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2016 ドラフト候補との対話/その1 寺島成輝[履正社高]

楊順行スポーツライター
雑誌『ホームラン』毎年恒例のドラフト号が発売になりました

●てらしま・なるき/投手/1998年7月30日生まれ/183cm85kg/左投左打/箕面ボーイズ時代に日本代表のエースとして世界一を達成。履正社高では1年夏からベンチ入りし、この夏初めての甲子園で3回戦に進出

○…! (名刺を渡しながら) きちんとイスから立ち上がり、両手で受け取ってくれるんですね。高校生では、なかなかできませんよ。そういえば囲み取材のときなども、寺島さんの受け答えは整然としていて、感心したものです。

寺島 テレビ中継などを見ていると、プロ野球選手はしっかり自分の言葉で話しています。自分も、そういう意識を持ったほうがいいかな、と。だから、ふだんから自分で考えるクセをつけるようにしています。親からも、いつも頭を働かせておけ、と言われていますし。

○…甲子園では高川学園、横浜と2試合に完投して、つごう自責点1。常総学院との3回戦は急きょ救援して敗れましたが、代表に選出されたU18アジア選手権が圧巻でした。エース格で2勝、計12回を無安打無失点、25三振と優勝に大貢献。

寺島 まあ、国によってはレベルの差がありましたから。それより、代表メンバーそれぞれの性格がわかったり、日常の姿勢などを聞いて刺激を受けたところはあります。なによりも気持ちが大切というのは、全員に共通していました。技術的には、各自がずば抜けたところがあります。堀(瑞輝・広島新庄)ならスライダーで、藤平(尚真・横浜)ならまっすぐでしょう。藤平とは、感覚的な話もしました。たとえば、リリースする瞬間は「なでる」イメージだそうです。ほかには「たたく」と表現するピッチャーもいた。僕の場合なら、まっすぐは「つぶす」ですね。

○…つぶす。

寺島 はい。僕が重視するのはボールの軸と回転です。ボールの回転軸がぶれると、シュート回転したり風の影響を受けたりして、球が生きてこない。だけどタテに軸ができると、ボールにきれいなタテ回転が伝わって、力を入れなくても打者の手元で伸びてくれる。そのときの自分の感覚が「つぶす」なんです。

たとえば、奪三振率で歴代トップ杉内(俊哉・巨人)さんの映像をスローで見ると、ボールの回転がきれいにまっすぐなんです。それが、ストレートのキレにつながっていると思う。もちろん杉内さんはチェンジアップもすごいんですが、まずはまっすぐ。だから自分でも、キャッチボールから回転を意識しますね。それはもう、リトルリーグの時代からでした。人差し指と中指を縫い目にまっすぐにかけ、最後につぶすイメージでボールを押すんです。

○…U18でも、打者を追い込むまでのストレートは130キロ中盤。それでも、回転がいいからボールが伸びている……。

寺島 はい。甲子園でもそうでしたが、2ストライクまでは全力じゃなくても、きれいなボールをコースに投げておき、追い込んでからギアを上げる。

リトルの本塁打記録は清宮に抜かれた(笑)

○…小学生時代は東京にいたんですね。

寺島 国分寺で、軟式野球をやっていました。斎藤佑樹さん(現日本ハム)の早稲田実が優勝した06年の夏、甲子園に応援に行き、すごいピッチャーだと思った記憶があります。本気で取り組んだのは大阪に引っ越し、茨木リトルに入った小学校4年からですね。全国大会には毎年のように出る強いチームで、僕はリトル時代に通算107ホームランという記録を作ったんです。

○…そういえば寺島さんは、U18でも登板しない試合ではDHとして出たり、打率3割超。打者としての才能も非凡なものがあります。

寺島 ただ、打つことに関してはあんまり大きなことはいいたくない。それほど練習をしているわけではないので、野手に対して失礼ですから……リトルのホームラン記録も、翌年には清宮幸太郎(現早稲田実)に抜かれましたし(笑)。

○…中学では箕面ボーイズに入り、中3で日本選抜メンバーに選ばれ、エースとして世界大会で優勝。

寺島 リトルは強いチームでしたが、箕面ボーイズは、さほど強くはなかったんです。それでも力を合わせて、なんとか全国大会に1回出られた経験は大きかったですね。個々の力は多少劣っても、強い相手に勝つことができることを実感しましたから。

履正社に進んだのは、1学年上にいい先輩がいましたし、家から通えるのが大きな理由です。入ってみると、予想以上に自主性を尊重する練習環境でした。やりたくなければやらなくていい、どこかが痛ければすぐに申し出ろ、しかし結果は自己責任だよ、というのが岡田(龍生)監督の方針で、また卒業後に社会人としても通用するような教育をしていただきました。

○…履正社では1年夏からベンチ入りし、その年夏の大阪大会では、全国制覇する大阪桐蔭に7回1失点。ただ2年夏、秋と敗れて、なかなか甲子園には手が届きませんでした。

寺島 だからこの夏の大阪大会は、重圧がありましたね。昨年の秋、阪南大に0対1で負けてセンバツどころか、近畿大会にも出場できなかったじゃないですか。あれは自分にとっても、チームにとっても、「こんなんじゃないはずや」と思わせるきっかけになったと思います。そこで最後の夏を勝ち抜いたから、甲子園では伸び伸びと楽しめました。もちろん優勝はしたかったんですが、負けたにしてもあんなに楽しく野球をやったのは初めて、というくらいでした。

○…甲子園では藤平、高橋昂也(花咲徳栄)と並んでビッグ3などと称されるようになりました。

寺島 アイツがライバル、というのは好きではないんです。もちろん、対戦したら負けたくないし、自分も多少の自信はあります。ただ、いいピッチャーは何人もいますし、それぞれいいところはあり、直接投げ合えば勝ったり負けたりもある。それよりも、まずは自分との勝負です。甲子園で「150キロを投げたい」といったのも、だれかとスピードを争うのではなく、自分に課した目標ですから。

プロ野球は、小学生のころからあこがれの世界です。ただU18の前、大学代表との壮行試合でレベルの違いを痛感しましたね。1イニングをゼロには抑えましたが、高校生なら空振りする球がファウルされ、手を出すはずの変化球は見切られる。大学生を相手にそう感じたんですから、プロの世界ではなおさらだと思います。でも、やってみなければわからない。制球と変化球のキレをもっと磨き、1年目から結果を出していきたいですね。

○…成輝という名前は、「成功して輝く」という意味だそうですね。期待しています。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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