1982年(37歳)
▼1月1日、『元旦早々タモリで最高!』(TBS)放送。ビートたけし、竹下景子、大空真弓らが共演。
▼1月2日、『今夜は最高!』で女性パートナーに吉永小百合を迎え正月スペシャル。男性ゲストは沢田研二。スケッチでは眠れる美女(吉永)と王子(タモリ)、吸血鬼(沢田)を演じた。翌週の男性ゲストは野坂昭如。どちらが吉永小百合をより好きかで競っていた。タモリは憧れの吉永小百合とデュエット。
▼1月、「BRUTUS」2月1日号で吉行淳之介と対談(『吉行淳之介エッセイ・コレクション4 トーク』[筑摩書房]に収録)、日本航空の機関誌「Winds」で深田祐介と対談(『男のホンネ』[三笠書房]に収録)。
▼1月21日、『タモリスペシャル 今夜ときめきスペース』(テレビ朝日)放送。
▼1月23日、映画『水のないプール』公開。若松孝二監督、内田裕也主演。タモリはカメラ店主役で出演。
▼1月30日、『今夜は最高!』のゲストにトニー谷が登場。その後タモリはヴォードヴィリアンを継ぐ存在と見込まれたからか、晩年のトニー谷にかわいがられていた。「あの人の晩年のほとんど仕事をしていなかった時期に、俺、可愛がってもらったの。それで、あの人と何回か会って言われたことは、『ボードビリアンってのは音楽だよ。音楽わかんないと、ボードビリアンはできない』って」。なお、タモリとトニー谷の類似性については小林信彦も『日本の喜劇人』の中で指摘している。ちなみにトニー谷は赤塚不二夫のマンガキャラ「イヤミ」のモデルでもある。
▼2月、ガブリエル・ウッシー(本名・内堀尚)著『ぼくはタモリの運転手』(ライフ社)刊行。序文はタモリ。
▼2月11日、『ミュージックフェア』(フジテレビ)出演。タモリはデューク・エイセスをコーラスに従えて歌い、トランペットを演奏。
▼2月12日、「GORO」3月25日号で糸井重里と対談(『話せばわかるか 糸井重里対談集』[飛鳥新社]に収録)。急速に世間から自分が受け入れられつつある状況に自ら「おかしいと思うよ」と語り、この頃から既に「国民のオモチャ」を自称している。
▼2月20日、『今夜は最高!』のゲストに、デタラメ外国語の元祖ともいえる藤村有弘。「デタラメ外国語の応酬がアドリブでできる人は初めて」と藤村に喜ばれる。ちなみにタモリの中国語芸のイントネーションは中国・海南島のそれに近いという。
▼3月、書籍『現代用語事典 ブリタモリ』(講談社)刊行。赤塚不二夫、加藤芳一、長谷邦夫との共著。
▼3月、「新潮45+」創刊号で井上ひさしと「吉里吉里語VSハナモゲラ語」対談。
▼3月、昭和56年度 第19回 「ゴールデン・アロー賞」芸能賞を受賞。
▼4月、書籍『タモリと賢女・美女・烈女』(世界文化社)刊行。黒柳徹子、吉永小百合、田辺聖子、吉田日出子、中村メイコら11人の女性との対談本。吉永小百合との対談では「タモリさんって、とってもイカしてる感じなんですよね」と褒められ「うわあー、駆け回ろうかな、オレ」と舞い上がっている。
▼4月3日放送分『今夜は最高!』第52回から、タモリ所属事務所の田辺エージェンシー・田邊昭知社長発案により半年間の休止。その前段として、田邊は髙平に「止めるわけじゃない。半年休むんだ。その間に、別のタレントが仕切るバラエティを半年やる。それでまたタモリに戻る。つまり、二人のタレントを看板にした二つのバラエティ番組を作り、最初は交互に、評判になれば、一度に週二本の強力なバラエティ番組が流れるわけだ」と説明、「番組を長生きさせるため」「タレントを大事にするため」と語っている。
▼4月8日、『夢のビッグスタジオ』(テレビ朝日)放送開始(~5月27日)。西田敏行とともに司会を担当。しかし低視聴率によるプロデューサーの交代に伴い、自ら申し出てわずか6回で降板。番組も8回で打ち切られた。
