小山豊 アーティストが魅了される津軽三味線奏者は、民謡の革新者 「原点の先に最先端がある」
様々なアーティストとコラボレーションを重ねる、津軽三味線小山流三代目・小山豊
津軽三味線小山流三代目・小山豊(おやま・ゆたか)。日本の伝統としての津軽三味線を確立、伝承しながら、北島三郎、伊藤多喜雄、松山千春、桑田佳祐、嵐、ナオト・インティライミ、ももいろクローバーZ、そして野村萬斎、野田秀樹など様々なジャンルのアーティスト達との共演やコラボレーションで注目を集める音楽家だ。さらにゲームやCM音楽のレコーディング、サウンドプロデュースなど、民謡を基に、しかしその「枠」に囚われることなく、様々な”セッション”を重ね、柔軟かつ新たな解釈で独自の音楽を創り出している。
8月12日に発売したメジャーデビューアルバム『obi』 には、小山がこれまで探求してきた”感覚”を、最高のミュージシャンと共に具現化させた、”浄化”と”共鳴”をテーマにしたまさにワールドミュージックといいたくなる12篇のグッドミュージックが詰まっている。なぜ今”浄化”と”共鳴”なのか、ロングインタビューで思いを語ってもらった。
「ここ数年、和楽器、民謡に注目が集まっている。だからこそ民謡の源流をきちんと知る必要がある」
「僕は祖父の代から三味線弾きで、民謡も身近にありました。そのルーツを探っていく中で、伊藤多喜雄さん(日本を代表する民謡歌手)から色々教えていただいて、知らなかったことがまだまだありました。今年は本来であればオリンピックイヤーで、ここ数年、国内外で民謡や和楽器を使った音楽もたくさん聴かれるようになって、でも飛び道具のように和楽器をちょっと入れ込めばOKみたいな風潮がすごく怖いんです。だから民謡の源流をちゃんと探っておきたいと思いました。諸説ありますが、民謡は民(たみ)から自然発生的に生まれているものなので、文献に残すということもしていないのですが、あくまでも、民の生活に密着しているということがすごく重要なんです」。
「若い頃は三味線から逃げていた。でも結局三味線、民謡が一番カッコイイとわかった」
まずは、せっかく国内外から民謡や和楽器への注目度が高まっている中、その本質を追求し、提示することが今やるべきこと――伝統を継承している音楽家としての思いと、改めて民謡というものの本質を語ってくれた。アルバム『obi』の根底に流れる大きなテーマでもある。小山は津軽三味線の一大流派の家に生まれ、家を継ぐ宿命にありながら、幼い頃は津軽三味線に拒絶反応があったという。
「10代の頃は三味線からどうにかして逃げようと思っていました。でも気づいたらそれしかなくて。それまでブラスバンドもやったし、バンドも組んで三味線からは距離を置いていました。でもそういう経験も全て三味線で表現するように自然となっていって。結局、その源流も含めて民謡が一番カッコイイってようやく気づいたんです。音楽って、人だと思っていて、その人から派生したすごくリアルな音が、民謡だと思うんです。かっこつけているわけではなくて、心に寄り添う歌や力が出る歌ってすごくストレートだし、歌う人によって伝わり方が違って当然で、だからこそかっこいい。だからだんだん音数も減ってくるというか、若い頃は“間(ま)”が怖いから、手数でかせいで音をいっぱい入れてきて。でもその“間”がすごくいい要素であることに気づきました」。
「これまでの、洋のフォーマットに和楽器を入れ込む手法とは真逆のアレンジをずっと追求してきた。その集大成であり、スタートラインでもあるアルバム『obi』」
