渡部建会見が示す“会見の主役”とは?
お笑いコンビ「アンジャッシュ」の渡部建さんの会見、いろいろな余波が生まれてもいます。
その中の一つが、取材陣への批判です。
この構図が生まれた根本的な理由。それは「なぜ、この会見を、今開いたのか」という“1ページ目の1行目”みたいな質問に渡部さんがきちんと答えられなかったからだと僕は考えています。
12月3日、渡部さんの会見直後にアップしたAERA.dot拙連載「渡部建が会見で示せなかった復活への『カギ』」でも綴りましたが、そこに答えない限り、話が前に進まない。
だから、堂々巡りになるし、同じ質問を重ねざるを得ないし、聞く側にある種のフラストレーションがたまっていったんだと思います。
僕は1999年4月にデイリースポーツに入社して芸能担当になりました。8年ほど前にデイリーは退社しましたが、引き続き取材と執筆にあたり、今で21年8カ月ほど芸能記者をしています。
記者という仕事のやり方は十人十色です。さらに、芸能リポーターの方々、テレビ番組のディレクターさん。それぞれのお仕事のやり方や、それぞれが是とすることまで考えを及ばせるならば、スーパー十人十色です。
ざっくりした例えに置き換えると、一口に「ラーメン屋さん」と言っても、お店ごとに何を大事にしているかも違うし、求めているものも違うし、味も違います。
大きな会見になればなるほど、いろいろな「ラーメン屋さん」が集まります。「美味しいラーメンを出したい」「熱いラーメンはアツアツのうちに」といった共通する思いもあるのでしょうが、やり方や考えはお店によって変わります。
この21年8カ月で、少なく見積もっても、数千回は会見に行きました。
これから綴るのは、僕という「ラーメン屋さん」の“経営方針”ですが、一つ強く断言したいことがあります。
会見での主役は、会見している当事者の言葉です。
今回の渡部建さんの会見からも、それを強く再認識しました。
僕ら記者や、芸能レポーターの方々、会見のスタイルによってはテレビのディレクターさんらはそれを引き出すためにそこにいる。それが会見における僕らの存在意義です。
会見の当事者に何があったのか。何を思っているのか。もう少し言えば、その言葉は本当なのか。まだ出ていないことはないのか。それを引き出して皆さんに届ける。
会見という舞台において、取材陣も出演者の一人である。そういう考えもあるでしょうが、僕は、あくまでも黒子だと考えています。
横に歌舞伎役者さんがいるのに、黒子が頭巾を取って見得を切る。少なくとも、僕は客としてそんな場面は見たくない。そして、自分が出席してきた会見でそれをやったこともなければ、やろうと思ったことも一回もありません。
会見から離れますが、Yahoo!拙連載では年間100組以上にインタビューをしていますが、原稿を書く時にこだわっている部分があります。
それは“文中にこちらの質問を書かない”ということです。例えば、
―今回のアルバムに込めた思いは?
「そうですね。今回はコロナ禍で味わった葛藤でした」
でいうところの
―今回のアルバムに込めた思いは?
を書かないということです。
全て、インタビュー対象の一人しゃべりという形にしています。記事に載っているのは、本人の言葉だけ。
重ねて綴りますが、それぞれの「ラーメン屋さん」が考える正解があります。
違いは認めればよい。そこから学ぶものがあるならば、学べばいい。違うことは善でも悪でもない。ただ“違う”という事実があるだけ。そんな風にも思います。
ただ、事実として、僕は今日までYahoo!拙連載で質問を書いてませんし、質問を書く予定もありません。
僕は、今日もそうやって、自分が美味しいと思うラーメンを作り続けています。