音楽に国境はない 国籍を理由に英音楽賞受賞の夢を断たれた歌手リナ・サワヤマさんが訴えたかったこと
国籍条項の壁
[ロンドン発]駐在員家族として4歳の時にイギリスに移住した新進気鋭のシンガーソングライター、リナ・サワヤマさん(29)がイギリスとアイルランドで毎年最も優れたアルバムに贈られる「マーキュリー賞」の最終候補の12組に選ばれなかったことが大きな波紋を広げています。
リナさんのアルバム『SAWAYAMA』はビッグスター、エルトン・ジョンが「今までのところ1年で最も有力な1枚」と一押しし、英メディアの平均レビューで8.9の高評価を獲得する大本命でした。そのアルバムに収録されている曲がユーチューブで公開されています。
しかし「マーキュリー賞」や「ブリットアワード」といったイギリスを代表する音楽賞には英レコード産業協会(BPI)が国籍条項を設けています。日本国籍を保有するイギリス永住者のリナさんは英国籍ではないため、所属するレコード会社はBPIに問い合わせた結果、申請を見送りました。
「マーキュリー賞」のバンド部門はメンバーの半数以上がイギリス在住で、30%が英国籍かアイルランド国籍であれば受賞できます。英国籍さえ持っていれば実際にはアメリカに居住していても受賞が認められたケースがあります。
他の英作曲家賞は直近の1年間イギリスに住んでいたことを証明できれば受賞資格を満たします。
「少なくとも祝福される資格はある」
「マーキュリー賞」の受賞を目標にしていたリナさんは米ヴァイス・メディアの独占インタビューにこう答えています。
「本当に胸が痛みました。人生の全てをここで過ごしました。少なくとも祝福される資格があると思う方法でイギリスに貢献してきたと感じていました」
一方、BPIのジェンナーロ・カスタルド広報部長は筆者の取材に「ブリットアワードも現代マーキュリー賞も可能な限り、包摂的であることを目指しています。選考過程や受賞資格は定期的に見直されます」とだけ話しました。
BPIが意図的に国籍条項を設けて外国籍のアーティストを排除したというより、イギリスは二重国籍を認めているため、これまであまり問題にならなかったようです。しかし日本が二重国籍を認めていないため、リナさんは日英の国籍の谷間に落ち込んでしまいました。
ケンブリッジ大学で経験したいじめ
リナさんのお母さん、澤山乃莉子さんからお話をうかがいました。リナさんは新潟生まれです。
リナさんがイギリスに来てから人種的な偏見や差別に一度もあったことがなかったと言えばウソになります。しかし多様な多文化社会に受け入れられ、チャンスを与えられてきたからこそ今があります。BPIからもこれまで音楽輸出成長スキームの支援金を受け取るなど、「制度上イギリスには本当に数多くのサポートをしてもらいました」と澤山さんは言います。
「この国の懐の深さに感謝しながら母子2人で生きてきました。だからこそ娘はイギリスに貢献したいという気持ちも強く持っていると思います」
イギリスには10歳になるとトップ5%の才能を育成するプログラムがあり、音楽一家に生まれたリナさんはダンスの特待生に選ばれました。歌が大好きなリナさんは2歳半の頃には20曲のレパートリーを持ち、高校、大学時代はバンドのボーカルとして活動していました。
ケンブリッジ大学では保守的な学生からひどいいじめや嫌がらせを経験しました。そんな時、大学からのサポート、そしてLGBTの友人たちに助けられました。大学を卒業してからプロの歌手として活動を始めましたが、全く食えず、店員のアルバイトやモデルをして何とか暮らしていました。
若いクリエイターたちとのコラボを重ね、3年ぐらいかけて1枚目のアルバムを制作しました。作詞作曲のみならず、プロデュース、演出、衣装も手掛けた自作アルバムは英米のメディアでその独創性が高く評価され、10カ所全てを満席にする英米ツアーも行いました。
「英音楽賞に十分なほどブリティッシュではない」
そして本格的なデビューアルバム『SAWAYAMA』を発表したのです。ヴァイス・メディアの報道を皮切りに、マーキュリー賞のスポンサーでもある英BBC放送はじめ、ガーディアン紙、インディペンデント紙など20以上のメディアがこの問題を取り上げました。
「#SawayamaIsBritish(サワヤマはブリティッシュ)」のハッシュタグがイギリスのトレンド1位となり、国籍条項の撤廃を求める署名活動など、リナさんへの支援の輪が広がりました。
リナさんはこうした報道を受け、「人生の大半の25年間をイギリスで暮らしているのに、マーキュリー賞とブリットアワードというイギリス最大の2つの英音楽賞に十分なほどブリティッシュではない。私は他の人と同じように夢を見たいだけなのに」とツイート。
エルトン・ジョンはマーキュリー賞の最終候補12組が発表された後、インスタグラムで選考の対象にもならなかった『SAWAYAMA』をあえて「自分が好きな2020年の2つのアルバム」の一つに推しました。エルトン・ジョンこそブリティッシュを体現するアーティストです。
澤山さんはこう話します。
「イギリスでは音楽、アート、映画産業は海外からの投資や人材が集まる重要な産業であり、その分野の多くの賞はイギリスで活動する外国人に対して基本的に寛容です。クラシック音楽、デザイン、建築、映画界などでは国籍による規制を課す賞は見当たりません」
「この寛容性が世界中からの才能を集め、産業に貢献し、それらが国のいわば基幹産業ともいえるクリエイティブ産業を支えています。2012年のロンドンオリンピックを契機に、イギリスはクリエイティブ産業を基幹産業に据えるという明快な方針転換を行いました」
「ブリティッシュとは国籍という意味の他に、イギリスをベースに活動する企業や個人を称する意味でも使われます。娘は日本人である誇りを持ち、ブリティッシュ・アーティストとして活動する道を選びました」
「今回声を上げてくれた数多くのメディアや人々が、娘をブリティッシュ・アーティストとしてサポートしてくれる懐の深さに、心から感謝しています」
「リナも“すぐに何かが変わるとは思わない。このことがきっかけで、イギリスに貢献する多くのアーティストたちに門戸が開くきっかけになれば”と話しています」
イギリスでも欧州連合(EU)離脱をきっかけに、イングリッシュ・ナショナリズムが強まっています。さらに米白人警官の黒人暴行死事件に端を発した差別撤廃運動「Black Lives Matter(黒人の命は大切だ)」でイギリスでも目には見えにくい白人中心主義の見直しがあらゆる分野で広がっています。
おそらくイギリス発の音楽を育てたいBPIは、国籍条項を見直す方向で動くように筆者は思います。
在英25年のリナさんのアルバムが国籍条項を理由に選考対象にもならなかった今回の一件はイギリスの多様性と寛容だけではなく、日本が二重国籍を認めていない現状も改めて問い直しているように感じました。
(おわり)