アルバム『obi』の特設サイトには多くのアーティストや著名人からコメントが寄せられている。ナオト・インティライミは「小山豊MUSICには、日本の伝統とワールドミュージック感は常に両方感じてきたのだが、しかし、どの曲も、今までとは違うアプローチに聞こえる。(中略)小山氏の思いの言葉を読み、なるほどなーと。『今作の殆どのアレンジは和のフォーマットに洋楽器を入れ込むという真逆のアレンジ』。これだ!」と言っているように、小山の音作りが、これまでの和楽器を使ったサウンドとは一線を画すものということを感じることができる。
「日本の音楽で“拍”は歌から作るもので、呼吸をするために一拍吐いたり、訳のわからない節の長さになっていて、それを今までは西洋音楽的に修正していました。でもその真逆をやろうと思って、そのまま拍のズレを活かして、洋楽器の音をそこに乗せていくという手法を、ここ4年くらい、アレンジ/ギターの渥美幸裕さんと二人で、すごく練ってきました。『obi』はその集大成的な位置づけであって、ひとつルールが見えたというか、ここがスタートラインで、このフォーマットに乗せて色々アレンジを楽しめると思っています」。
「僕の作りたい民謡は日常に溶け込むようなもの。だからあまり三味線が前に出なくてもいい」
それぞれの楽器の音の“余韻”を最大限に使って、聴き手に想像する“余白”を与えている一枚だ。
「狙い通りです(笑)。とにかく余計なものは削ぎ落して、シンプルに“間”を楽しんでもらって、僕も三味線を弾きたいけど弾かないようにして。『時雨』という曲でも、三味線弾きのアルバムであんなに長いピアノソロはなかなかないと思います(笑)。津軽三味線というと、とにかく音がガンガン鳴っているということにすごく違和感があって。ひとつの作品の中で音楽として成立していれば、例え一音だけでもいいと思っています。この感覚は三味線を始めた頃からずっと感じていて。もちろん仕事としてとか、自分のバンドでも三味線が前面に立っているアルバムを出したこともありますし、いわゆる世間が求める津軽三味線像というのはわかっています。でも例えばそれを日常の中で、どのシーンで聴くんだろうって考えると、すごく違和感がありました。生活に密着していることが民謡の一番大切な部分だと思っているので、三味線がガンガン鳴っているのももちろん否定する訳ではないですが、僕の作りたい民謡は日常に溶け込むようなものです。だからあまり三味線が前に出なくてもいいと思っています」。
「津軽三味線界では僕のあだ名は“セッションの人”みたいです(笑)」
当然伝統楽器の演奏家の小山流三代目として、その発想に異を唱える声も聞こえてくるという。
「そういう声も時々耳に入ってくるので、気にしないとは言えないです。すごくい寂しい思いをしたこともあります。でも周りにいる方が励ましてくださって、特に尊敬している伊藤多喜雄さんは『大丈夫だから辛抱しなさい。あと2年でいいから辛抱しろ、我慢しろ。俺は30年かかったんだから』っていつも背中を押してくださいます。それが心の支えになっています。この世界ではいわゆる津軽三味線の今のスタイルとはまた違う人というか、噂ではあだ名が“セッションの人”らしくて(笑)」
「ライヴではミュージシャンと予定調和ではないセッションをとことん楽しむ」
ピーター・バラカンは小山の音楽について「ようやく日本の伝統音楽やそれに根付いた音楽が過去の『邦楽』の縛りから解放されつつあるようです」と語り、伝統音楽の間口を広げるべく奮闘している小山の音楽とその活動を、高く評価している。“セッションの人”――言い得て妙だし、素晴らしい音楽家だなと思ったのは、8月21日に渋谷・JZ Brat SOUND OF TOKYOで行われた、アルバムリリース記念ライヴだ。小山が林正樹(P)、大多和正樹(和太鼓)、小湊昭尚(尺八)、渥美幸裕(G)、天倉正敬(D、Tempest)、ゲストボーカル伊藤多喜雄、松田美緒という、このアルバムを一緒に作り上げた素晴らしいミュージシャン達とのセッションで、極上のグルーヴを生み出し、三味線をより魅力的に、民謡をより身近なものとして伝えていた。この日小山は常に笑顔で、「みんなが仕掛けくるんですよ。それが楽しくて」とミュージシャンとの掛け合い、駆け引き、セッションを心から楽しみ、それが音に表れ、感動を作りだしお客さんも心から楽しんでいた。
