AK-47設計者カラシニコフ氏の像にナチス・ドイツの銃が彫られていた騒動
ソ連・ロシアの著名な銃器設計者で、高い信頼性から第二次大戦後の様々な戦争で使われている自動小銃AK-47を設計した、ミハイル・カラシニコフ氏(1919〜2013)の像がモスクワ市内に設置され、除幕式が開かれました。
第二次大戦でカラシニコフ氏は、1941年に戦車長として従軍中に負傷し、他の負傷者と共にトラックで後送されました。その途中、ドイツ軍に占領されたと思しき村にカラシニコフ氏は同僚2人で偵察に出てトラックに戻ってくると、ドイツ軍の連発可能な自動銃によってトラックに残っていた全員が射殺されていました。この経験で「こちらに自動銃があれば」と思ったカラシニコフ氏は、自動銃の開発を始めたと言われています。
このようにナチス・ドイツに対抗することを動機としたカラシニコフ氏の自動銃開発でしたが、今回設置された像には重大な問題がありました。
よりにもよって、カラシニコフ氏の像にナチス・ドイツの突撃銃StG44(MP43、MP44とも呼ばれました)が彫られていたことが発覚しました。これにより、急遽StG44のある部分は削られることになります。
StG44は現在の自動小銃のルーツ的な存在で、後発で影響を受けていると思われるAK47と外見的に似ている点も多く、彫刻家がAK47と間違えて彫ってしまったものと思われます。
モスクワ市内にあるカラシニコフ像を確認したところ、問題のStG44が彫られていた箇所は、カラシニコフ氏の像そのものではなく、その背後にあるモニュメントの中のレリーフでした。
そこはグラインダーで削り取られていて、周囲には大量の削りカスが残っていました。
ナチス・ドイツへの対抗心からAK-47を生んだカラシニコフ氏でしたが、まさか死後に自分の作品としてナチス・ドイツの銃と共に銅像にされるとは思いもよらなかったかもしれません。