岸田政権が推奨する「ジョブ型」雇用は定着するか?【梅崎修×倉重公太朗】(第3回)
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岸田文雄首相は、9月23日に、ニューヨーク証券取引所での講演で、「日本企業にジョブ型の職務給中心の給与体系への移行を促す指針を2023年春までに官民で策定する」と述べました。「年功序列的な職能給をジョブ型の職務給中心に見直す」ということですが、労働調査の専門家である梅崎先生はその発言をどうとらえているのでしょうか?
<ポイント>
・職能資格制度は「手抜き工事」がすごく多い
・人事の担当者が読むべき労働調査の本は?
・離れた場所でどうつながり、連帯していくか?
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■「ジョブ型」はこれから定着するのか?
倉重:これから日本の雇用社会はどういう方向に向かって行くべきでしょうか。岸田さんはジョブ型ということを言っていますけれども、多くの労働者が納得するような形だと、どういう方法が考えられますか。
梅崎:成果主義は失敗したように言われていますが、きちんとバージョンアップしていけば悪くないと思います。
倉重:富士通などもよく悪く言われますけれども、最初の混乱期が取り沙汰されるだけで、今はうまくいっているという話も聞きます。
梅崎:当初は成果主義がうまくいかなかったとしても、長期的に見ると人事制度としては徐々に整ってきたという見方もできますね。
倉重:成果主義というと欧米的な、特にアメリカのようなイメージになるかもしれません。前提とする雇用社会や法体系なども違います。日本的な成果主義というのはどうあるべきでしょうか。
梅崎:タスクというか「役割」「目標」はジョブよりも細かい、動態的な概念です。「タスク・役割ごと」に対する能力概念として「コンピテンシー」があります。ただ、コンテンピシーは測りにくし、合意がつくりにくい能力概念です。何とでも解釈できるので。私も昔に人事データを分析していましたけれども、成果主義をしたら査定の分布が縮まるなどいろいろな問題が起きました。でも、目的は悪くなかったのだから続ければよいし、実際のところ、今も続いていると思います。
倉重:役割給の定義もさまざまで、同じ会社でも人によって捉え方が違います。統一できないところが多いですからね。企業にとって、ジョブ型にして人事権をわざわざ捨てるというメリットはまずありません。
梅崎:典型的な職務給は、日経連が1964年に職務分析センターを立ち上げ、積極的に導入を推進していたものですね。これは、ブルーカラーを想定したものです。それをホワイトカラーに当てはめるのは難しいから1969年に『能力主義管理―その理論と実践』という報告書ができました。70年代以降は職能給の時代ですね。それで、うまくいかなかったから成果主義制度改革の中で「役割」などの新しい言葉ができていますが、今回の「職務給」というのはちょっと唐突でしたよね。
倉重:はやり言葉に飛びついたというふうにしか見えないです。多分どういう雇用社会にするかというイメージをあまり持っていないですよね。
梅崎:残念ながらまったくイメージが見えないですよね。人事の実態把握のコツは、「言葉と実態の関係」を読み解くことなのです。人事用語だけでも、実態だけでもダメです。昔やっていた成果主義をもっと強化させて、今後は成功させたいと思っていても、「成果主義2」という言葉は、映画じゃないので、もうキャッチコピーとして使えません。人事担当者があえて言葉を変えて、確信犯的に「ジョブ型」という用語を使っているのなら、この言葉を使って成果主義になるのではないかと思っています。でも、たぶん違いますよね。
倉重:多くの企業や人事の方などで、今はやりのジョブ型を議論をする時は、ほとんどのケースで「今の成果に見合っていない賃金をどう下げるか」という議論とセットになっています。それが目的だと正直うまくいかないと思います。
一方で、昔の昭和的な意味での「能力」は、ある意味年次が上がればついてくるという概念でした。今の新しい時代の「能力」は一体何なのかというのは、各社によって違うと思います。それをきちんと見つめ直して、給与をひも付ける努力を怠ってはいけないということになりますね。
