年明け早々のリバプールデビューはある? 南野拓実についてあえて考えてみる「ソン・フンミンとの比較論」
日本代表FWの南野拓実がリバプール(イングランド)への移籍を決めた。早ければ1月4日の FA カップの3回戦(対エバートン)でのデビューはあるだろうか。
過去の日本人の同リーグのビッグクラブ移籍と大きく違う点は、近年多く見られたアーセナルやマンチェスター・シティでの事例のように、移籍後すぐに他チーム(他リーグ)にレンタルに出されるわけではないということだ。
すると当然、こういう観点も出てくる。
「トッテナムのソン・フンミンとの比較」
世界最高峰のイングランド・プレミアリーグのビッククラブで、日韓の代表選手が同時期にプレーする時が来たのだ。
比較は関心を持ちうるひとつのポイントだろう。
ただ、まだまだこれが成立する段階ではないのも確かだ。まずをもってして、プレミアリーグですでに5年めに入り、ここまで146試合に出場、47ゴール26アシストを記録する27歳と、ここからデビューを控える24歳とでは、現時点では比較対象にはならない。
当事者としても、善意ある競争には関心こそあれ、ことさら「日韓対決」を煽ることはまだピンと来ない話だろう。
筆者はソン・フンミンに一度、「韓国代表での欧州組と国内組の融合」という話を聞こうとして、「同じ大韓民国の代表選手、何の違いがあるんですか?」と反論されたことがある。本人はこういった場外での比較論を好まないことは想像がつく。
また南野とて、2015年から19年まで在籍したザルツブルグで長い時間を共に時間を過ごした韓国代表選手ファン・ヒチャンという盟友がいる。「ともに下手くそ同士で話したから、ドイツ語が上達した。ドイツ語で冗談を言い合う仲になった」というくらいだからピリピリとした関係など望むところではないだろう。むしろ今冬にウルヴァーハンプトンへの移籍も囁かれるファンの契約が決まれば、南野とソンは現地でファンを通じて繋がっていくのではないか、とも想像がつく。
日韓比較論「欧州組の競争では韓国に”トップ”を握られてきた」
だからこそここで何を語るのかと言うと、「この比較で南野が勝ったとしたら、どういった意味を持つのか」という点。そして南野が勝つための考察ポイントの提示を少々。
まずは、前者から。筆者の専門分野たる日韓比較の観点からみて、この点は興味深い。
南野がソンを上回るインパクトを見せれば、
「欧州組のトップオブトップを韓国勢に握られる」という歴史が変わるのだ。
現在の両国欧州組の正確な選手数は把握しきれないが、主要リーグで活躍するおおよその数を両国メディアの資料から引用すると、こうなる。
日本:韓国=50:25
比率は変われど、おしなべて日本の方が多い時期が続いている。しかし、トップはあちらが握っている。
98年の中田英寿のペルージャ移籍、それに続くアン・ジョンファンの同クラブ移籍から活発化していった日韓プレーヤーの欧州進出。
まず、00-01シーズンのASローマ中田英寿のセリエA優勝は両国の欧州組の中でも圧倒的な実績となった。
しかしその後は韓国にトップの実績を譲っている。まずはパク・チソン。04-05シーズン、オランダのPSVで欧州チャンピオンズリーグベスト4入りを成し遂げた。続いて、05から12年まで在籍したマンチェスター・ユナイテッド(イングランド)での活躍はいうまでもない。プレミアリーグ優勝4回(2006-07, 2007-08, 2008-09, 2010-11)、リーグカップ3回(2005-06, 2008-09, 2009-10)、UEFAチャンピオンズリーグ1回(2007-08)、FIFAクラブワールドカップ1回(2008)など。
パクは2012年シーズンを最後に同国のQPRに移り、キャリアに幕を閉じていったが、すぐにこれを埋める存在が現れた。いうまでもない、2015年にトッテナムに加わったソン・フンミンだ。
ソンは昨シーズンの欧州チャンピオンズリーグで決勝に進出。大きなインパクトを残した。いまだに日本人プレーヤーはCLの場でファイナリストとなったことがない(1977年―78年の奥寺康彦氏=ケルンの準決勝が最高)。
背景のひとつは、日本の「分散型」にもあり!
