あの朴智星(パク・チソン)は今、どこで何をしているのか
パク・チソンのことを覚えているだろうか。Jリーグの京都サンガでプロデビューし、オランダのPSVアイントホーフェン、イングランドのマンチェスター・ユナイテッドなどでも活躍した韓国サッカー界の“生きる伝説”だ。
韓国メディアが3月7日に報じたところによると、そんな彼がこのたび、FIFAマスターコースに入学するという。FIFAマスターコースとは、FIFA(国際サッカー連盟)が運営するスポーツ学に関する大学院のことで、組織論や法律などサッカー全体をマネージメントするための知識を学ぶ。日本ではあの宮本恒靖氏が修了したことでも有名だ。パク・チソンがいよいよ本格的なサッカー人生の第2幕をスタートさせるわけだ。
そもそも2014年5月に現役引退を発表したパク・チソンの去就は注目の的でもあった。一度パク・チソン本人に直接、引退後の生活について聞いたことがあったが、「監督やコーチといった指導者には興味がない」と言っていた。サッカー解説者などについても、「解説すれば後輩たちの小言を言わなければならなくなるから、やりたくない」と、彼らしい答えが返ってきた。引退後、サッカー解説者としてタレント化に成功しているアン・ジョンファンとは対照的ですらあった。
(参考記事:「目指すは“韓国の松木安太郎”!? タレント転身遂げたアン・ジョンファン」)
では、引退後のパク・チソンは何をしていたのか。
まず、引退会見の2ヶ月後に結婚した。相手はテレビ局SBSでサッカー番組のMCを務めていた女子アナウンサーのキム・ミンジさんだ。日本同様に韓国でも女子アナの人気が高いが、パク・チソンも女子アナと恋に落ち、めでたくゴールインしたわけだ。ちなみにふたりは現在、イギリス・ロンドンで暮らしており、昨年11月に女の子を授かっている。
(参考記事:「人気スポーツ選手も思わず恋に落ちてしまう韓国女子アナ事情」)
現役時代から始めた慈善活動は今も続けている。2011年に『JSファウンデーション パク・チソン財団』を設立。毎年、『JS財団ドリームサッカー』というチャリティマッチを開催。2011年はベトナム、2012年はタイ、2013年は上海、2014年はインドネシアでチャリティマッチを開催した。
また、2014年10月からマンチェスター・ユナイテッドの公式アンバサダーに就任して主にアジア地域での広報に務めている。2015年10月にはAFC(アジアサッカー連盟)の社会貢献分科委員にも任命された。
そんな中で取り組むことになったFIFAマスターコース。もともとサッカー行政に興味を示していただけに、そのための準備をいよいよ始めるわけだが、個人的に注目するのは彼がその経験をどう活かしていくか、である。
というのも、以前、パク・チソンの成長過程を取材したことがあるが、彼は決してサッカーエリートではない。むしろ韓国サッカー界では一度、“失格”の烙印を押された選手でもあった。パク・チソンの高校時代の恩師にも話を聞いたが、「韓国サッカーの既存価値観に照らし合わせれば、高校時代のチソンは戦力にならない。失格だった」という。
(参考記事:「韓国サッカー界の生きた伝説パク・チソンの知られざる“意外な原点”」)
そんなパク・チソンが欧州で見て感じた経験を生かし、さらにFIFAマスターで学んだ専門知識などを現場にフィードバックして韓国のサッカー環境を改善していく。想像するだけで痛快ではないだろうか。
ちなみにパク・チソンに変わって今や韓国サッカー界のエースになったソン・フンミンも、その経歴を見ると“韓国サッカー界の異端児”と言える。韓国では一般的に小学校や中学校のサッカー部に所属してサッカーを始めるが(パク・チソンもそうだった)、ソン・フンミンは中学2年生までサッカー部に所属したことがなかった。プロサッカー選手だった父親から個人レッスンを受けて育った。
(参考記事:「“漫画のような父子物語”で育った韓国サッカー期待の星」)
そんなソン・フンミンは現在、イングランドのトッテナムに所属していることもあり、同じくロンドンに暮らすパク・チソンとよく食事にも出掛けるという。おそらくパク・チソンから経験談やアドバイスももらっているのだろう。偉大な先輩がすぐそばにいることは頼もしいに違いないが、パク・チソンにはその経験をぜひアジアサッカーの発展にも生かしていただきたい。
日本を知り、欧州を知り、世界を知るパク・チソンの第2のサッカー人生。これからも注目していきたい。