ビートルズの訪印50年 ジョージ・ハリスンとエリック・クラプトンに愛された元妻に会ってきた
ビートルズの生地リバプール
[リバプール発]リバプールと言えば、ビートルズ。そのビートルズが超越瞑想の教えを乞うため、インドを訪れて今年で50年。リバプールのビートルズ展示会場「ザ・ビートルズ・ストーリー」でビートルズのインド訪問に関する特別展が開かれています。
ビートルズとインドのつながりを作ったのはリードギタリストのジョージ・ハリスン(1943~2001年)と最初の妻パティ・ボイドさん(73)。1960年代に登場したビートルズは社会の抑圧や時代の閉塞感を打ち破り、世界的なスターになります。
68年2月にインドのリシケーシュにマハリシ・マヘーシュ・ヨーギーを訪れます。物質的な豊かさを求める西洋からインドの超越瞑想に傾倒するビートルズに世界の若者は衝撃を受けます。
パティさんは「それは本当に特別でマジカルな時間でした。多くの記憶を作り、もちろん偉大なビートルズ・ミュージックを豊かなものにしました」「リンゴ・スターは食事がスパイシー過ぎると困っていました」と振り返りました。
出会いは『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』の撮影現場
リバプールにはビートルズの生地を巡るさまざまなツアーがあり、そのついでにインド訪問特別展をのぞくのも一興でしょう。特別展そのものより、ジョージの元妻パティさんが記者会見するというので筆者も往復5時間以上かけてリバプールに行ってきました。
パティさんがジョージと出会ったのは1964年。ビートルズが初主演した映画『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』の撮影現場です。モデルだったパティさんは女学生のちょい役でした。
蠱惑的なパティさんに一目惚れしたジョージは「結婚してくれない? ダメなら今夜、夕食でもどう」と声をかけます。パティさんは真剣に交際していたカメラマンと別れ、21歳の時、ジョージと結婚。世界中のビートルマニア(Beatlemania、日本ではビートルズマニアとも呼ばれる)を悔しがらせます。
スラッと伸びた長い足と大きな目、マリー・クワントのドレスとふわふわの毛皮コートを着こなす。かわいくてセクシーで、どうしても手に入れたくなるような女の子。ファッション・ライフスタイル雑誌ヴォーグの表紙を何度も飾りました。
パティさんはベトナム反戦運動や学生運動に揺れた「漂流する60年代」のイギリスを象徴する小悪魔的な女性だったと言えるでしょう。
ビートルズのメンバー4人をインドの超越瞑想に引き込んだのもパティさんでした。68年2月、ビートルズのインド訪問にはパティさんも妹のジェニー・ボイドさんと一緒に参加しました。インド瞑想の旅はアルバム『ザ・ビートルズ』(通称・ホワイトアルバム)やその後のビートルズ作品にも影響を与えました。
ビートルズとパティさん姉妹らが50年前に訪れたヒマラヤ山脈のふもとにあった「聖なる谷」は「ジャングルになり、トラが歩き回っているわ」とパティさんは笑いました。
「マハリシが女の子に言い寄ったという話が出ましたが、関心を集めようとした作り話でした。ジョン・レノンがリシケーシュを離れたのはオノ・ヨーコに会うためだったと思っています」
ジョージとエリックのどちらが大事な思い出?
ギターの名手として知られるエリック・クラプトンとジョージ・ハリスンは気が合い、一緒に音楽活動を始めます。エリックはパティさんに恋するようになり、1971年にはパティさんへの思いを込めた『いとしのレイラ』がヒットします。
英紙タイムズによると、エリックはジョージに向かって、こう言ったそうです。「友よ、告白しなければならない。俺はお前のワイフに恋している」。ジョージはパティに「俺か、あいつか、どっちと家に帰るんだ」と問いただしたそうです。
パティさんはジョージと74年に別居、3年後に離婚手続きが終了して79年にエリックと結婚します。パティさんは筆者らの共同インタビューに「別れてすぐに結婚したんじゃないわよ。4年余り間を置いたわ。それを忘れないでね」とユーモアを交えて強調しました。
パティさんはジョージ作品の『サムシング』にもインスピレーションを与えました。
パティさんはジョージについて「彼はとても愛らしく、やさしかった。とても面白かった。ラブリー・ナンバーワン。瞑想を信じていたわ」と振り返り、「人生に深い理解を持っていた。スピリチュアルな人間よ」と話しました。
ジョージとエリックのどちらが大切という質問に、パティさんは「ジョージよ」と即答しました。ジョージの愛の方がより深かったと改めて感じているようです。ただ「スターと付き合ってメディアに追いかけ回されてちょっぴり怖かった」と打ち明けました。
(おわり)