梅崎:まとめていただくと、まさにそのとおりです。もっと差をつける議論を丁寧に語り合う必要があります。ジョブ型というのはショック療法的に使われる言葉です。短期的には降格させるために、ジョブ的な言葉が使われるけれども、抜てきのためのロジックとしては能力論とセットでないと無理ではないかと思います。
倉重:どのような雇用制度、賃金制度だって、毎年の人事考課をきちんとしなかったら何の意味もないですからね。「最近子どもが生まれたばかりだから評価をよくしておかないと」というケースが令和の現在でもありますからね。
梅崎:昔、私が、石田光男先生と一緒に楠田丘さんにオーラル・インタビューした時に、「手抜き工事の職能資格制度がすごく多い」とおっしゃっていました。彼は「職能資格制度をつくる時には職務調査をしなさい」と言っています。職務給の時には、職務分析・職務評価が必要です。似ていますね。職務分析・職務評価の前は、ストップウオッチでがちゃがちゃ数える方式でしたね。
楠田方式の場合、現場でベテランの人が「こいつは能力がある」と思う人のタスクをバーッと書き出して、その後で難易度の投票をします。「この仕事ができる人はすごい」という合意さえ取れればいいわけじゃないですか。それをきちんとやれと言っているのです。
楠田さんの言葉で言えば、職能資格制度はダイレクトに属人的な能力を測るようなものではなくてジョブとセットです。今の言葉で言うと、ジョブというよりもタスクに近いでしょうか。単純な原理ですけれども、「このタスクができる人はこの能力がある」としっかり決めないと、手抜き工事になる。
手抜き工事をしてしまうと、様々な配慮がなされて、タスク=能力と関係ないところで賃金が上昇してしまいます。成果主義というのは、能力主義管理の本質への回帰という話かもしれません。「より徹底させるにはどうしたらいいか?」が問われているのではないでしょうか。
倉重:必要な能力という意味での職能資格だったら今でも当てはまりますからね。あとは、同一労働、同一賃金の話が出てきてから職務分析をするケースも出てきました。正規と非正規、また正社員同士の比較をするところも増えてきています。今までよりも「ジョブとは、役割とは何だろう」というのが理解されやすい土壌にはなってきました。
自社で人事制度や賃金制度、評価制度をつくっていた企業人事の人にとっては、どういう方向に行くのかを決めないといけないということですね。そういう人にお勧めの調査はありますか?
梅崎:日経連の『能力主義管理―その理論と実践』や『新時代の「日本的経営」―挑戦すべき方向とその具体策』を読むと、同じテーマが繰り返されていることが確認できます。
倉重:40年前も全く同じ議論をしていますよね。
梅崎:全く同じ議論をしています。年功賃金という社会認識の構造をどう考えるかということです。この言葉は、批判的に使われるのですが、実態との関係を丁寧に見なければなりません。要するに、この年功賃金を批判して、最初は能率給、能力給から始まり、職務給、職能給に行き、成果給に行って、今はまた職務給に戻るという話をしているわけです。バージョン1の職務給もあったわけです。
倉重:明治や昭和初期など、そうですからね。
梅崎:「ずっと失敗し続けたから、次は再度決戦だ」と考えていると人事担当者は理解してもいいわけです。研究者と違って、人事担当者は、文脈を使いこなす必要があります。ただ、そのためには人事担当者の能力としては、言葉を使いこなす能力が重要なのです。
一方、そのようにメッセージの受け手が実態把握するためには、常に調査によって制度と言葉の関係がどう変わっていくのかを読み解いていかないといけません。
倉重:同じ「職務給」、「能力」という言葉でも時代により意味が違うということですね。
梅崎:その制度を見て、文脈的に意味を解釈する。語り手はどういう立ち位置なのかについて確認するのは、本当に難しい話です。例えば、能力主義の本を読んだら「年功を打破するために能力主義と書いてあるのに、今は能力主義が年功主義になって……」と、頭の中が混乱するわけです。論文の執筆時も「この時代の能力主義とはこういうことだ。その能力主義にはこの限界がある。」と考えているうちに、何を書いているのかわからなくなってきます。我々は、ピンポイントで「言葉と実態」の関係を整理する必要性はあると思います。
