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サンデル教授の白熱教室を体験した「人工知能(AI)は人間の思考を役立たずにするのか?」

木村正人在英国際ジャーナリスト
AIを巡るサンデル教授の白熱教室(筆者撮影)

あなたの答案をAIが採点したら?

[ロンドン発]NHKドキュメンタリー「マイケル・サンデルの白熱教室」で日本でもすっかり有名になった米名門ハーバード大学のマイケル・サンデル教授(政治哲学)が1日、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)で白熱教室を開きました。

筆者もプレスパスをもらって受講してきました。お題は「人工知能(AI)は思考を役立たずにするのか?」。サンデル教授の主題は「正義」。倫理から民主主義、市場まで幅広く取り上げる白熱した議論はオンラインやTVで無料公開され、数千万人に視聴されています。

150人収容の会場は市民も含め、立ち見が出るほどの熱気でした。最初の設問は「あなたの論文やエッセイがAIによって採点されることに賛成ですか、反対ですか?」。

サンデル教授(筆者撮影)
サンデル教授(筆者撮影)

グーグル・ディープマインドの人工知能「アルファ碁(AlphaGo)」が世界最強とされる囲碁棋士の1人、イ・セドル氏(36)を4勝1敗で破ったのは2016年3月。金融、医療、法務、会計から軍事までAIの応用は日進月歩で進んでいます。

しかし自分の将来にかかわる論文やエッセイの採点となると、LSEのエリート学生のほとんどが反対しました。「AIには好き嫌いがなく、より公平かつ公正な採点が期待できる」という賛成論は十数人しかいませんでした。

これに対して「採点するアルゴリズムにも開発者の主観が入り込む」「小学校や中学校、高校までなら問題ないが、大学、修士過程、特に博士過程にはオリジナリティーや創造性が求められ、画一的なアルゴリズムは適さない」という反対論が述べられました。

人間の判断からはどうしても主観やバイアスが排除できません。人種や民族、宗教の違いによるバイアスは望ましくありません。このため人間の作り出した制度の多くにチェック・アンド・バランス(抑制と均衡)が導入されています。

おそらく大学の教員は論文やエッセイの採点にAIを導入するのには大賛成でしょう。学習アプリは人間の労力やコストを大幅に減らしてくれます。しかし、その一方でAIにいくらほめられても学生はあまりうれしくないでしょう。人間はほめられて成長します。

結婚アプリと親の意見、どちらを信じる?

2つ目の設問は「あなたに最も相応しい結婚相手を見つけてくれるアプリと親のアドバイスのどちらに従いますか?」。アプリ派が6割、親の意見尊重派は4割という感じでした。

親の意見尊重派は「自分のことを愛してくれている親の意見は傾聴に値する」。

アプリ派は「世界中のデータの中から自分に最も相応しい相手を選んでくれるから」「親とはジェネレーションギャップがあり、相手を選ぶ基準も異なる。アプリの方が私のことをよく知っている」「アプリの方が正確」。

自分の意見を述べる参加者(筆者撮影)
自分の意見を述べる参加者(筆者撮影)

こんな意見もありました。「自分の第一印象でさえ信用できない。自分自身よりアプリを信じるが、まだパーフェクトなアプリは登場していない」「自分の自由意志を大切にしたい」

実際のところ結婚とまでは行かなくても、英国では、いわゆる“恋活アプリ”を利用していない人を見つける方が難しい状況です。

自動通訳機が実用化されたら、どうする?

3つ目の設問は「耳に装着する自動通訳機が実用化されたら、どうしますか?」。このテーマは思っていた以上に議論が白熱しました。

筆者は欧州や中東に取材に出掛けますが、英語がそこそこ話せたって取材できないことが多くあります。

2015年の欧州難民危機ではトルコ、ギリシャ、セルビア、ハンガリー、ドイツを旅しましたが、話す言語はトルコ語、ギリシャ語、セルビア語、ハンガリー語、ドイツ語と異なります。だからグーグル翻訳は手放せません。

「自動翻訳は人を怠け者にする。未知の世界に挑む冒険心を損なう」という少数の反対意見が述べられましたが、賛成派の女性は「言語取得が難しい障害者の助けになる。また、私たちが置かれている資本主義的な効率性を考えた場合、自動通訳はもはや必需品だ」と述べました。

すると男性が「資本主義的な効率性にどれほどの意味があるのか。それは効率性に取り憑かれた呪いと言っていい。心と心のつながりやヒューマニティーの方がもっと大切だ」と反論しました。

確かに男性の言う通りなのです。出張する時に行きの飛行機の中で「こんにちは」「ありがとう」という簡単な言葉は覚えていった方が取材は上手く行きます。

思いやりロボットや最愛の人のデジタル分身が導入されたら?

4つ目の設問は「思いやりロボットやペットについてどう思いますか?」。

ソニーが自律型エンタテインメントロボット「aibo(アイボ)」を発売したのは1999年です。筆者の家ではネコを2匹飼っていましたが、いずれも逝去し、今では近所の飼いネコが毎日遊びに来てくれます。

人間が寂しい時、ネコにも分かるようで膝の上に乗ってきたり、ノドを鳴らしたりして甘えてくれます。ペットには癒やし効果があります。人間、1人では生きていけません。話し合ったり、触れ合ったりすることが大切です。

AIやロボットが導入され、すべてが自動化、無人化された老人ホームで人生の最期を迎えることがそれほど幸せとは思えません。人間の思いやりをアルゴリズムに落とし込むことができたとしても寂しさを癒やしてくれるのでしょうか。

最後の設問は「あなたが最も愛する人をデジタル・アバター(分身)として残したいですか?」。これは賛成11人で反対が圧倒的多数を占めました。「アバターがいることによって自分の記憶が消えていく」「最愛の人への記憶に縛られるのではなく、前に進んでいきたい」という意見が述べられました。

すでに人間の能力を凌駕したAI

AIについて人類の中で一番真剣に考えたのは「アルファ碁」に破れたイ氏とイ氏より強い中国の囲碁棋士、柯潔(か・けつ)氏の2人ではないでしょうか。「アルファ碁」は自己対戦による強化学習を行い、局面ごとの勝率を計算して史上最強の棋士でさえ思いもよらない手を打ちます。

人間の能力はすでにAIに凌駕されています。しかし「アルファ碁」は勝っても負けても、うれしさも悔しさも感じません。これがおそらくAIと人間の大きな違いでしょう。サンデル教授は白熱教室の最後をこう締めくくりました。

「アルゴリズムやスマートマシーンは非常に多くのことができる。スマートマシーンをどう使うかを決めるのは私たちの仕事だ。私たち民主主義に生きる市民の責任でもある。そのためには哲学的な質問を考えなければならない」

「例えば主観、フィーリングや感情が本質的な理由や判断の要因なのか否か。パターンやルール、ビッグデータが言語や人の交わりなど私たちの能力にとって代わる日がいつかやって来るのか、それとも人間の能力やコミュニケーションがデータやルールによって仲介されるのか」

私たち1人ひとりがその日に備えて考えておく必要があるのは間違いありません。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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