「数は日本、トップは韓国」となる背景には両国の「欧州進出観の違い」も背景にある。
韓国では、欧州主要リーグのなかでもイングランド・プレミアリーグの地位が「圧倒的1強」だ。だから、最高峰の選手がここを目指す。このリーグのトップクラブで活躍すれば、欧州の舞台でも活躍できる可能性は高まる。
いっぽうで日本は、韓国と比べると「分散型」だ。スペイン、ドイツ、イタリアの人気も高い。
韓国は古くから新聞で速報性の高いサッカー記事を読む習慣があり、それほど「特集」のようなものは多く組まれてこなかった。いっぽう日本ではかつて、サッカー記事は新聞紙面に入り切らず、70年代からサッカー専門誌文化が発達した。この影響もあり、じっくりと80年代に隆盛を極めたドイツ、90年代のイタリアのリーグ文化を知った世代が存在する。当然、選手が欧州進出する際にもイメージを持ちやすい。
また、ブンデスリーガに関してはもともとの関心に加え、00年代から高原直泰、長谷部誠らの成功により太いパイプが出来上がっていった。
このリーグが2010年代前半に安定したリーグ運営などで復権した(12-13シーズンはCL決勝でバイエルン―ドルトムントの同国対決が実現)。
結果、「ドイツ組」のステイタスがぐっと上がり、「日本の欧州組全盛」と見える時代が来た。ドイツに関心をあまり払ってこなかった韓国の戦略に、日本が勝ったかにみえた。
しかしながら、トップオブトップは上記のように韓国が握り続けている。
こちらが何かに成功した、と思えばあちらも何か別の方法で別のことを仕掛けてくる。これは日韓のライバル対決の最大の興味ポイントでもある。
リバプールも認める南野は「10番寄り」。いっぽうソンは「9番寄り」。
少し背景の話が長くなった。「南野―ソン・フンミン論」に戻ろう。
「南野がすぐにリバプールで試合に出られるようになるのか」という点については、様々な見方がある。「既存のレギュラーの壁は厚い」「リバプールの戦術は特殊で、他の選手も適応に時間がかかっている」などの意見がある。また「クロップがドルトムント時代に香川真司と仕事もしているし、日本人選手への理解があるんじゃないか」という話にも説得力がある。
ひとつ、両者の比較で言えること。
それはやはり、「ゴールの数」が印象度を大きく変えるという話だ。
ソン、南野ともにプレー領域はほぼ「前線から2列めのすべて」といえるだろう。ソンのほうが「真ん中から左」のイメージが強いが、いずれにせよ両者ともに左右真ん中、いずれもこなす印象だ。
いっぽう両者には、体格差がある。
南野:174cm 68kg
ソン:183cm 78kg
これがつまり、両者のプレースタイルに違いを生んでいる。
つまり、南野はやや「10番寄り」であり、ソンは「9番寄り」なのだ。
南野のプレースタイルを表現する貴重な文章がある。これ、意外と今回の移籍であまり引用されなかった「一次資料」だ。リバプールの公式サイトは南野獲得のニュースを報じるにあたり、プレースタイルをこう評している。
前線のいずれのポジションでも、あるいはミッドフィールドの深い位置でも対応可能。軽快なアタッカーは、守備での察知能力、独創的なドリブル、鋭いパスでのゲームコントロールなどの能力を一貫して示してきた。
彼は”また”フィニッシャーでもある。ザルツブルグで64ゴールを挙げた。そのなかには、アンフィールドでの10月の戦いで4-3とリバプールを脅かした試合でのゴールも含まれる。
前半部分だけを見ても、「10番スタイル」の評価が知れる。
いっぽう、ソンはかつては「ウインガー」「左サイドからのカットイン」のイメージも強かった。その評価をぐっと上げてきたのは、ゴール数を増やしてからのことだ。トッテナム加入初年度の2015-16シーズンこそリーグ戦28試合で4ゴールに留まったが、次のシーズンから連続で14、12、12と二桁のゴールを記録している。ちなみに韓国代表での評価を大きく高めたのも、2017年の秋からそれまでの左サイドから2トップの一角にポジショを移し、ゴール数を増やしてからだ。
ソンのインパクトを上回るには、どうしても「ゴール数」という数値がついてまわるのではないか。あるいは南野は同じものは求めず新しいインパクトで、新しい評価を作っていくのか。「軽快」とも評される10番スタイルを変えていくのか、いかないのか。つまりは少し「9番」に近づけていくのか。両者の比較を見ていく観点の一つだ。
まずは南野はリバプールでのデビューを。すべてはそこから始まる。