倉重:歴史は繰り返すというのを一回本で確認するのも面白いかもしれないですね。
梅崎:それはいいですね。楠木健先生の『逆・タイムマシン経営論』の人事版ですね。わんさか出てきそうです。歴史の本が読まれているのは、この繰り返しが理解できるからです。駄目なのは忘れることです。失敗したことも忘れ、もう一回、同じこととして考えて失敗しているのです。
倉重:「人事の皆さんは雇用システムの歴史を一回勉強しましょう」というのは、いい提言かもしれません。
梅崎:調査で現実の現場をよく知るということ、国際比較をすること、歴史を知ることは、基本的な手続きじゃないですか。調査史を学ぶことによって自分がどういう立ち位置で何をしているのかが分かると思います。
倉重:昔はもっと職場で暴動を起こす人がいて、それを収めるにはどうしたらいいか、ずっと考えてきたわけです。対人の問題を考えるという意味で、本質はそんなに変わっていないかもしれないですね。
■今、労働組合がすべきこと
倉重:ご著書の中には労働組合の話が結構出てきます。労働組合の組織率も年々下がっていますし、非正規もいろいろな理由があってうまくは取り込めていません。これからの労働組合はどういう組織であるべきでしょうか。
梅崎:「痛みを伴っても新しい制度を導入しよう」となった時に合意するシステムは絶対必要ですよね。1人で会社と交渉するよりも、取りあえず労働組合に入るほうがよいはずです。では、「人々はどう連帯するのか」「人々はどうやったら合意できるか」、私は一貫して関心があります。
倉重:本来は個別的な労使関係だし、一人ひとりがプロ野球選手のように交渉するのがあるべき姿なのかもしれませんが、なかなか多くのサラリーマンにとってイメージしづらいですよね。
梅崎:それがやれる人というのは限られてきています。
倉重:相当プロフェッショナルな方ですね。
組合の「春闘で一律何円ベアする」という交渉は、昔はよかったと思いますけれども、今は不公平に感じる人も多いわけです。組合によっては差のある要求をするところも出てきました。だんだん個別的組合も増えてくるのでしょうか。
梅崎:日本の企業別労働組合のお家芸というのは、企業内の人事評価のような人事実務に対して話し合うということです。労使協議で細かいことを人事担当と話し合うには、組合側の賃金・評価制度に精通した人がいなければできません。解雇反対や賃上げなどは専門知識が少なくてもできますが、企業内の抜てきに差をつける基準をつくるには、労使双方に専門家の助けが必要になってきます。
倉重:確かに組合側でどう育てるのかという問題がありますよね。
梅崎:今でも大企業だったら、組織率は高いです。正社員の人たちの話し合いのシステムとしては機能しているわけです。しかし、正社員の割合が縮小してきているのですから、職場という全体を見れば、連帯しにくい環境が生まれてきています。
倉重:と言いますと?
梅崎:単純に製造業の工場であれば、労働者が同じ場所にいるから連帯しやすいじゃないですか。サービス業で、店舗ごとに店長さんが1人しかいないと、労働者は孤立しやすいのです。時間と空間で離れた場所でどうつながるのか。普段合わない人がどうつながるかが課題になります。もちろんコロナの影響も強いですが、コロナ前からサービス化が進めば連帯しにくくなるという問題が出ていました。
倉重:分業制で個別的なタスクになると。
梅崎:連帯するコストが増えますね。2000年代前半ぐらいの、組合に入っていない人の調査結果を見てみると、組合に悪い印象を持っている人は少なかったのです。「組合は効果がある」「あったら入りたい」という人は今もいます。ただ、連帯コストがかかってしまう環境になってきている。だったら、コストを下げる仕組みをつくらなければいけません。
倉重:組合費を下げればいいという話だけではないですね。
梅崎:同じ組合内でも参加資格や費用を選択できる仕組みも考えられるかも。例えば飛行機に乗る時に、「この便だけ保険をつける」ということができますよね。組合費も一律ではなく、非正規と正規、加入期間で変えてもいいかもしれませんね。例えば「3カ月だけ加入します。その代わり保障はこうです」というふうにバリエーションを付けてあげるのは一つの手だと思います。
倉重:連帯コストが上がっている理由はコロナでしょうか。