世界中の音楽を民謡と融合させ、自由自在に日本と世界を行き来するアルバム『obi』
『obi』は、様々な音楽を融合させ、自由自在に日本と世界を行き来し「とってもジャパニーズであり、ジャズでアフリカンであり、ジャマイカンであり、ハワイアンでありインドネイジャンでありラテン…」(ナオト・インティライミ)、そんな一枚だ。小山の豊かな発想とアイディアで民謡に違うベクトルから光を当て、その根底に流れる強さや弱さ、優しさ、泥臭さ、そして切なさをより引き出している。
「固定観念を持つのが怖いので、いつもとにかくフラットでいたい。1曲目の『送り囃子』は渥美(幸裕)さんに新たに作ってもらった民謡で、土着的な感じの中に、ちょっと雅な香りも入れたかった。テンペストのリズムで和製ダンスチューンになっています。『江差三下り』は江差追分の母歌といわれているルーツ的な民謡で、実際は地味な曲なんですけど、(伊藤)多喜雄さんの歌がたまらないですし、映画を観ているような世界観を感じていただけると思います」。
『江差三下り』はピアノとチェロと三味線という構成で、なんともいえないもの哀しさが漂い、そして伊藤多喜雄の唄は、まるでブルースのようで胸に迫ってくる。JZ Bratのライヴでも感じたが、小山が全幅の信頼を寄せるピアニスト・林正樹のピアノが、このアルバムの世界観をより豊かなものにしている。『竹田の子守歌』は一音目からそのピアノの音色に心をわしづかみにされ、静謐さを感じさせてくれながら、三味線が加わりグルーヴが生まれている。「だから僕は弾きたくないなって思って。三味線なんかいらないない、ピアノ一本で十分だと思いました。僕はジャズのアヴィシャイ・コーエン(ベーシスト)が大好きで、彼のような変拍子を入れて欲しいとリクエストをしました」。
「メロディが持つ美しさは普遍的であるということを表現した」という『ワイハ節』は、青森の新しい民謡で、どこか郷愁感を感じさせてくれる松田美緒の肌触りのいい声が印象的だ。そして3コーラス目はポルトガル語で歌い、これが曲にマッチして、心にスッと入ってくる。アメリカツアー中のサンタフェでできあがったという『COYOTE』は、ピアノ、トランペットやフィドル、尺八などが鳴り響く、セッション感漂う小山の代表曲のひとつでもあり、小山流の民謡だ。「ラテンやブルーグラスっぽい感じも入れて、乾いた広大な大地、そこで出会ったインディアンのおばあちゃんのオーラを表現しました。自分なりの民謡です。世界中の音楽に触れていく中で、色々なジャンルのミュージシャンと一緒に演奏すると、それぞれに“ミソ”みたいなものが必ずあって。それを勉強して、自分の引き出しにしています。全てそれを三味線で表現して、民謡に還元していきたいと思っています。先人たちがやってきた、残してきてくれた民謡の素晴らしい“節”は根っことして持っていて、それができないと、中村勘三郎さんの言葉を借りると“形無し”になってしまいます。型をちゃんと作ってからやりたいし、自分には型が全然なかったので、今まではできなかったということなんです」。
「『津軽サンテリア節』は、2つのかなりの土着的なものを掛け合わた結果、これまでにないダンス曲に。まさに原点の先に最先端があるということを具現化させたアレンジになっている」