▼4月10日、『今夜は最高!』に代わり、桃井かおりメインの『日曜はダメ!!』がスタート。ディレクターはドラマ畑の吉野洋、構成は伊集院静ほか。しかし半年を持たず8月で打ち切られ、9月4日から『今夜は最高!』が再開。シーズン制のバラエティ番組の構想は失敗に終わる。
▼4月25日~7月28日、全国ツアー「ラジカルヒステリーツアー’82」開催。
▼5月29日、糸井重里司会の『YOU』(NHK教育)第8回に、山下洋輔とともにゲスト出演。
▼5月、「中央公論」(82年6月号)で筒井康隆と対談(『筒井康隆スピーキング 対談・インタヴュー集成』[出帆新社]に収録)。冒頭から「ベルグソンでも(テーマに)やりますか」とムチャぶりされるが、即座に「ベルグソンっていうのは結局、『バナナの皮理論』でしょう」と負けずに返している。
▼6月2日、『オールナイトニッポン』にLP「ビッグな気分で唄わせろ」のプロモーションでビートたけしがゲスト出演。たけしはアナウンサーに局部を押し付けスタジオ内がパニックに。
▼7月31日~8月1日、「第15回びわ湖バレイオールナイトジャズフェスティバル」(びわ湖バレイ:山麓特設野外ステージ)に参加。
▼8月21日、『24時間テレビ』(日本テレビ)で「最高一座“狂奏”旗揚げ公演」(日本青年館)を深夜に1時間中継。
▼「パーソナル」82年9月秋号で加賀美幸子と対談(『やわらか色の烈風』[筑摩書房]に収録)。加賀美は対談の中で共演した『テレビファソラシド』や一緒に行った首相官邸パーティでのタモリの様子を通じて「タモリさんて、テレビの内側からものを見ている人じゃなくて、外側からテレビをごらんになっていらっしゃる」と評している。
▼9月、面白グループによる書籍『野球のない夜は英語でひまつぶし いたずら英語教室』(ベストセラーズ)刊行。
▼9月5日、ラジオ『タモリと理恵の音楽専科』(文化放送)放送開始(~84年9月30日)。パートナーは中原理恵。
▼10月4日、『笑っていいとも!』(フジテレビ)放送開始。10年2月4日の『いいとも』によると、当日の新聞の番組面に「即興のエンターティナー、タモリが毎日、新しい笑いに挑戦する生バラエティショー」という広告が掲載される。一回目は、「『タモリの世界の料理』のフランス編。フランス人コックに扮したタモリがその腕前を見せる。アシスタントは斉藤ゆう子。『ふんいき劇場タモリ+1』の今日の相手は坂本あきら。ふたりのかけあいが見もの。ゲスト・桜田淳子」とあった。
タイトルの由来は諸説あるが、「ジャズマンは朝の予定が早いと嫌な顔をする。しかし中村誠一は『いいとも』と即答しており、このフレーズが採用されたという髙平哲郎説が有力。横澤によれば、番組のコンセプトは「何かをバカにする」というものだったという。横澤は「会議は短いほうがいい」と5時半には終わらせ、6時半頃から始まる芝居や映画を見に行くのが常。ディレクターには小劇場を積極的に勧めた。「ウキウキWATCHING」の作曲は伊藤銀次。「タモリといいとも青年隊が踊りながら歌うテーマ曲を書いてくれ」と横澤に依頼され、既にできあがっていた詞に、わずか20分で曲をつけた。当初は3カ月で終わると思ってタモリは渋々オファーを受けた。開始時のレギュラーは斉藤ゆう子・斉藤清六・村松利史・高田純次・桂文珍・松金よね子・田中康夫・井手ひろし(現・井手らっきょ)らで、『笑ってる場合ですよ!』の司会陣は起用されなかった。番組開始以来30年以上の長きにわたり、タモリ発案の企画はほとんどないという。