梅崎:コロナの影響も大きいと思います。人間は離れているとつながりにくいですよね。コロナを機にオンラインだけでつながる人が増えましたね。
倉重:「労働組合も職場の飲み会が大事なんだ」と、組合の方がぼやいていました。大人数で飲むことで結束が強まるので、それはオンラインでは無理だと言っていました。
梅崎:ところで、私は、労働組合問題を考えたいですけれども、もう少し大きく考えてあらゆる集団の連帯の条件やコストを検討したいのです。
連帯の集団の凝集性と言っていいと思いますけれども、つながり度のすごく高い状態をつくるために効果的なのは、リアルで人と会うことです。飲み会は凝集性がある状況をつくるために活用されてきましたが、今社会が求めているのは、「あまり拘束していないけれども凝集性はそこそこある」ものなのです。
社会が求めているものを労働組合が本当は先駆けてやったら面白いです。これまで労働組合は対面の1対1のコミュニケーションが重視されていました。労働組合のリーダーは普通にコミュニケーション力の高い人が多いです。
倉重:世に出て行く人は立派な方が多いと思います。
梅崎:基本的に労働組合リーダーには、自分で手を挙げる人はほとんどいません。他薦で選んでいたら、とんでもない人になることはほぼないです(笑)。
ただ、対面のコミュニケーション力というのは、時間がかかる。これだけだと限界があります。例えば、僕のゼミには今学生が40人以上います。全員に「相談があったらいつでも来い」とまでは言えないわけです。さすがにそこまで来られるとなーと思います。
就活の悩みなどを、全部私に個別相談されると大変ですから、まずは、ゼミ生同士でも相談してほしい。自分がダイレクトに関与するのではなくて、メンバー間のコミュニケーションが生まれやすい環境をつくることが、私の役割でもあります。
倉重:それは企業の人事と労働者の構図に置き換えても全く同じ話です。全ての労働者がばらばらに人事に行くと処理し切れないということになりますね。
梅崎:「組合のリーダーがどうあるべきか」という話と「人事の人がどうあるべきか」というのは、ベースとなる発想はほとんど同じです。例えば、私はゼミではまちづくりのことを調査させています。まちも、集まりやすい場所をいかにつくるかが大切です。
例えば、『喫茶ランドリー』※さんはご存じですが、ものすごくうまく計画されています。入りやすいし、多様な人が集まる場所、そして会話が生まれたり、挨拶したりが生まれやすいデザインに設計されているのです。私も勉強になりました。
※「喫茶ランドリー」HPより引用
洗濯機・乾燥機やミシン・アイロンを備えた「まちの家事室」付きの喫茶店で、コンセプトは「どんなひとにも自由なくつろぎ」。まちに暮らすあまねく人々に来ていただきける「私設公民館」のような場所になれば、という想いのもとにつくられたものです。運営するオーナー、働く人々、そして、利用される地域の皆さんによって、常に変わり続けていくように、ハード・ソフト・コミュニケーションが、ユニークにデザインされています。
https://kissalaundry.com/
突然ですが、その意味では、おしゃれな店って危険ですよね。私のようなおしゃれじゃない人は入りにくいですから(笑)。地域のコミュニティカフェも、意識高い系の人ばかりワッと集まって盛り上がると、「俺はちょっと嫌だな」と敬遠されることがあります。「適当なゆるさ」を演出することで多様な人材が入ってくるのです。
地域を例にあげましたが、組合事務所も考え方は同じでしょう。できるだけ人の出入りを自由にしつつ、多様で、なおかつ結束力を維持するコミュニティをつくればいいと思います。
組合を変えることは集団・組織を変えること、集団・組織を変える方法が地域も企業も変えますよという言い方はカッコイイです。
倉重:それはかなり変わりそうですよね。
梅崎:潜在的な可能性としてはすごく大きいです。そもそも組合専従者の経験はいいですよね。抜てきがない大企業で、そのままキャリアを形成するよりも、組合役員に手を挙げるほうが大きな組織をマネジメントできるのです。30歳ぐらいで執行委員になれば、会社でも結構大きいことができるわけです。
倉重:そういう人は、組合を辞めた後にも重要なポストについて活躍したという話を聞きますね。