『津軽サンテリア節』はまさに小山らしい発想と探求心から生まれた、これまで聴いたことがない、感じたことがない感覚の一曲だ。キューバで出会った、アフリカ・ナイジェリアの部族の儀式から伝わった、現地の儀式の音楽「サンテリア」と色々な民謡をミックスさせて、曲の前半では海の神様、後半では火の神様のことを唄っている。「2つのかなりの土着的なものを掛け合わせた結果、これまでにないダンス曲になって、まさに原点の先に最先端があるということを具現化させたアレンジになっています」。一転して『十三の砂山』は「小山流の譜面通り」の三味線と、ギター、ピアノの音が重なり、哀しみが全体を覆う感じがいい。「セッション的に一発録りした」という『道南口説節』は、やはり伊藤多喜雄の凛とした唄に引きつけられる。
「楽器の相性は関係ない。人と人が共鳴し合い、いい音楽が生まれる」
『時雨』は小山が大切にしているバラードで、前述したが林正樹とのピアノとのデュオで深く、切ない。ピアノと三味線の“相性”がこれほどまでにいいとは…そう思わせてくれる。「この曲も一発録りで、とにかくシンプルにしました。ピアノと三味線は合うと思っていたら、林さんは和楽器とピアノは音質的に合わないとおっしゃっていて(笑)。でも僕は人と人だと思っているので、楽器は関係ないと思っていて。とにかく人がいいというか、誠意があって、音楽と真摯に向き合っている人とやりたいだけなんです。(伊藤)多喜雄さんも『とにかく人だぞ、財産は金じゃねえぞ、人こそ財産だからな』っていつもおっしゃっています」。
津軽民謡の『弥三郎節』は、ダンスアレンジが施され、一聴すると“洋風”だが、和の素材でアレンジしている。「フランスに行く機会が多くて、よくフェスをやっているのですが、中世の街並みの中で、おじいちゃんおばあちゃんたちが、ワインを飲みながら踊っていて。それも7~8世紀の古楽器の楽曲で踊っていたりするんです。それを見た時に、『弥三郎節』もダンスチューンにして、例えばフランスの田舎町でこの曲で踊ってくれたら面白いだろうなって思いました」。
「絶対に入れたかった『椰子の実』。殺伐としている心を浄化させてアルバムを締めたかった」
伊藤多喜雄が唄う『相撲甚句』は、シンプルな演奏の中、歌が響き渡りこのアルバムを締めくくる。しかし本当のラストは「悩みましたが、絶対やりたかった『椰子の実』で、殺伐としている心を浄化させて終わりたいと思いました。とにかく攻めないと決めていたので、本当にスペースを空けて、余計なものは入れないようにしました。このレコーディングをしている時も、8回同じフレーズを繰り返す中で、大体ストーリーを作っていく上で4、5回目を盛り上げるのか、7、8回目を盛り上げるのかはミュージシャンの間合いなんですけど、やっていて、ここかなってグッと持っていこうとすると、ピアノの林さんが『違いますよ』という空気を出してくる。結局クライマックスを作らないまま終わったのですが、それが逆によかったです。『時雨』の時もそうでしたが、お互いの呼吸をたたかわせて演奏しているので、サビに向けて僕が気持ちも前向きに行ってるのに、林さんは全然違いますよってなるんです。盛り上がりが“来ない”というのも勉強になりましたね。あえていかないというか。そうすると逆に世界が広がるんです」。
「やっとスタートライン、ようやく自分の表現を世に放つタイミングが来た」
それが聴き手の想像力をくすぐるということにつながっているのだろうか。『obi』というタイトルには「世界中の国の音楽の要素をふんだんに取り入れて、それを日本の反物の帯で包んであげたいと思ったからです。帯は伸ばすと一本の反物になります。それを見ているとシルクロードや、世界中につながる道がイメージできました」という思いが込められている。「やっとスタートラインに立てたと思っていて、ようやく自分の表現を世に放つタイミングが来たという手応えを感じているので、もう次の構想を練っています」。
伝統を踏まえつつ「枠」を超え、民謡を進化させ、深く深化させることで、それが新しい「粋」となる。小山豊の感性がもたらす音楽の革新にはこれからも目が離せない。そしてその音楽に魂を揺さぶられ、耳から離れなくなるはずだ。