▼10月8日、『いいとも』テレフォンショッキングに和田アキ子が出演。当時、ゲストが歌手の場合、歌を歌うことになっていたが、歌詞が飛んでしまい号泣。なお、和田アキ子は同コーナー22回出演で最多記録。ちなみにテレフォンショッキング中のタモリとゲストが座るテーブルが長年にわたって端にあり、真ん中に移動した後、タモリが「なんであんな端にあったのか?」とよく言っているが、歌手が歌ったり、タモリやゲストが自由に暴れることができる「なんでもできるスペースを作りたい」という初代ディレクター・永峰明による発案だったという。
▼10月8日、『タモリ倶楽部』(テレビ朝日)放送開始。田邊昭知のコンセプトは「今のテレビはピシーッと隙間のない番組ばかり。だからこの番組だけは隙間だらけにしてくれ」。スポンサーも社長自ら探してきたという。「毎度おなじみ流浪の番組」というとおり、低予算でオールロケというスタイル。初期は中村れい子とのメロドラマ「愛のさざなみ」、窪田ひろ子による「夜の英会話」、“お尻評論家”山田五郎による「今週の五ッ星り」、久住昌之・滝本淳助の「東京トワイライトゾーン」、「怖いですねアワー」など各回でのコーナー企画も多かった。「Short Shorts」(The Royal Teens)に合わせて「お尻ギャル」(一部男性も)が下着姿でお尻を振るオープニングも有名。「お尻ギャル」はお尻のみのオーディションで選ばれている。
▼10月9日、タモリ主演の映画『キッドナップ・ブルース』公開。小学生の少女が隣の部屋の男と行方不明になり、その1年数カ月後、ふたりが自転車で全国を旅しているところを発見されたという実際の事件をヒントに、浅井愼平が企画・制作・監督・撮影を務めた作品。淀川長治はパンフレットで「タモリ氏と一度テレビでごいっしょしたことがあるが、それまではヤモリのかいぶつのよぅなねんえきてきグロ味を感じたこともあったのだが、さてごほんにんにお逢いするやまるで違った。スタヂオの出番20秒まえ、このひとがセットとライトの横で何やらうつろな目で立たれているプロフィルにわたしは思わずマンハッタンを感じたのであった。ブロードウェイ人種。くろおとのエンタテイナァー。」と語っている(原文ママ)。しかし「この映画はヒットすまい」と。
▼10月24日、『笑っていいとも!増刊号』(フジテレビ)放送開始。平日の昼間に放送した番組の総集編、さらに番外編や放送終了後のトークを放送するのは画期的だった。また、「編集長」という名目で編集者の嵐山光三郎を起用。文化的な側面を押し出しフジテレビの「軽チャー路線」を牽引した。
▼11月17日、坂本龍一が出演。JALのいわゆる「鶴丸マーク」の話題になり、坂本がジェスチャーでそれを表現しながら「あれは『世界に広げよう、友だちの輪』っていう意味なんだ」と語る。タモリが「それは知らなかった」と自分もジェスチャーをして「世界に広げよう、友だちの輪」と言うと、会場から「輪!」という声が一斉に起こった。ここから恒例の掛け合いが生まれる。
▼11月、「Studio Voice」Vol.84で「タモリのタベリとダベリ」と題したインタビュー。
▼12月4日、映画『E.T.』公開。“お涙頂戴”にハマってしまうことがあるというタモリ。「俺は世の中に対してスゴい偏見持って、対決心とかで世の中否定してるんだけど意外なところでコロって泣くことがあるんだよね」「俺がものすごく泣いたのは『E.T.』」
▼12月27日、『笑っていいとも!特大号』(フジテレビ)放送。曜日レギュラーが一堂に会す特別番組。以後、毎年末に放送されている。オープニングのタモリ牧師の挨拶(90年以降)、テレフォンショッキングダイジェスト、最後の「ものまね歌合戦」(89年以降)が恒例企画。
▼「スイングジャーナル」誌上の「日本ジャズメン人気投票」、男性ボーカル部門で1位。(84年まで3年連続で獲得)
▼高橋惠子・高橋伴明の結婚式の司会を務める。
▼「週刊TVガイド」20周年、象印マホービン、片岡物産「アストリアコーヒー」などのCMに出演。
(※戸部田誠:著『タモリ学』より)