梅崎:東北の震災があった後、「つながり」という言葉がキーワードになりました。だから連帯というのはつながりと言ってもいいと思うのですが、今、第2バージョンとして、「離れていてもつながる」ことが今求められています。それで組合問題どころか、日本の問題まで解決するかもしれません。
倉重:先ほどのゼミ生の議論に置き換えてみると、やはりオンラインだけで会ったことのない人だったら、つながりも生まれないと思います。何回か会って飲んだことがあるとなったら全然動き方が変わってきますよね。
梅崎:うちのゼミのキャッチコピーは、「キャリアデザイン学部で一番歩くゼミ」です。「勉強よりも先に、歩いてください」と言っています(笑)。それでフィールド調査をさせるのです。
今年の3月には、3年生たちと、東武東上線の沿線調査をしました。まず、大山駅で下町を見て、上福岡駅では郊外団地を見て、最終的に終点の自然豊かな小川町で歩きました。各駅で降りて約2時間ずつフィールドワークしたので、移動時間抜きでも計6時間かかりますね。ゼミ生たちは歩いているので、基本的には手足を縛れますよね。つまり、携帯電話に逃げられなくなるので、一緒に話すしかありません。
とことん歩きながら話していると、偶然、小川町で日本酒・蔵元の店が見つかるわけです。「俺が買ってやるよ」と言って、さらに歩いて行くと今度は地ビールの店があります。「全部セットで買ってやる」と言って、どこか飲めるかなーと探していたら。河原があります。みんなで飲みました。
倉重:青春ですね。
梅崎:青春調査です。もちろん、最初から計算していたわけですが(笑)。自然とそうなるように、素晴らしいデートコースのようなものを設定していますよ、私は。単純に「飲み会やるから集まれ」と言っても、お酒を飲む学生ばかりが集まりまして。コロナで大人数では集まれないし、かつて集まった時にも、ところどころでスマホをいじりはじめます。
倉重:歩いたら喉も乾くし、取りあえず飲むだろうと。
梅崎:そうです、そうです。そんなことを繰り返しているうちに一体感のようなものが出てきます。それがコミュニケーションデザインなのです。人はコミュニケーションを半意識、半無意識でしていますね。本当にコミュニケーションデザイン力がある人は、この半無意識を読み込める人じゃないでしょうか。半意識をどうコントロールするかという話になってきます。
倉重:今の話のようなコミュニケーションの設計は、組合活動や企業の研修などでも考えるべきことですね。
梅崎:コミュニケーションの環境としても、コロナ前には戻らないわけです。スマホによってコミュニケションの空間にぼこぼことスマホによる穴が開いている状態です。これからどうやって豊かなコミュニケーションを生みだしていくのか。今のうちからいろいろ実験をしておいて、コロナ後にその新しい実践を「はい、スタートダッシュ」となるわけです。
倉重:時代に合わせた変革を準備をしている企業とそうでないところで、だいぶ差がつきそうですね。
梅崎:いろいろ実験して失敗しながらも面白い集まりをつくっている人もいれば、のんびりしていて「おまえ、この2年間何をやっていたんだ?」という会社もいますよね。
倉重:本当ですね。うちの事務所は法律事務所にしては珍しくテレワークを今でも続けていますけれども、オンラインだけだと厳しいので、できる限りリアルでラーメン二郎を一緒に食べるようにしています。
梅崎:いいですね。二郎体験。会社にとっても、組合にとっても共通体験は大切です。記憶が共有されると組織の「コミュニケーション資産」になりますよ。
(つづく)
対談協力:梅崎 修(うめざき おさむ)氏(法政大学キャリアデザイン学部教授)
1970年生まれ。大阪大学大学院経済学研究科博士課程修了(経済学博士)。2002年から法政大学キャリアデザイン学部に在職。約25年間、数々の人材マネジメントと職業キャリア形成の調査・研究を行う。リクルートワークス研究所の機関誌『Works』では、人事担当者向けの対談記事『人事のアカデミア』を担当。また、マンガや映画といった文化的コンテンツを使った新しいキャリア論を一般読者に向けて発信し続けている。主な著作として『仕事マンガ!-52作品から学ぶキャリアデザイン』(ナカニシヤ出版)、共著『「仕事映画」に学ぶキャリアデザイン』(有斐閣)単著『日本のキャリア形成と労使関係―調査の労働経済学』(慶應義塾大学出版会)。