哀愁のランダエダ。「田口は亀田より技術は下」。
倒れても倒れても起き上がってきた。
計5度のダウン。その度に会場からは、挑戦者の健闘を讃える拍手が沸き起きた……。
4月27日、大田区総合体育館。
トリプルタイトルマッチの先陣を斬って行われたWBA世界ライトフライ級王者、田口良一(29歳、ワタナベ)と、同級7位で元WBA世界ミニマム級暫定王者、ファン・ランダエダ(37歳、ベネズエラ)のタイトル戦は、田口が計5度のダウンを奪う、一方的な内容で、11回終了時点で、ランダエダが棄権。田口がTKO勝利で3度目の防衛に成功し、ランダエダは37戦目にして初のKO負けを喫した。
あのランダエダは、37歳になっていた。一度は引退したが、5年前に再起。日本のジムに籍を移して、昔の名前で現役を続行していたロートルである。それが、なぜかWBAの世界ランキングに再度入り、なぜか田口の挑戦者に指名された。
ランダエダの動きは軽快だった。柔軟に上半身をスウェー、ダッキングで動かす、打たせない技術は、天下一品。パンチが軽く、まったく怖さはないが、サウスポースタイルから、田口の攻めをアッパーや左のブローで止めながら絶妙に空回りさせていく。
「1回にレバーブローをもらった。そのダメージがずっと響いた」
9回に、そのレバーブロー攻撃を再度、集中されて、2度のダウン。10回には、右ストレートでダウン。11回には、またボディ攻撃から連打を浴びて、2度、膝をついたが、いずれも倒されたのではなく、自ら危険を察知して膝をついたダウン。田口へ向けて送られていた声援は、そのうちタメ息にかわり、ついには、ダウンしてもダウンしても立ち上がってくるランダエダへの拍手にかわった。
「もう、あれだけポイントを取られていると、逆転するには、最終ラウンドでのKOしかなかったが、私にはKOするパンチは残っていなかった。私の方からトレーナーに棄権を申し入れた」
キャンバスに寝転ぶような真似をして、さらしものにならないことでランダエダは元チャンプの尊厳を守った。
目を腫らしホオをカットしていた。
もう10年前である。2006年に、亀田興毅とWBA世界ライトフライ級王座決定戦で対戦、ダウンを奪いながらも、判定で敗れたため、その試合は、「疑惑の判定」と呼ばれ、ランダエダは、一躍、日本で有名人となった。厳密に言えば、ダウンを奪っても、採点で逆転されることはよくあることだが、亀田ブームで初めてボクシングを見る“一般大衆”に、その決着はわかりにくかったのである。再戦では亀田に試合を最初から最後までコントロールされて完敗。その後も世界挑戦のチャンスをもらうが、二度とベルトを腰に巻くことはなかった。
試合後、ランダエダに田口と、今は引退した亀田との比較をお願いした。
「亀田のほうがテクニックは上だ」
ーー田口が上なのは?
「田口のほうが上回っているのは、コンディションとスタミナかな」
ーーパンチ力は?
「パンチ力は亀田も田口も同じようなものだった」
今後の進退について尋ねると、ランダエダは、「まずはベネズエラに帰りたい」と言った。
実は、息子さんが、心臓の手術を受けたが、試合前なのでベネズエラに帰ることはしなかった。その容態が心配でならないという。
「息子を勇気づけるためにベルトを持って帰りたかったんだ」。
いかんせん、もうチャンピオンの資格を得るには、年月が経ちすぎてしまっていた。
「現役を続けるのか、トレーナーか、ボクシングの審判か……まだ将来のことは決められない」
ランダエダと選手契約をしている金沢のカシミジムの樫見会長は「現役続行は、本人次第だが、彼が持っているボクシングの知識は相当なもの。日本人のトレーナーでは教えることのできない技術を持っているので、うちでトレーナーとして再出発してもらってもいい」と言う。
あのロベルト・デュランも、晩年、金のため、せり出した腹を揺らして、リングに上がり続けた。
ランダエダは、遠いアジアの地で、何のため、誰にためにリングへ上がったのか。このマッチメイクを聞いたとき、言いようのない寂寥感と腹立たしさに包まれたが、5度ダウンしながらも、最後まで立ち上がった、その姿に彼のメッセージが聞こえたような気がした。
小さくともプライドを捨てずに生きることとは、こういうことよ、と。
会場を出ると、春の終わりを告げるような生暖かい雨がポツポツと降っていた。
37歳。嗚呼、哀愁のランダエダ。