理由から家政夫として働きだし、それが今ではリピート率ナンバーワンの優秀な家政夫となっている。

何かのおり「お母さんになりたかった」と告白するように言っていた。

べつだん女性になりたいということでもなく、つまり自分の中にある女性的要素に着目してるということでもないようで、ほんとうに「お母さん」のように、「ただ家族の役に立つ人になりたい」という意味のようであった。

「お母さんのように」というのは、家族のそれぞれのことをおもい、無償で働く存在でありたいという願望なのだろう。

仕事にしているから、もちろん報酬をもらっているが、たぶん眼目はそこにはない。身近にいる人の日常を支え、元気よく生きるバックボーンを作ってあげたい、とただただ願っている。そういう人に見えた。

見た目はどこまでも「おじさん」だけど、そういう心持ちで献身的に働く人がそばにいてくれたら、それはとても安心する。すべての人が、こんな「お母さん」が欲しいだろう。

人生においては「落ち着いて過ごせる場所」が大事なことをとてもよく知っていて、それをキープするために、細かい努力を怠らない。

人はみんな、そういう姿勢で生きたほうがいいんじゃないか。

ふと、そう考えさせられるドラマでもある。

コワモテの役が多かった大森南朋が家政夫を演じる意味

大森南朋だから、たぶん、この「家政夫」は説得力があったのだ。

大森南朋が演じたのは、コワモテの役が多かった。

たとえば大河ドラマ『龍馬伝』(2010年)での武市瑞山、『SPEC』(2010年)での公安の警察官、『BOSS 2ndシーズン』(2011年)の代議士秘書、『S―最後の警官―』(2014年)の隊長、どれもコワモテである。

とくにゲスト出演だったが小栗旬主演の『BORDER』(2014年)では、最終話での犯人役として登場、これがすさまじく強烈で、「絶対の悪」を演じて説得力がすごかった。いまだにあの役の印象を残して、大森南朋を見ている感じがする。

『コウノドリ』(2015年)や『サインー法医学者 柚木貴志の事件―』(2018年)では、やさしげな役ではあったが、でもいつも「第一線で戦う人」であった。

休みのない戦士のような役どころをいつも演じていた。

それが、家政夫のナギサさんになった。

そして、それは、尊皇攘夷運動の黒幕だったり、公安警察官だったり、絶対悪だったときと同じく、ひょっとしたらそれを越えて、その存在感が圧倒的で、見てる者はただ惹きつけられた。

家事は大事です、人が暮らす場所は大事にしなければいけません。

押しつけるわけでもなく、静かに、淡々と、家政夫のナギサさんはそういうことを教えてくれた。

説得力があった。

「家事」を大事にする人が黙って示してくれた「人生の価値」とは

ばりばり働くためにも、きちんと食事をして、しっかり休まないといけません。

ナギサさんはそう言う。

説得力があるから、メイ(多部未華子)は言われたことを守ろうとする。

ナギサさんの存在によって、仕事人であったメイの生き方も変わっていく。

「お金を儲ける仕事」は大事ではあるけど、それと同じレベルで「家事」も大事ですよ、とナギサさんによって、強く知ったのである。だからといって、家事をばりばりやれる人にはならないところがリアルでいいんだけど。

人とつながっていること、人としてきちんと生活していくことと、そういうことを保持するための「不断の努力」、そういうことまでも気づかせてくれている。

人類として何万年かつづけてきた営みを、「ビジネス」などというものの前で怠ってはなりません。

そういうふうに諭してるようにも見えた。そんな言葉は出てこないけど、見方によっては、聞こえてくる言葉である。

それはまさに「お母さん」の言葉だ。

踏み込んで言葉にするなら、「会社でばりばり働くこと」と「家事を懸命にやって居場所をキープすること」には、さほどの差はないですよ、ということになるかもしれない。

自分一人だけですべて片付けようとしないでいい、人の助けを借りて、また人を助けることによって、それで人生は進んでいく。

人生にとって大事なのは「金を稼ぐための仕事」だけではなく、ひょっとしてそれ以上に「人のために役だつことだよ」とお母さんは教えてくれる。

仕事というのは「お金をもらう作業」のことではなく、「人の役にたつ作業」のことだと、家政夫でお母さんのナギサさんは、黙って示してくれた気がする。そういうことを静かにやさしく教えてくれるドラマは大切である。

ナギサさんのようなお母さんにいてほしいと、ほんとにおもえるドラマである。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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