ホロコースト時代にヒトラーユーゲントになりすまして生き延び戦後に映画にもなったユダヤ人97歳で死去
1990年に映画「Europa Europa」(ヨーロッパ・ヨーロッパ~僕を愛したふたつの国)の基になったヒトラーユーゲントになりすましてホロコーストを生き延びた少年
イスラエルに住むホロコースト生存者のソロモン・ペレル氏が2023年2月に97歳で逝去された。ソロモン・ペレル氏は1925年4月にドイツのパイネで生まれたユダヤ系ドイツ人。ヒトラーが政権を握った頃のドイツは全人口が約6700万人で、ユダヤ人は全人口の1%以下の約50万5000人しかいなかった。ユダヤ人の多くがベルリンなどの大都市に住んでいたため、ユダヤ人を見たことがないというドイツ人は地方や田舎にはたくさんいた。
ドイツで生まれたため当然ソロモン・ペレル氏はドイツ語も話すことができた。そのためペレル氏はナチスドイツが政権を握ってユダヤ人を差別・迫害していた時には、ドイツ人になりすましてヒトラーユーゲント(ナチスのための少年団)に入るなどして、ユダヤ人であることを隠して生き延びることができた。男性のユダヤ人は割礼をしているため、発覚された場合は、すぐに身元検査でユダヤ人であることがばれてしまうため、ドイツ人になりすましたり、身を隠したりして生活することは女性のユダヤ人よりも非常に大変だった。
そしてペレル氏は戦後にイスラエルに移住して、ホロコースト時代の経験や記憶を語り継いできた。彼の著作「Ich war Hitlerjunge Salomon (私はヒトラーユーゲントだった)」を元にして、1990年には映画「Europa Europa」(邦題「ヨーロッパ・ヨーロッパ~僕を愛したふたつの国」)になった。その後もペレル氏はホロコーストの記憶や経験を語り継いできた。
▼映画「Europa Europa」(1990年)
冷戦終結直後、ユダヤ人解放45年の1990年に制作されたノンフィクション映画「Europa Europa」
第2次世界大戦時にナチスドイツが約600万人のユダヤ人やロマ、政治犯らを殺害した、いわゆるホロコースト。ホロコーストの生存者や当時の様子など実話に基づいていたり、ホロコーストをテーマにした映画やドラマは毎年欧米で制作されている。今でも欧米では多くの人に観られているテーマで、多くの賞にノミネートもされている。日本では馴染みのないテーマなので収益にならないことや、残虐なシーンも多いことから配信されない映画やドラマも多い。たしかに見ていて気持ちよいものではない。
ホロコースト映画は史実を元にしたドキュメンタリーやノンフィクションなども多い。実在の人物でユダヤ人を工場で雇って結果としてユダヤ人を救ったシンドラー氏の話を元に1994年に公開された『シンドラーのリスト』やユダヤ系ポーランド人のピアニスト、ウワディスワフ・シュピルマン氏の体験を元にして制作され2002年に公開された『戦場のピアニスト』などが有名だ。史実を元にした映画は欧米やイスラエルではホロコースト教育の授業で視聴されることも多い。ペレル氏の体験を元に作られた映画「Europa Europa」もノンフィクションである。ドキュメンタリーなのでホロコースト教育の教材にも活用されやすい。
映画「Europa Europa」は1990年という冷戦直後に制作された。冷戦時は旧ソ連の支配下だった東欧諸国ではホロコースト時代の歴史の史料や情報がほとんど開示されていなかった。冷戦が終わり、多くの情報が解禁されるようになってからロシアやポーランド、東欧諸国でのホロコースト時代の実態が明らかになっていった。1990年に公開された映画「Europa Europa」はその先駆けのような存在であった。特に1990年は戦後45年という節目の年で、ユダヤ人が解放されて45年ということで注目を集めた。映画の最後にはイスラエルに在住していたペレル氏本人も登場している。
一方で、フィクションで明らかに「作り話」といったホロコーストを題材にしたドラマや映画も多い。1997年に公開された『ライフ・イズ・ビューティフル』や2008年に公開された『縞模様のパジャマの少年』などはホロコースト時代の収容所が舞台になっているが、明らかにフィクションであることがわかり、実話ではない。
戦後75年が経ち、ホロコースト生存者らの高齢化が進み、記憶も体力も衰退しており、当時の様子や真実を伝えられる人は近い将来にゼロになる。ホロコースト生存者は現在、世界で約24万人いる。彼らは高齢にもかかわらず、ホロコーストの悲惨な歴史を伝えようと博物館や学校などで語り部として講演を行っている。当時の記憶や経験を後世に伝えようとしてホロコースト生存者らの証言を動画や3Dなどで記録して保存している、いわゆる記憶のデジタル化は積極的に進められている。デジタル化された証言や動画は欧米やイスラエルではホロコースト教育の教材としても活用されている。ホロコースト映画をクラスで視聴して議論やディベートなどを行ったり、レポートを書いている。そのためホロコースト映画の視聴には慣れている人も多く、成人になってからもホロコースト映画を観に行くという人も多い。またホロコースト時代の差別や迫害から懸命に生きようとするユダヤ人から生きる勇気をもらえるという理由でホロコースト映画をよく見るという大人も多い。
ペレル氏は戦後、ホロコースト時代の経験や記憶を語っていた。この映画が制作された1990年当時はまだ動画の録画やデジタル化は容易ではなかった。ビデオで撮影してテープで保存していたが、その頃からホロコーストの経験を語っていた。現在でこそ多くのホロコースト映画が毎年のように制作されており、ホロコースト教育ではそのような映画が使用されているが、1990年代はホロコースト映画もまだ多くなかったのでペレル氏の体験を元にした映画「Europa Europa」は多くの欧米の学校で視聴されていた。
世界中の多くの人にとってホロコーストは本や映画、ドラマの世界の出来事であり、当時の様子を再現してイメージ形成をしているのは映画やドラマである。その映画やドラマがノンフィクションかフィクションかに関係なく、人々は映像とストーリーの中からホロコーストの記憶を印象付けることになる。
▼ホロコースト時代の経験を語るソロモン・ペレル氏